べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

開国してくださいよ~ペリーのお願い(1)|江戸時代の外交だよ~

2010年01月09日 | 社会
 受験生のリクエストで、センター試験「日本史」ふたたび。小中学生も読みとおしてください。

さこく【鎖国】
江戸幕府(えどばくふ)は、日本人の海外交通を禁止し、貿易(ぼうえき・外国との商品の売り買い)を制限(せいげん)した。このため、日本への外国からの影響(えいきょう)はうすれる。しかし、オランダ・清(しん・中国)のほか、朝鮮(ちょうせん)とも対馬藩(つしま・はん)をつうじ貿易があった。松前(まつまえ)藩もアイヌと交易(こうえき)をおこなう。琉球(りゅうきゅう・沖縄)は、清と薩摩(さつま)藩が支配(しはい)した。

「1637年;ひと無残(むざん)なり、島原の乱」
「1639年;ひろい柵(さく)して、ポルトガル船禁止」

[問題1]鎖国中の長崎の貿易について述(の)べた文として誤(あやま)っているものを1つ選べ。(1990年センター追試験より)

1、幕府は、17世紀(1600年代)初めに、ポルトガル商人に対抗(たいこう)するため、長崎などの商人に仲間(なかま)を結成(けっせい)させ輸入生糸(ゆにゅう・きいと)を一括購入(いっかつこうにゅう)・販売(はんばい)する制度(せいど)を採用(さいよう)した。

2、幕府は18世紀(1700年代)初めには、金銀の流出(りゅうしゅつ)をふせぎ、貿易の制限を強化(きょうか)するため海舶互市新令(かいはくごししんれい・長崎新令、正徳新令)をさだめた。

3、長崎に建設された出島(でじま)には、当初(とうしょ)イスパニア(スペイン)人が収容(しゅうよう)されたが、17世紀半(なか)ばにはオランダ商館がうつされ、のちには中国人もここに居住(きょじゅう)した。

4、日本からの輸出品(ゆしゅつひん)のうち、俵物(たわらもの)とよばれた海産物(かいさんぶつ)は、料理の材料として中国で珍重(ちんちょう)され、18世紀半ばから増加(ぞうか)した。


[解答1]3が誤り
オランダ人が「出島」に、清国人は「唐人屋敷」(とうじんやしき)。1は「糸割符制度」(いとわっぷせいど)。生糸(きいと)は、カイコのまゆからとれる糸で、絹(きぬ・シルク)となる日本の輸出品。2は正徳(しょうとく)新令とあるように、新井白石(あらいはくせき)による経済(けいざい)のひきしめ。商品の売り買いに金銀がつかわれ、輸入(ゆにゅう)がふえると金銀が海外に出ていく。そのため、貿易を制限した。

 貿易を制限していた江戸幕府にとって、貿易額(ぼうえきがく)がふえると経済のコントロールができなくなり、幕府への信頼(しんらい)をうしなうことになります。次回「開国」へ。(塾長)


ペリーがパワポで提案書を持ってきたら」(PCむけ)

(='ω')パワポってインチキくさいw


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