べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

括目して見よ!呉下の阿蒙が本気だす(1)|生まれた時からできる子なんかいない

2009年07月25日 | 私から保護者へ
 「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし(しわかれてみっか、すなわちさらにかつもくしてあいたいすべし)」とは、三国志に登場する呂蒙(りょもう)の言葉です。三国志の舞台となる三国時代とは、中国が魏、呉、蜀の3つの国に分かれて争っていた時代です。映画レッドクリフでは、三国志演義赤壁の戦いが描かれています。日本では、卑弥呼(ひみこ)が魏に使いをおくり金印をもらう少し前のことですね。

 三国志の最強武将と言えば魏の関羽(かんう)です。彼は、魅力・知力・武力すべてに秀でた武将でした。その関羽を討ち取った武将こそ、今回紹介する呂蒙です。呂蒙は、呉の孫権(そんけん)に使え武功で名をはせましたが学問はからっきし。そのため「呉下の阿蒙(あもう)」(呉の田舎にいる蒙ちゃん)と呼ばれていました。一人前の武将が大人になってまで「~ちゃん」と呼ばれるのは悔しかったでしょう。

 ある時、呂蒙は孫権に学問することを勧められます。それまで全く勉強したことのなかった呂蒙が、どういうわけか真剣に勉強に取り組み誰よりも学問ができるようになりました。その時、古い知人に会い「呉下の阿蒙にあらず」(もう昔の蒙ちゃんではないのだな)と感心されました。気を良くした呂蒙は、「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」(志を持ったものと別れて三日もたてば、それは注意して見なければならない)と言ったのです。

 これは…(IMA)


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