夜道を歩いていると、誰かに後をつけられているような気がしたことはありませんか?
…ひた…ひた…ひた…ひた…
足音だけ、ずっとはなれない。それはべとべとさんのしわざです。ある男がべとべとさんに会った。「べとべとさん、お先にお越(こ)し。」と言うと「先に行くと暗くて歩けない。」と言うので、男は提灯(ちょうちん)を貸してやった。翌朝、男の家の前に提灯が返してあったそうだ。すがたかたちはない足音だけの存在です。写真はしげさんの描いた想像図です。
説明できないけど確かに存在するモノに、ことばを与えてあげるだけでヒトの認知は変わります。説明できないけれど確かに存在するわたしの気分にことばを与えてあげるだけで、おたがいに理解が深まります。仲良くやっていくことができるのです。
立場によって認知はちがう(2)|おとなだって正確に見えているかわからない
>聞こえてくるメロディーは変わらないのに答えはパッと浮かび上がる。あなたの認知が変化した瞬間です。カタチのなかった感覚が、カタチのあることばによって"理解"に変わりました。おそらく次からは自力で答えにたどりつくでしょう。
>この感覚にことばを与えてあげる変化は、そのまま学習に利用できます。学ぶことそのものと言っても良い。スッキリ「理解」ができる経験です。次からは自力で気づく可能性を広げる経験です。
なぜできないかより、どうやったらできるかを試そう|学習塾あすく相談事例
なぜできないかより、どうやったらできるかを試そう(2)|家庭でも使えるキッズスキル
>心や感情がない人はいません。
ただそれを「どう感じているのか」「どう表現したらいいのか」が苦手な方はいます。
それは、そういう教育を受けたことがないから仕方のないことだと思います。
「泣くな!」
と言われたら、とにかく泣かないようにしようとするけれど、
「なぜ泣くの?」
と聞かれたら「なぜだろう?」と考えるようになる。
「何を感じているの?」
と聞かれたら「何を感じているのだろう?」と考えるようになる。
>けんかが起こったとき、ただ行為のみを止めても気持ちの処理は宙ぶらりんです。そんなときは相手の気持ちを代弁してあげて、感情の処理方法を手伝ってあげます。こうしたことを私たちの園では行っています。「相手の気持ちをくむ」ということはコミュニケーションの基本なのです。
例えば、友だちに叩かれて泣いていたA君との会話。
A君(泣きながら寄って来て)「Bちゃんがたたいたの…」
先生「そうなんだ。たたかれてイヤだったのね?」
A君「うん、イヤだった!」
先生「悲しくなっちゃったのね?」
A君「うん、かなしい!」(ほどなくして泣き止む)
「なぜ?」「どうしたの?」とけんかの原因を追究する前にやるべきことがあります。まず、今のA君の感情を受け止めてあげる。言葉で代弁してあげる。感情の高ぶりは、受け入れられると静まります。問題への対処はその後です。
自分の気持ちを言葉にすることで、「たたくのイヤだからやめて!」と表現することも覚えます。
本当のコミュニケーションとは、知識 のやりとりではなく、感情のやりとりです。私たちは感情をうまく伝えられず、あるいは、感情をうまく受け止められず苦しみます。
特にけんかが起こったときなどは、感情と感情がぶつかり合い、興奮は頂点に達します。これをチャンスととらえ、感情の処理をお手伝いします。自分の感情を認識し、コントロールすることは、今後の人間関係において、最も大切なことになるでしょう。(ここまで引用)
千葉県船橋市 夏見台幼稚園(企業サイト・パソコンむけ)
わたし塾長が入院したときの話。夢を見ました。お化けに病院中追いかけ回される夢。「捕まる!」とその瞬間、目が覚めました。夢で良かった…汗びっしょり です。こんな夢、子どものころ以来だな。病名がわかり治療にも慣れてくると夢は見なくなりました。
「言語化」とは、モヤモヤとした気分や存在に名前を付けてあげること。ラベリングともよびます。研究では、行動や感情を意識的に言語化すると恐怖や攻撃性に関わる脳の扁桃体(へんとうたい)の興奮が収まるといいます。怖くなくなり攻撃的でもなくなるのです。学校で学ぶ国語も会社で必要とされるコミュニケーションも、順序立てて理由や結論を明確にする「論理」や気持ちを言語化する「認知の変化」を身に付ける のが目的です。これらが上手になればトクですが、苦手なら苦手でも構わない。あなたが意識して学ぶだけで家庭でよのなかで役に立つ学びへと変わります。少しずつでも、身に付けたぶんはかならず役に立つのです。(塾長)
空が青い、とても青い、なんさま青い|相手に伝わる作文が書けるよ
うれしい!たのしい!大好き!(1)|気持ちが伝わる作文が書けるよ