べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

ビート・チャイルドは、どこにいる?(4)|テレビには映らないビートもある

2013年11月21日 | おもしろかった
携帯で動画を見るときは、パケット定額で



 まわしまわされまるで風車フーフー!BOOWY(ボウイ)のライブで"IMAGE DOWN"です。ベースだけでも客がタテノリ松井恒松。ドスンとのせてくる高橋まこと。客をあおる氷室京介。ライブハウス武道館へ!

 BOOWYは、80年代後半最強のライブバンド。1982年デビュー、88年には解散します。「トップに立ったら解散する」と決めて始めたバンドだから。テレビや雑誌にほとんど出ず、日本全国ライブでまわります。おなじ会場で、4daysや5daysやって客が入っちゃうんです。彼ら自身のライブパフォーマンスにチカラがあったのです。


 商業主義(コマーシャリズム)は、"売れること"を第一とします。売れるとは、おカネを出してでも欲しいひとがいるということ。そのチカラがあることの証明でもあります。

 一番売れたら、一番チカラがある?

 そうとは限らない。一番売れるために、商業主義はさほど興味を持たないひとも大量に取り込むからです。テレビで見た。インターネットでウワサだ。流行ってるらしいね。インタビュー良いひとそうじゃん。彼女が好きだと言ってたし。宣伝が消費の後押しします。大好きで買っているひとにとって、"流行ること"がウサンくさくも感じるのはそのためです。

 テレビや雑誌は、イメージを拡大し押し付けます。

 ビートチャイルドは伝説だった。これ"ウソ"です。1987年ビートチャイルドを観たボクは雑誌のライブレポートを探しました。7万2千人も集まった日本初のオールナイト・ロック・フェスだったのに、カラーページはたったニ誌。数ページさいていたのは、"pati pati rock'n roll "だけ。この記事も、公式サイトで読めますが、盛ってあります。あの混乱のなかでアーチストを観ている記者の、尾崎ファンの女の子への"取材"が、雑誌締め切りに間に合うはずもない。

 十代のガキ向けロック・フェスと軽んじられ、地方の九州まで取材費がでなかったのかもしれない。(よのなかのビートに気づかないロック誌編集者なんて、ずっと廃盤だけありがたがってろ!)

 直接観た7万2千人にとっては、まちがいなく伝説です。でも、マスコミを通して語られる"伝説"は、つくられたイメージ(写像)なんです。


 80年代って、若者や女性そして地方が、消費の主役になっていった時代でもあります。

 ちな塾長は、布袋寅泰派です。(塾長)


ビート・チャイルドは、どこにいる?(3)|ほら、ビートはここにもある

ビート・チャイルドは、どこにいる?(5)|ただのビートに終わらせない


 1980年のこと前のバンドをやめ日本語のロックに自信を失いかけていた氷室は、忌野清志郎のRCサクセションのライブを観ます。80年代前半の最強ライブバンドです。BOOWYはこれから始まります。ビートはつながっていくのです。

忌野清志郎のなにがすごいのだろう?|日本語で歌うというイノベーション

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