はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

小出裕章さん札幌講演会を見て

2013年09月16日 | 日記

 京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんの講演会が2013年9月14日、札幌で行われた。原発事故以前から反原発を標榜する原子核工学者である。

 大ホールのキャパシティは1500人なのだが、当日は満員であり、立ち見まで出る始末。札幌市と北海道電力泊原発との距離は、事故を起こした福島第一原発と、そのために大量の放射性物質で汚染された福島県の飯館村との距離に等しいと言う。つまり、泊原発が大事故を起こすと、札幌全市避難という話になる。

 札幌の人口は、現在は約200万人。住民票だと180万人を越える程度なのだが、住民票を移動していない学生などを含めると、現在居住している人間は相当多くなる。
 北海道全体の人口は500万人程度であり、これはそれほど増加してはいないが、札幌市が100万人を突破して政令指定都市になってから、札幌の人口は急増している。北海道の四割の人間が住んでいるという勘定である。

 泊原発で福島第一原発のような事故が起きると、札幌市は避難地域となる。で、何処へ避難するのか。それだけの人口を分散しても保持できるような地域は、北海道には無い。生業を維持できるような経済的基盤も、財政的基盤も、札幌が被曝破綻なんぞをすると、北海道は全部の地域が経済的に破綻するのである。

 小出さんの講演については、特に触れようとは思わない。YouTubeで小出裕章と講演などの文言で検索すると、原発事故発災以前からの、小出さんの精力的な講演活動が分かる。事故が起きて、驚くほどの人が各地で小出さんの話を聞きに集まるのだが、今回は汚染水がマスコミに取り上げられたため、尚更集まりが良かったようである。

 何やら良くわからぬ宗教の人まで「ストロンチウムは危険です」などと言いながら、宗教の勧誘の印刷物も配布していたし、でも、その資料を配布している人は、実は分子生物学レベルでの放射線の危険性などは考えもせず、教祖様の言う通りストロンチウムを体内に摂取すると、白血病や癌になるのだ、というレベルでしか分からないわけでしょう。そうした「妄信」する人は、多分風向きが原発賛成、放射能は怖くない、という世論が主流となれば、簡単に世論に迎合する宗教指導者の姿を模して、同じ口から「放射能は怖くない」「原発賛成」となってしまうわけだ。オレが宗教を信じないのは、こうした霊的なご託宣に拠って教祖が変節しても、その変節を単なる「新たなるステージ」として信者が妄信的に受け止めるからだ。

 早くから会場前に並んでいたために(10番目以内だな)、ホールの最前列の席となった。何故か隣の席が空いていて、そこに原発出前授業を北海道で精力的に行っている川原茂雄さんが座る。いや、久々の有名人である。講演会の最後に川原さんが登壇して、出前の話やら札幌のサウンドデモへの参加を聴衆に訴える。川原氏に頼まれてiPadで写真を撮るハメとなる。Facebookに掲載されている川原氏の正面からの写真は、私が撮影したものだ。

 まぁ、それはともかく、何よりも良かったのは、この講演会で小出さんの前座役を買って出たのが、上田札幌市長だったことである。上田市長は幌延の話がメインである。市長の前は弁護士だったが、弁護士から知事→市長と転じた、どこかの大都市の市長とは決定的に違う。原発訴訟の「敗北」の歴史についても語る。そこから生み出された安全神話への批判も当然出てくる。その中での幌延についての問題。
 核廃棄物の最終処分場として幌延が候補に上がり、現在も試験的と言いながら、500メートルの深度まで掘削が進んでいる。

 幌延といえば、北海道の北、宗谷地方(以前は留萌管内)の町であり、サロベツ原野の南端にあたる。産業は酪農が中心である。近隣の天塩などでは漁業もあるわけだが、人口は確かにまばらである。こうした経済的基盤の弱い地域に、高濃度放射性廃棄物地層処分場が作られようとしているのだが、道東の別海町などと同様に日本としては大規模な酪農が基幹産業であるため、TPPなどによるダメージが大きい地域である。酪農は生き物を扱っているだけに、常に重労働の割りには、牛乳価格の卸値が下がったままであるため、外圧が無くても厳しい経営環境にある。その厳しい経営環境と自然環境の二つの点、後継者の絶対数も不足する過疎の町、という疲弊した地域が更に外圧によって疲弊することは容易に予想できる。その疲弊に、追い討ちを掛けるのが地層処分場である。政府のやっていることは、川に落ちた犬を叩く、ということである。

 地層処分は安全なのか?安全ならば、どうだろう、原発を持つ電力会社の本店地下に大深度の穴を掘って、そこに埋設設備を構築したら良いのである。安全なんだろ?一万年も管理するんだろ?過疎地である現状で、気候も厳しい地域に、継続して常駐するか管理人が確保できるかという問題がある。責任を持った管理人が常駐しない無責任管理なんてありえない危険物なのであるから、本当に「安全管理」が出来て、万一の時にも対応が出来るのならば、管理人が確実に常駐できる各電力会社本店地下に設備を作るのが最適だろうと思うのだが、何か異論が?各電力会社の本店や本店地下は、自前の土地である。田舎に置いていて明らかにたいした安全管理もしなくても大丈夫のものならば、都会に置いても問題無いはずである。

 もはや、原子力マフィアの論理破綻は明らかなのに、この国の政府は再度原子力を使おうとする。これがもはや理解の外である。野田内閣の際、脱原発を閣議決定しようとしたら、米国から圧力がかかったと聞く。立派な内政干渉であるのだが、日本政府は唯々諾々とそれを受け入れた。ここには政治的な圧力に屈した政権の姿はあるが、行為そのものが科学的知見に基づいたものとは言えないのである。

 小出さんの語る言葉は「少欲知足」である。オリンピックでのおもてなし行為が、他文化への無理解でのおもてなしとなる。刺青を一律に禁止する日本の銭湯は、刺青が民族的な伝統や意味を持つ国、あるいは民族がいることを考慮しない。その違いを理解しない。温泉へのアボリジニの人の入浴が拒否されたと聞き、その理由がアボリジニ特有の刺青であったことを聞くに及んで、「日本の常識が世界の常識ではない」ということに思いを致さねば、オリンピックの「おもてなし」なんぞは絵に描いた餅ということになる。

 他者の文化を批判するよりも、「変なことを変」という正直さこそが、この国には必要だ。オリンピック誘致の中で語られる「汚染水はコントロールされている」などと言うウソが日本の「おもてなし」だというのなら、つまりは日本の「おもてなし」は「おもて無し」で「裏ばかり」という話になる。