べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

ジュネーブで借金しまくりふみたおした男|ダメ実業家デュナン

2009年12月03日 | 社会
 続きです。

 写真は、アンリ・デュナン。1828年5月8日、スイスのジュネーブで生まれる。父は福祉孤児院(ふくしこじいん)の仕事にかかわり、母も福祉活動に熱心だった。成績は悪く、カルヴァン・カレッジを中退(ちゅうたい)した。

 カルヴァンとは、16世紀スイスの宗教改革(しゅうきょうかいかく)の名前。ジュネーブは、カルヴァンの影響(えいきょう)が強い土地です。

 デュナン30歳、アルジェリアで農場や工場を経営する会社をつくる。水を利用する権利(けんり)が手にはいらないため、皇帝(こうてい)に相談しにイタリアへ。会ってもらえるあてはない。

 いきなり相談しにいってもムリだってw

 その北イタリアでは戦争の真っ最中(まっさいちゅう)。おおくのけが人がほうっておかれていた。地元の人たちが、クスリもないなか救護(きゅうご)をしている。デュナンもそれを1カ月てつだう。会社はほったらかし。皇帝には会うことすらできなかった。

 救護での体験(たいけん)を一冊の本に書きあげる。戦争に参加した兵士への取材もおこない、たくさんの政治家や軍人に本をおくった。もう自分の会社どころじゃない。

 「戦争がないときに、救護のボランティアの組織(そしき)をつくること」「戦争のときに、その組織が安全に活動できるとりきめを国際的にむすんでおくこと」これが、デュナンの赤十字活動の提案(ていあん)。

 また「平和愛好者団体がいだく希望や期待は実現はむずかしいだろう」と、かんたんに戦争はなくならないと考えたが、犠牲者(ぎせいしゃ)をへらす国と国の協力はできるとうったえた。


 赤十字社だけでなく、第一次世界大戦のあとには国際連盟(こくさいれんめい)、第二次世界大戦のあとには国際連合(こくさいれんごう)といった、戦争をさけるために国どうしが協力をする組織もつくられています。


 赤十字活動ははじまったものの、デュナンの会社は倒産(とうさん)。デュナンは破産(はさん)して、赤十字活動からはなれ、生まれ故郷(こきょう)のジュネーブにもいられなくなった。(´;ω;`)ウゥ

 器用(きよう)なひとではなかったのかもしれない。世界の歴史に影響(えいきょう)をあたえてはいるけれど、「人間は人間らしくあつかわれるべきだ」という心の声にしたがっていただけなのかもしれません。(塾長)


 デュナンは82歳まで生きて、老人ホームでくらしているときに、第1回ノーベル平和賞をもらっています。


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