福生町食堂 そら豆 こまめ

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正直に生きる事

2005-08-14 | 空豆
モノゴコロついた頃から僕はひねくれ者と言われて来た
なんだろう、正直に自分中では生きたつもりです
なので人にぶつかったり喧嘩したりそのわりに、かなり凹んでたり
なら言うなよという感じもする
自分の中の「人として人の中に生きるという事」という言葉がうなりお上げるのだ
僕の格言はこれなんだと思う・・・今思った今気がついたよ
本当に僕は弱い人間だなと構えていられない人間でちっぽけで駄目だなと思っていました

でもある人に出逢い言われました
「本当に心が弱い臆病な人ならもう既に向き合わないでしょ、あなたは向きあえる
傷つく事も分かっている嫌な思いもするでも、何かを変えたい変えないと、自分だけではなく
周りの人達の事まで背負って、いらぬ苦労を買っているのでは?」
そういわれて涙が出そうになった嬉しかった。
そんな、不器用な自分にも腹がたつまだまだ大人になれない自分・・・・・・

コメントをいつもくれている人の中に中学からの親友が居る
その友達に言われた言葉の中に思い出深い言葉がある
「お前はきっと自分の好きなように生きるだろう、俺はお前に様には生きないだろう
器用にも不器用にもお前には俺の無い物があるだからお前とは連絡を取り合おう
お前の人生を見ていたい」
その頃の僕には、意味が分からなかった馬鹿にされているのか?僕は友達の方が
高校・大学と推薦であがっていていい生活なんじゃないか?とその頃の僕は思っていたし
うらやましかった。
だから僕をさげすんでいるのか?馬鹿にされているのか?と、でもそれから何年もたたないうちに
誤解は解けた。
今の生活を見て分かるように僕は、波瀾万丈であるが、それなりには楽しんでいるし
いい人生だと思う、だからといってその友人が不幸せという事ではない
今でもその友人とは逢うし連絡も取り合っている、その友人が千葉に行けば千葉に行く
仙台に行けば仙台に行く、埼玉に戻れば埼玉に逢いにいく、そんな男の親友はなかなか居ないと思う
でも本当に逢えるのは2年に1回逢えばいい方だ。
あの時の言葉を僕は守りたいし、見せたいと思っている
どちらが幸せ不幸せとかそういう小さい事ではない
何あろうとどんな事があろうと背負っている物を時々の連絡の中で、話せる友達というのが
大事なのではないだろうか?
今度の引っ越しで逢えればいいな。
そしたら溜まりに溜まった会話をしよう、楽しもう。
まだ酒を断っているのかな・・・・・

僕は今でもこんなにいい親友をもった事を誇りに思う
いつも迷惑を掛けて、僕の我がままをぶつくさ言いながら聞いてくれた
親友に感謝です
本当に大変な時、死にそうな時に援助をしてくれたり
叱ってくれたり涙涙です
一生の中で一人だけだねこんな親友