べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

国鉄あと

2016年10月22日 | 山鹿をさるく
合同庁舎・市役所やかつての山鹿高そば、垂水建材の裏。写真は現在の山鹿温泉駅跡です。わたしの記憶のなかでは国鉄のバスターミナル。いまコンビニがあるあたりに洗車場や整備車庫や従業員宿舎もあったはず。有明海沿岸を走る鹿児島本線から九州を横断する豊肥本線へとバス路線がつなげていました

JR山鹿線です(山鹿線情報サイト。個人サイトです。詳しい)

しぇたか~しぇたか~、鹿児島本線の瀬高駅を降りると駅名標に山鹿線へ乗り換え案内も記載されていました。山鹿とは直接関わりのない土地ですから不思議。海から離れた玉名郡南関町・菊池郡大津町を通る山鹿線。中間にある南関や菊池の方にとっては必要な公共交通機関でしたしJRを利用した阿蘇方面への最短コースだったからでしょう。南関から山鹿高校へ通ってた方もいらしたようです

1962年に石油輸入が自由化されるまで鉄道は貨物・旅客ともに圧倒的な陸上輸送手段でした。石油が日本ではほぼ産出しないため、ガソリンの入手そのものが国際情勢に大きく左右されました。石炭は国が戦略的に振り分けていて個人向けガソリンは後回しです。わたしたちがいま自家用車やトラックを輸送手段の主役にするのは、世界から大きな戦争がなくなり国際協調が進んだおかげです

国家間の大きな戦争がなくなれば、富は広く細分化され総量は増えます

大きな戦争は確実に減りました。それは戦争するよりはるかに儲かる方法があったから(それだけだとは思いませんけどね)。わたしたちの身近な生活だって世界の大きな流れとつながっています(藤田)


山鹿線(ウィキペディアより・ かつての山鹿温泉駅の写真あり)

>山鹿線(やまがせん)は、ジェイアール九州バス(山鹿支店)が運行していた路線バスである。福岡県山門郡瀬高町(現・みやま市)の瀬高駅から熊本県山鹿市を経て、熊本県菊池郡大津町の肥後大津駅までを結んでいた。

>営業所、車庫は山鹿市(山鹿温泉駅)に所在していた。瀬高駅前にも留置施設があったが、現在は堀川バスが使用している。

>熊本県内で現存する唯一のJRバス路線であったが、2006年2月28日に撤退した。

>撤退後、産交バス(全線)と熊本電気鉄道(山鹿~大津間)が引継ぎ運行していたが、みやま市の補助金打ち切りにより、2009年10月1日に瀬高駅 - 南関上町間は廃止された。廃止区間のうち、みやま市内区間となる瀬高駅 - 真弓橋間はみやま市福祉バスに引き継がれた]。また、2011年10月1日より熊本電鉄は撤退し、現在は産交バスが南関ターミナル - 山鹿 - 肥後大津間で運行を続けている。

1935年8月21日 省営自動車山鹿線肥後大津・南関間開業。
【新設停車場】大津中町、松古閑、平真城口、水迫、猿渡、杉水、肥後小林、小ヶ原、出分、伊坂、丙森、肥後妙見、乙森、赤星、北宮、隈府(菊池電気軌道線既設)、野間口、水次、肥後岡田、肥後辺田、中富、石淵、原部、来民町、肥後日置、方保田、肥後古閑、山鹿(鹿本鉄道線既設)、山鹿東前、肥後金塚、鍋田、肥後川辺、梅迫口、肥後岩下、年ノ神前、津田下、下大田黒、小次郎丸、肥後梶原、櫨取、肥猪町、肥後大原、八貫水、南関追分、南関迎町、南関中町
1949年6月1日 日本国有鉄道発足に伴い国鉄山鹿自動車営業所となる。
1959年11月 菊池温泉乗り入れ
1987年4月1日 国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道山鹿自動車営業所となる。
1990年3月31日 山鹿温泉~熊本空港間運行開始(九州産業交通との共同運行 1995年廃止)。
2006年2月28日 利用客の減少により路線廃止・山鹿支店閉鎖。
2006年3月1日 瀬高~山鹿温泉間は産交バスに、山鹿温泉~肥後大津間は産交バスと熊本電気鉄道に移管され、運行開始。
2011年10月1日 熊本電鉄バスが撤退。産交バスのみの運行になる。経路変更(南関ターミナル - 南関上町間短縮、山鹿 - 大津間系統整理・日置経由廃止)。

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