掛川・秋葉山遠望 江戸より26番目の宿
実のところ、私は北遠の山をよく知らない。生活でも仕事でも、日坂を越えて西へ行くことはあまりない。山でいえば、SHC発足最初の定例山行であった竜頭山、県スポ祭と昨年の国体観戦のついでの常光寺山、黒法師敗退の折り通過した前黒法師山、麻布山と片手で数える位しか行っていない。従って、掛川の東海道筋から秋葉山がどの程度眺望されるのか、とんと見当がつかないのだ。(というより、あれが秋葉山であると同定することさえできない)
秋葉山は大井川右岸尾根バラ谷山から分岐し、山住峠、竜頭山を通り天竜川に沿って南下する尾根の末端に位置する。秋葉三尺坊大権現は火伏の神として有名で、秋葉山信仰は全国に伝播している。殊に度重なる大火を被った江戸町民には、その信仰は厚かったらしく、江戸末期の画人谷文晁[たにぶんちょう]も『日本名山図会』にその姿を描いている。
秋葉街道は塩の道とも重なり、人だけでなく物、文化も交流する幹線道となっていたが、その支線のような秋葉道はあちこちに張り巡っている。島田近辺でいえば一昨年忘年山行の高根山〜西向も秋葉道であり、家山から大日山、春埜山を通り春野町、秋葉山へと至っていた(現、東海自然歩道のルート)。そしてこのルートは本連載⑤「江尻」の項で述べた、アウトロー達のいわゆる“裏街道”とも重なっているところが興味深いのだ。
(2004年2月記)
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【2024年9月追記】
この画に描かれている山についての考察は、既に2024年5月、本ブログに『広重「掛川 秋葉山遠望」の山は?』と題して掲載した。
同じく広重・東海道五十三次 掛川の別版には「秋葉道追分之図」として大池橋の秋葉神社・一の鳥居が描かれている。
現在の大池秋葉山遥拝所の祠とその裏北側の風景だが、右の山が「秋葉道追分之図」で鳥居内側に描かれている山と思われる。展望図で確認すると13km北の大尾山のようだ。