べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

ゆうかファミリーロード

2014年06月06日 | 山鹿をさるく
 熊本県道330号熊本山鹿自転車道線、通称"ゆうかファミリーロード"。「熊鹿」と書いて「ゆうか」です。

ゆうかファミリーロードの謎を探せ!(県公式動画)

起点
熊本市島崎二丁目
終点
山鹿市鍋田
着手
昭和49年(1974)
完了
平成4年(1992)
全体計画
34.0km
主な施設
休憩所5箇所

>熊本市中央区島崎(しまさき)から熊本市北区植木町鐙田(あぶみだ)までの間は、ほぼ井芹(いせり)川に沿っている。また、熊本市北区植木町鐙田から山鹿市にかけての区間は、山鹿温泉鉄道の廃線跡でもある。

(ウィキペディア・パソコンむけ

鹿本鉄道に乗ろごたる


 全線きちんと舗装されています。ケータイがつながらない場所もまずありません。自転車道として井芹川沿いはやや走りにくい。交通量の多い他の道路と並走だったり、階段(!)もあります。鉄道跡に入ると高低差が小さくラクになります。田畑のなかを蒸気機関車が走っていたせいか、人家からさほど離れていない割に「この道でホントに大丈夫?」と不安になるかもしれません。公式案内図が、沿線観光案内で配布されています。インターネット上でも手に入ります。

公式案内図配布先(パソコンむけ

 自転車道には街灯がないので帰りの時間も考えてお出かけください。初めてで全線34kmを完走したり、ご家族で走りきるのはちょっとたいへん。「山鹿サイクリングターミナル」か「水辺プラザかもと」で自転車をレンタルし、時間を見計らって折り返すのもおすすめです。

山鹿サイクリングターミナル」は、山鹿市鍋田(なべた)にあり、温泉と宿泊も利用できます。研修施設と博物館が隣接。近くに、小さい子も遊べる水遊び公園や鍋田横穴古墳があります。

山鹿ホテルの解体はじまる|西南戦争の薩摩軍陣地あと

熊本県立装飾古墳館@山鹿市|博物館のすゝめ

水辺プラザかもと」は、山鹿市鹿本町にあり、こちらも温泉と宿泊があります。地元農産物がてんこ盛りの物産館とファミリー向け体験施設がたのしい。

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 山鹿小学校は、灯籠殿と八千代座やさくら湯に近い。鍋田は、保育園児や小学生たちが遠足で足を運ぶ距離です。鹿本はやや離れますが、クルマなら大差ありません。


>鉄道廃止に伴い、1965年(昭和40年)2月に社名を鹿鉄バス(株)に改称し、貸切バス事業者となった。その後1971年(昭和46年)に至って貸切バス事業を縁故会社の鹿鉄停車場(株)に移管。一時解散手続きに移行したが後に中止して、線路跡地への自転車道(熊本県道。後述)建設のための用地保全を目的とする法人となり、1974年(昭和49年)に山鹿自転車道(株)に改称。1992年(平成4年)の自転車道完成後は駅跡の用地での駐輪場運営などを行っている。
鹿鉄停車場(株)は、鉄道廃止・事業整理に伴って必要となった資金の調達などを行うことを目的に1960年(昭和35年)11月に設立された法人で、鉄道廃止後は山鹿駅の用地を取得して自動車教習所を設置し、運営を行うこととなった。1971年(昭和46年)には鹿鉄バス(株)から貸切バス事業の移管を受け、鹿鉄交通(株)に改称した。自動車教習所・貸切バス事業とも1992年(平成4年)の時点では健在であったが、2012年(平成24年)現在いずれの事業も廃業となっている。

(ウィキペディア・パソコンむけ


 ゆうかファミリーロードは1992(平成4)年まで鹿鉄交通に管理され、資産整理後は県道として管理が移りました。木造の倉庫やホーム跡といった鉄道路線の名残はほとんど残っていません。鉄道跡を楽しむとすれば、インターネットの個人レポートだけになりました(鹿本鉄道リンク)。

 わずかに鉄橋の一部が「水辺プラザかもと」に保存されています。明治23(1890)年に九州初の鉄橋として福岡県の筑後川にかけられ、のち鹿本鉄道で再利用されたもの。一時宮原(みやばる)駅跡に保存されていましたが現在地へ移設されています。


 自転車で山鹿をさるいてみませんか?

 沿線そこここに温泉があります。着替えと手ぬぐいを持ってお出かけしましょう。(塾長)

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