べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

消えゆく商店街

2016年01月28日 | 私事・未分類
「ああ。塾ねぇ」

個人的なショックでした。10年前、賃貸店舗を求め商店街の事務所を訪ねました。ポチポチ空きが出ていて、安く交渉ができないかと考えたからです。

そこで言われた一言。経営状態や条件を尋ねられて断られる可能性は想定していましたが、聴かれもしなかった。物販じゃないからダメみたい。空きが出たままやってける余裕があるのかな。

5年後、商店街ビルが改築されました。改築が前提であの一言だったのかもしれません。新しくなれば借り手は付くと。家賃も共益費も上がっています。聴いてびっくり。おそらく改築費用の返済から算出された額。それ払ったらウチなんか数年でショートしちゃう。商店街周辺に若い家族減ってるのに、この場所まで客呼び込めるなにかがあるのだろうか。

オープン時、改築を支援した市から職員も来て客足もまずまず。核となるスーパーマーケットも入りました。新規店舗も複数オープンします。それでも空きは残ります。

ここ数年、空きが目に見えて増えました。来訪した知人が「また休みなの」と聞くぐらい。10代の若いお客さんをまず見かけない。昔は溜まっていたのに。

スーパーも撤退しました。品揃えを見ると安売りとやや高い品の二本立てだったようですが、高い方はさっぱり動いていない。従来の近隣からのお客さんばかりで、新しく入って来ていないようでした。そう気付くと他のお店も新規客は見当たらない。賃貸料が上がった分だけ苦しくなっていそうです。

すべてがそうかと思うと地権のある古くからのお店はやっていけてるようです。地権のぶん、賃貸料が安いからです。一方改築費用は共益費とともにすべての店舗に割り当てられます。新旧のギャップが歴然です。

景気が上向きならば箱を新しくしてガンバるだけで良かった。社会の転換期になると一つ当たればという一発逆転は期待できません。不景気ではよのなかの大きな流れが利用できませんから。幾つも試して小さな成果を探るしかない。小さな流れならいつだって失われはしません。

商店街に気力がないとか行動がないなんてまったく思いません。たぶん改築で手一杯なのです。みな知ってることですが、商店街には限界があります。本業と並行だから。専任の舵取りがいる大資本とは違う。また、個人事業者の集まりだから思い切った決断にはなかなか向かない。さらに商店街に限りませんが、時代と感覚と蓄えに新旧のギャップがはっきりあります。善かれと思ったアドバイスも散発されては、逆に若いチカラを縛ることになる。

試すには、まだ固定観念に縛られていない元気ある若いひと達が適任なんじゃないかな。若い事業者が定着しやすい仕組みがあったなら。たとえば、大きな借金で身動きとれなくならないよう一つの店舗をシェアするとか。立ち上げで困らないよう、既存店や退去店の人脈やサポートを引き継げる仕組みを整えておくとか。小さな成功で大失敗さえしなければ良い。いまの子はそんな感覚です。生まれた時から社会状況が違いますから。頼りなくも見えますが同時にわたし達にはない武器もある。

資金や支援を引き出す団体としての商店街のチカラは失われていきます。買い物の主役ではなくなりましたから。高齢者対象の公的支援は引っ張れるかもしれませんが、それでは若い事業者と消費者には訴求しない。新旧のギャップがますます広がり確実に引き返せなくなります。

マスコミに出る「成功例」も参考にはなります。ですが、若手に主役を任せたことがまた古株が大失敗だけはさせない役割に徹したことが、そういった商店街の役割の転換が上手くいった例なんじゃないかなと思います。


ごめんなさい。ただの能書きです。小学生のころから遊び場でしたから、つい。(藤田)

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