写真は、熊本県山鹿市の菊池川と台地(だいち)。台地は、平野(へいや)より少し高くなっています。
まんなかをたてに、北へのびる道は山鹿市の中心へつながります。中央に(う)は、森と家がかたまって集落(しゅうらく)をつくり、小学校のグラウンドも見えます。ここは、山鹿市立大道小学校。このグラウンドにはたくさんの甕棺(かめかん)が、弥生(やよい)時代のお墓が埋(う)まっているのです。
239年;ふみくださいね、卑弥呼(ひみこ)さん
今から1800年ぐらい前のことです。中国は「三国志」の時代、日本は弥生時代です。川の近くの低い平野には、イネを植えます。森に近く洪水(こうずい)の心配もない台地には、家を建てムラやクニができていきます。
写真の「方保田(かとうだ)東原(ひがしばる)遺跡(いせき)」は、菊池川と方保田川にはさまれた台地に広がる、弥生時代の大集落遺跡です。幅(はば)8mの大きな溝(みぞ)や100を超える住居跡(じゅうきょあと)、土器(どき)や鉄器(てっき)を製作したあとが見つかっています。
幅8mの溝を掘るために、どれだけの人たちががかかわったか想像してみてください。同時に100の家が建っていたわけではありませんが、ひとつの家に四人家族で住めば何人の人たちが生活をしていたかも想像できます。
また、現在の島根県あたりや近畿(きんき)地方など西日本各地から持ちこまれた土器なども残されています。海や川を使い遠くの地方との交易(こうえき)もさかんでした。
山鹿市立博物館にはサイクリングターミナルがあり、自転車を借りることができます。山鹿の街や遺跡を自転車で回ってみるのにいい季節ですよ。(塾長)
以下、パソコンむけサイト
山鹿探訪なび・方保田東原遺跡(国指定史跡)
山鹿探訪なび・山鹿市出土文化財管理センター
山鹿探訪なび・山鹿市立博物館
山鹿温泉観光協会・山鹿市立博物館
以下、パソコン・携帯共通サイト
山鹿探訪なび
勾玉づくり体験(熊本県立装飾古墳館)
まんなかをたてに、北へのびる道は山鹿市の中心へつながります。中央に(う)は、森と家がかたまって集落(しゅうらく)をつくり、小学校のグラウンドも見えます。ここは、山鹿市立大道小学校。このグラウンドにはたくさんの甕棺(かめかん)が、弥生(やよい)時代のお墓が埋(う)まっているのです。
239年;ふみくださいね、卑弥呼(ひみこ)さん
今から1800年ぐらい前のことです。中国は「三国志」の時代、日本は弥生時代です。川の近くの低い平野には、イネを植えます。森に近く洪水(こうずい)の心配もない台地には、家を建てムラやクニができていきます。
写真の「方保田(かとうだ)東原(ひがしばる)遺跡(いせき)」は、菊池川と方保田川にはさまれた台地に広がる、弥生時代の大集落遺跡です。幅(はば)8mの大きな溝(みぞ)や100を超える住居跡(じゅうきょあと)、土器(どき)や鉄器(てっき)を製作したあとが見つかっています。
幅8mの溝を掘るために、どれだけの人たちががかかわったか想像してみてください。同時に100の家が建っていたわけではありませんが、ひとつの家に四人家族で住めば何人の人たちが生活をしていたかも想像できます。
また、現在の島根県あたりや近畿(きんき)地方など西日本各地から持ちこまれた土器なども残されています。海や川を使い遠くの地方との交易(こうえき)もさかんでした。
山鹿市立博物館にはサイクリングターミナルがあり、自転車を借りることができます。山鹿の街や遺跡を自転車で回ってみるのにいい季節ですよ。(塾長)
以下、パソコンむけサイト
山鹿探訪なび・方保田東原遺跡(国指定史跡)
山鹿探訪なび・山鹿市出土文化財管理センター
山鹿探訪なび・山鹿市立博物館
山鹿温泉観光協会・山鹿市立博物館
以下、パソコン・携帯共通サイト
山鹿探訪なび
勾玉づくり体験(熊本県立装飾古墳館)