べんきょうなせん(='ω')

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熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

日本赤十字社が西南戦争から生まれる|熊本と博愛社

2009年12月02日 | 社会
 写真は、赤十字社(せきじゅうじしゃ)のさまざまな活動(かつどう)。まんなかの赤い十字が、赤十字社のマークです。病院の地図記号も、これがもとになっています。日本での赤十字社の活動は、熊本ではじまりました。

 こちらの続きです。

 赤十字社は、戦争やおおきな事故や災害がおこったときに敵味方(てきみかた)なく人道的支援(じんどうてきしえん)をおこなう世界的な団体です。献血(けんけつ)の血液(けつえき)センターでもおなじみですね。

 赤十字社の活動は、戦争で数万人単位の死傷者(ししょうしゃ)が出てきたことを背景(はいけい)にはじまります。1864年には、スイスのジュネーヴで「傷病者(しょうびょうしゃ)の状態改善(じょうたいかいぜん)に関(かん)する第1回赤十字条約(じょうやく)」がむすばれています。


「傷(きず)ついた兵士(へいし)は、もはや兵士ではない、人間である。人間同士(どうし)としてその尊(とうと)い生命(せいめい)は救(すく)わなければならない」
 
赤十字活動をうったえたアンリ・デュナンの言葉


 日本では、1877年の西南戦争で多数の死傷者が出ていたことから、ヨーロッパの赤十字活動を参考(さんこう)に、博愛社(はくあいしゃ)が熊本城のジェーンズ邸(てい)におかれました。現在の第一高校のあるところです。ここには熊本洋学校がありました。

 明治政府(めいじせいふ)には「敵味方なく救護(きゅうご)する」という活動が認(みと)められませんでした。それでも、熊本までみずからのりこんで実現させてしまった、佐野常民(さのつねたみ)の熱意はすごい。政府の仕事ではなく利益(りえき)も生まない、ボランティア活動と言えますね。

 博愛社は、西南戦争のあと日本赤十字社となります。

 続きます。(塾長)


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