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マルコム・マクラーレンの1983年の曲 "buffalo gals" です。スクラッチによるDJスタイル、古着のジャージでブレイクダンス、スプレーで壁に描(えが)くグラフティなど初期のヒップホップがみられます。
映像は…洗練(せんれん)されてなくてダサw当時のヒップホップは、都市にすむ黒人のローカル(地域性が強い)なものだったためか、白人の西部劇スタイルをムリにいれこんでいてなんかオカシイ。エミネムの "Without me" という曲の元ネタにもなってます。
前回の続きです。
Run D.M.C.による1986年のヒット曲 "Walk This Way" 。オリジナル(原曲)は、1975年のエアロスミスによる同名曲です。エアロスミスは白人のハードロックバンドですが、「韻を踏む」(いんをふむ)ことで歌詞をしゃべるように歌っています。
ヒップホップは、1970年ごろのアメリカで、ブロックパーティーから生まれました。ブロックとは街(まち)の区画(くかく)のことで、その地域(ちいき)にすむ若者たちが自分たちで運営(うんえい)したパーティーです。
1970年代から80年ごろのアメリカは、不景気のためおカネのかからない遊びが好まれました。楽器が買えないためにレコードをかけ、そこに自分でつくった歌詞をのせるラップやDJスタイル。ブレイクダンスやグラフティもおなじです。こういった文化をまとめて、ヒップホップとよびます。おもに、都市にすむ黒人やヒスパニック(スペイン語系移民アメリカ人)の文化でした。
Run D.M.C.の "Walk This Way" には、白人のハードロックと黒人のヒップホップを融合(ゆうごう)させた、新しい文化をつくるおもしろさがあります。第一世界大戦で徴兵(ちょうへい)された軍隊生活とその後の失業から生まれたジャズ、イギリスへのジャマイカ移民たちと不景気で失業していた白人の若者たちのなかから生まれたレゲエとパンクロック。ポピュラー(大衆)音楽の歴史には、異(こと)なる文化の融合とおカネがないながらも自分たちでなにかをつくりだすおもしろさがあります。
壁(かべ)をぶちやぶれ!
Do it yourself!(自分自身でやってみな)
これもイノベーションなのだと思います。(塾長)
マルコム・マクラーレンの1983年の曲 "buffalo gals" です。スクラッチによるDJスタイル、古着のジャージでブレイクダンス、スプレーで壁に描(えが)くグラフティなど初期のヒップホップがみられます。
映像は…洗練(せんれん)されてなくてダサw当時のヒップホップは、都市にすむ黒人のローカル(地域性が強い)なものだったためか、白人の西部劇スタイルをムリにいれこんでいてなんかオカシイ。エミネムの "Without me" という曲の元ネタにもなってます。
前回の続きです。
Run D.M.C.による1986年のヒット曲 "Walk This Way" 。オリジナル(原曲)は、1975年のエアロスミスによる同名曲です。エアロスミスは白人のハードロックバンドですが、「韻を踏む」(いんをふむ)ことで歌詞をしゃべるように歌っています。
ヒップホップは、1970年ごろのアメリカで、ブロックパーティーから生まれました。ブロックとは街(まち)の区画(くかく)のことで、その地域(ちいき)にすむ若者たちが自分たちで運営(うんえい)したパーティーです。
1970年代から80年ごろのアメリカは、不景気のためおカネのかからない遊びが好まれました。楽器が買えないためにレコードをかけ、そこに自分でつくった歌詞をのせるラップやDJスタイル。ブレイクダンスやグラフティもおなじです。こういった文化をまとめて、ヒップホップとよびます。おもに、都市にすむ黒人やヒスパニック(スペイン語系移民アメリカ人)の文化でした。
Run D.M.C.の "Walk This Way" には、白人のハードロックと黒人のヒップホップを融合(ゆうごう)させた、新しい文化をつくるおもしろさがあります。第一世界大戦で徴兵(ちょうへい)された軍隊生活とその後の失業から生まれたジャズ、イギリスへのジャマイカ移民たちと不景気で失業していた白人の若者たちのなかから生まれたレゲエとパンクロック。ポピュラー(大衆)音楽の歴史には、異(こと)なる文化の融合とおカネがないながらも自分たちでなにかをつくりだすおもしろさがあります。
壁(かべ)をぶちやぶれ!
Do it yourself!(自分自身でやってみな)
これもイノベーションなのだと思います。(塾長)
株価は横ばいだったようですが・・・。
今の日本は右肩下がりですけどね。(苦笑)
日本の株価チャート(東証株価指数)
http://www.opticast.co.jp/cgi-bin/tm/chart.cgi?code=0201&asi=3
ここでは、株価だけでは比較はしにくいと思います。1990年前後を境にインターネット以前の世界では貿易など実体のある取引の割合が多く、インターネット以後の世界では金融商品の発達により貿易外の取引の割合が激増しています。
http://blog.goo.ne.jp/takurof2009/e/322d6a36ae8b30733b09e0e5c33274e4
1973年の石油ショックにより、アメリカの基幹産業だった自動車・機械の輸出が激減し、貿易赤字が90年代ごろまで続きます。これは都市の工場で働く人々の失業(とくに若者の)を意味し、ヒップホップの誕生の背景になっています。
アメリカやイギリスの不景気が続く間に、日本は輸出産業を伸ばします。
一方アメリカやイギリスは(時間はかかりましたが)、製造業からITや金融などの第三次産業へと産業構造を変化させ、「小さな政府」へ財政赤字の縮小をすすめました。
こうして国や時代で対比することで、現在や将来の日本の姿も予測できると思います。
うまく説明できてるでしょうか?ぜひ、またお立ち寄りください!