23日は雨が止んで、少しだけ涼しくなったので、Ryo & Chi と一緒に小夜の中山の旧東海道を散歩。広重・東海道五十三次の山(10)の景を確かめる。
久延寺(きゅうえんじ)境内に祀られる「夜泣石」だが、実物(?)は明治14年に東京の内国勧業博覧会に出品され、その後、国道1号線沿いの小泉屋脇に移された。ここの石は意外と小さい。
境内のスダジイ、幹は大きなムロとなっている。
すぐ近くの浮世絵美術館「夢灯(ゆめあかり)」へ、当地所縁の浮世絵を鑑賞する。館長の話では、広重・東海道五十三次「日坂」に描かれている山は、保栄堂版(本記事頭の画)、隷書版(パンフ右上)、行書版(パンフ左下)いずれも粟ヶ岳とのことだが・・・
北側のテラスでコーヒーを戴きながら山を眺める。左・粟ヶ岳(「茶」の字が分かるだろうか?)その右横・岳山、その右(手前の枯木が山頂にかかっている)経塚山、間奥・八高山となるだろう。ここは峠の頂上付近で、夜泣石が実際にあったのは1.7kmほど西(日坂側)へ下った場所だから、粟ヶ岳と岳山はもっと重なった景となる。隷書版、行書版に描かれた山と近い形で、保栄堂版ではやはり左の切れた山が粟ヶ岳(岳山)だろう。
夢灯を辞して火剣山(茶畑左奥の茂み)登り口まで歩いたが、Ryoは今日はここまでとのことで引き返す。
左遠くには志太平野東のランドマーク、高草山が望まれる。東京の孫に送るようにと扇屋で子育て飴を買って帰る。