part i へ
いそげ !!_part ii
これ以上のしょうげきがおこらないと判断した自動車がやさしいエアーバッグを元の位置にもどしてくれたのでお兄ちゃんもわたしも身動きがとれるようになった。
車内ディスプレイには、いくつかのチェック欄が表示されてる。チェックにそって、妹が、かすり傷一つしていないことを確かめながら、元気づける言葉も、いってくれるお兄ちゃんは頼もしさを感じさせてくれる。
頼もしそうにみえても、抜けてるところもあるので、もちろん、わたしも、お兄ちゃんもわたしも無事だっただろうを落ち着いて確かめる。
ディスプレイに念のため病院へ行くことをすすめるコメントがあった。でも、運転席に座っている人形の分もあって、はりつめた雰囲気をやわらげた。
それで、気持ちが落ちついてきたのか、しぜんに、とつぜんあらわれた暴走車の方を二人でみた。こちら側もそうなのであるが今時の車だけあって、炎上や爆発なんてことはないみたい。
自動運転自動車から出て、ぶつかってきた車の様子をみにいくべきか迷って、お兄ちゃんをみると外の車ではなく、再び車内ディスプレイをみていた。
車同士の情報のやりとりから、外の自動車について調べるつもりらしい。しょうとつ前までオフになっていた、あちらの車の通信機能も緊急じたいで車のコンピューターが自主的にオンにした、ということのようだ。
二台の車は、しょうとつ前から通信機能がオンになっていれば、おたがいが出していた走行速度でも、ぶつかることはなかった、なんて、通信をしてるとお兄ちゃんが、わたしに教えてくれる。
裏山の道みたいな場所には、大事なきのうをオフにして、レースみたいな危険な運転をしようって人もくる可能性があったってことに今さら同時に気づいてお兄ちゃんと目が合う。さらに、おにいちゃんの目もわたしの目も怖い人が出てきたら、どうしようって。
ところが同じようにディスプレイをみて様子をうかがっているのか、暴走車に乗っていた人も車の外に出てこない。
と思ったけど、様子をみているいうわけではなかった。暴走車からの通信内容のつづきには車のボディには少なからず凹みなどこわれたあとがみられるがエンジンなどは無キズで走行に問題はないレベル。ただし、ドライバーは、いしきをうしなっている!って。
向こうの車のドライバーがけがをして動けない状態と分かったお兄ちゃんはインターフェースで暴走車のコンピューターにドライバーについてわかりやすい説明をちょくせつ求めると、打ち所が悪く、一刻も早くお医者さんにみてもらうことが必要だと返事が、かえってきた。返事の文には暴走車のコンピューターが緊急自動車要請をしたかったが、(公園の)抜け道の不認識エラーで・・・・・・。
お母さんは昔から、どうして自動車をつくる会社は、せいげん速度をはるかに上回る速度が出る自動車をつくって売っているか分からないと言っていた。お兄ちゃんもわたしもそういったお母さんの熱い部分も嫌いじゃないけど、いいえ、むしろ素敵だと考えている。だからこそ、熱くお母さんの疑問に、こたえようと思う。
せいげん速度をはるかに上回る速度が出る自動車が求められる場面があって、その時のために存在してもいいはず。
自動運転自動車の自動運転のシステムを暴走自動車に通信で移して、意識不明のドライバーを助手席に移して、運転席のハンドルをにぎり締めるお兄ちゃん。
一方、わたしは運転席の下にもぐり込んでアクセルとブレーキを手で動かすため位置を確かめる。それから、(二つのレバーを間違えないために)ブレーキの方にハンカチを結んだ。
もっとも早く、お医者さんにみてもらう方法は、今すぐ暴走してきた自動車で病院に向かうことだ。
ざんねんながら自動運転自動車の無人でハンドルやアクセルやブレーキなど操作する部分を動かす仕組みを暴走自動車に移すことはかなわない。
しかし、コピーした自動運転自動車のソフトを頭に、文字通り手足のごとく、お兄ちゃんが手として高級スポーツカーのハンドルをにぎり、わたしが足として高級スポーツカーのアクセルとブレーキを両手で押し下げて暴走車改め高級スポーツカーを操作することはできる。
指示はディスプレイに表示される。ハンドルさばきはハンドルのイラストの動きに合わせる感じでお兄ちゃんが右へ左へ回し、たっせい度が毎回、数値で表現されるので百%を目指して動かす。
この毎回のたっせいの様子をコンピューターは次のハンドルさばきの指示にいかすので百%を目指すことでハンドル操作は、しぜんに向上する。
アクセルとブレーキのタイミングは、それぞれカウントダウンでディスプレイに表示されるのでお兄ちゃんが呼び上げる、三、二、一、ゼロのカウントダウンをきいて、わたしがアクセルとブレーキを両手で押し下げたり、放したりする。
アクセルとブレーキを同時に操作することなく、必ず一つのレバーを押し下げたり、放したりの操作ができるよう指示される。
このときの様子をコンピューターは例えばカウントダウンの進み具合を変えるといった指示にいかすから、お兄ちゃんの声の通り手を動かせばアクセルとブレーキさばきは向上する。
それで、どうなったかというと・・・・・・
はじめに考えられていた、暴走してきた高級スポーツカーで病院に向かうこと、というのは、いしきを失っている男を病院へ運ぶことではなかった。病院に向かっているスポーツカーから途中で(緊急車両である)救急車が少しでもはやく医師によるしん察が必要な男を受け取ることを意味していた。
しかし、コンピューターの指示通りに動く兄妹によって操作される高級なスポーツカーは、抜け道を抜けてから送った連絡で、こっちに向かっている救急車と落ち合う地点に近づいても速度をゆるめず、数秒前から、すでにサイレンを鳴らすのやめている救急車とすれちがったのだ。
どうしてか?
およそ三十秒間隔で、スポーツカーのコンピューターから報告される、いしきを失っている男のようたいから、救急車に移さず、そのまま病院向かった方がよいと考えられたのだ。とにかく、高級スポーツカーのそうびは何かと最高級でよかったということか。
時速二百五十キロを超える速度で走行するスポーツカーの先を走って、病院まで案内をパトカーでおこなうのも難しいので、決められた病院までのルートについて、つうか予定時刻に合わせて、交通せいびが行われ、(ブレーキをほとんど使わない)アクセル強弱中心の運転が病院に着くまで実行された。
その結果、事故げん場に救急車が、かけつけた場合や自動運転自動車で運んだ場合、途中で自動運転自動車または高級スーパーカーから救急車に、いしきを失っている男を移した場合など様々なケースと比べ、少なくみつもっても五分~十五分程度短しゅくされたと考えれるタイムをスポーツカーオンリーの選択はたたき出し、一人の男性の健康をまもったのだ。
さらに、蛇足的後日談。
このオンリーな選択が暴走車に乗っていた人が、こうい症も残らずにすんだ、大きな原因であることは誰もがみとめるところである。
そうはいってもである。
スーパーカーから小学生高学年の男の子と低学年の女の子の兄妹が出てきたときは、さすがに大人たちも驚きをかくせなかった。
驚きは、まちがった判断による結果オーライの幸運に恵まれただけではなかったのかという反省にかわり、やがて、小学生の兄妹がしたことをすなおによろこべない感じになりかける。
でも、その感じは、うまくいかなかった場合の責任(が発生すること)を恐れるあまり、最善に向かって何かをするってことに知らず知らずに遠ざける考え方かもしれないと気づかされた大人もあらわれた。
「なぜ、うまく行ったかを考えましょう!」
気づく前の大人が兄と妹にがんばったことをほめたときに、二人は口をそろえて
「「二台の自動車が男の人の健康をまもったんだよ」」
といっていた。つづけて、小学生高学年の男の子がじぶんたちはわき役だったといわんばかりに
「自動運転システムとインホイールモーターの大活躍にワクワクしたよ」
といっていた。目をかがやかせている兄のよこで小学生低学年の女の子は瞳をうるわせながら
「お母さんがオプションのエアーバッグを付けてくれた」
といっていた。
おしまい
設定の変更や衝突場所から病院まで走行の描写など、いつか大幅加筆修正したいです。
00へ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます