「たにぬねの」のブログ

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textotext_16_拙い描写のtext_山雀がくる_パターンb_b面_坂下り端折り版

2022-03-12 10:23:23 | texto
拙い描写のtext
山雀がくる_パターンb_b面
坂下り端折り版

らら
ららららら

 二年連続、健康診断で運動不足を指摘される。割引クーポンが頂けるジムなどに通うことも頭の中を過ったが、この辺りでは小学校に通っていた頃は既に遠足の定番だった山というには些か標高が足りないかもしれない緑地にできる限り毎週行ってみることにした。市内にあってアクセスが良いので大人になってからも二、三年に一度程度で訪れる機会があったりもして駐車場とか、幾つかある山道コースとか分かっているというのが新規の会員証を作るより幾らか敷居を下げさせたみたい。

 最初の二、三回は本当に辛く、割引クーポンに転びかけたが一ヵ月も過ぎると週一位のペースでも体が慣れるのか辛さは随分軽減。加えて山頂で山雀に会えるという楽しみも出来、毎週末の緑地が心待ちになる。半年が過ぎると上り下りで聞こえてくる山雀の鳴き声も分かるようになっていた。地鳴きがどんどん近づいてきて、直ぐ近くの枝からこっちをみているときは山頂同様、近くに来ることが、ときたまあったりして、そのような時は超ハッピー気分になれる(。こちらが単に気付けていないために、ときたまになっている疑惑あり)。

 ある日のこと、週末緑地開始当初の名残である山頂の撮影をいつも通りすませ、降り始めて間もなく、近づいているパターンの地鳴きが。足を止め、鳴き声がした方に視線を向けると数メートル下の木の枝に止まっている山雀もこちらを見ていた。
 スマホを取り出し、左手を伸ばす。
 斜め下から一直線に現れ、止まってくれた人差し指に軽い重みを感じる。用意したプレゼントを一粒咥えると来た方向に戻っていく。止まっているのに気付いた枝を越え、樹々に消えて行くのを見送った

 貯食をするだけなら、早いタイミングで戻ってくるかもしれないので、ちょっとだけ待ってみるが現れず。でも、下から来て下へ行ったから淡い期待をしながら、相当ゆっくり気味に降りる。
 果たして、その場でちょっと待ったのと同じくらいの時間が経っただろうか(って動静で体感時間は異なるだろうから適当で)再び、地鳴きのツピピが耳に届く。目の前の枝に止まっていた。うれしさで勢いよく手を差し出したせいか、下へ奥へ飛び去る。でも、止まった(枝)先は見える距離だ。手を差し出した姿勢のまま、できるだけ動かないように視界の隅で見る感じで待っていると・・・・・来てくれた。一粒咥えると例の軽い重みを残して、勢いよく手を差し出す前に来た、目の前の枝に止まる
 そして、器用に殻を割って食べ始めた。このまま眺めているのも楽しいが降りても来てくれるかどうか確かめたくなる。二度あることは三度ある or 三度目の正直(いうとヒトがコワイとか おなかいっぱいとか 十分貯食したとか)で来ないか? 

 三度ある! 近くの木の目線よりやや上の枝に止まって、こちらを見ている(。鳴いたかもしれないが鳴き声なしで気付けた)。
 手を広げると直ぐに飛んできたから共同作業をスムーズにできた気持ち良い。止まっていた時間は短かったが全体的にスリムな山雀の中でもよりスラリとしたスタイルで右胸辺り(嘴から胸にある▲底辺向かって左側)の濃いグレイの点々な感じや頭頂の白い筋の細さなどから三回とも同じ山雀だと思う。手を広げて直ぐ来てくれる馴れた感じも同じ(個体)である示唆と取りたい。
 三度あることは四度あったりするのか(、次があっても、この言い回しは今回までのつもり)?

 淡い期待をしながら、ゆっくり降りる。上方からこちらへの地鳴きが一、二度。見上げるが見つけられず。
 でも、手を広げる。真上から来た。文字通り降臨。摘まんで飛び去る
 はじめの2回より、直近2回の間隔が短くなっている。移動しているこちらを見つけることになれたとか貯食して、で、また貯食したくて、直ぐ来ているのかも。

 今度は先ほどと同じくらいの時間間隔で近くの木の目線上の枝に止まって、手を広げると降りて来て、横?水平?方向に、そのまま樹々に飛び去った
 飛び去ってから数歩降りただけで現れた。あまりにも急だったので録画開始ボタン(アイコン)を押すのが遅くなってしまった
 はじめの貯食から、ここら辺で貯食していて、こちらが降りてくることで往復時間が短縮されたのかもしれない。全然、見当外れかもしれないが。

 さっきほどではないが最初の頃に比べれば、今度も早く戻って来た。しかも、気付き易い高さの枝に止まってくれる。(今、限定で)馴れたのか、鳴く手間も省くためか(、たまたまなのか)。
 食糧を咥えた後も、食べるにしても貯めるにしても場所を決めているのか馴れた感じで勢いよく飛び去って行く

 再び来てくれた。それにしても、改めてというか毎度思わずにはいられないのだが、なんて軽いのだろう。
 そして、なんて痛くない爪なのだろう、しっかり止まっているにもかかわらず。これまた推測の域を出ないが、こちらを気づかってかあまり爪を立ててない。飛び出しですら痛みのベクトルはない

 って、ここまで何回来てくれてるっけ?五回を数えたのは確かだけど、いくつだろぅ(。x度あることはx+1度あるパターンを続けておけばよかったかな)。
 なんて考えてたら近く上方に気配。っていうのも山雀は他の野鳥に比べるとヒトが気付くよう枝に止まってることが多い気がする。視界に入った何回目だっけの山雀に反射的に手を広げて(、慌てて録画アイコンを押すも起動までのタイムラグで手に来てからの撮影になってしまった。ともかく、)今度は下の方に飛んで行ったなあ
 鵯も個体によっては視線があっても逃げないけど、基本、野鳥って稀に視線が合うや否や逃げるか、そうだ、たまに直ぐ飛び立たなくても、こちらを伺ってる感じがあるけど、近くに来てくれる山雀には構える雰囲気がない気がする。

 って、来ないなあ。

 数分経った。感覚では最初の一、二回の時間間隔と同じくらいを過ぎた(あくまでも感覚)が現れない。ついに終わってしまったか。
 未だ、終わって欲しくないの気持ちで、ゆっくり下る歩を止めて待つ。功を奏したわけではなく、これまた、たまたまだろうが立ったままキョロキョロしはじめて一、二分も待たずして、山雀の鳴き声!
 普段、呼び寄せる行いとしているわけでもないが待ちわびた感情の表れか、数粒の種を持った手を挙げ開け、もう片方の手では種の入った容器を振って音を出す、なんて行動を自ずとしてしまった。
 (手のひらに、また、)来(てくれ)た。案外、向こうも探したのかもしれない。確証はないが、同じ個体かな。近くの枝に止まってお食事をはじめた。

 このまま食べ終わるの待っている方が引き続き来てくれる可能性が高そうではあるが、また、終わってしまったかと気持ちが沈む体験をしたばかりであるが単純に何回も来てくれるより一緒にどこまで下山してくれるかの奇跡(って大袈裟かもしれないがそんな気持ち)の真っ最中なので
ゆっくり、ゆっくり降りる。木に止まっている山雀をみながらなので、止まって待っているのと同じかもしれないが(いんちきかな)。

 食べ終わったのか、上部をふりふり。嘴の左右両面を拭っているのだろう。
 こっちが見ている位なので向こうには目の前位の感覚なんだろうなって思いながら・・・・・・枝を飛び出したかと思うと真っ直ぐこちらに飛んでくる軌道。飛んでくる勢いなんて表現があるが本当の飛んでくるの体験だ。

 こちらが見惚れていたせいか、せ近くの枝に一旦とまって、慌てて広げた手に止まって、二つ目を咥えて飛び出してった

 近くで貯食したのだろうか、今度は随分早く来てくれた。さっきも思ったし、よく思うことだが気付き易いところに止まる。止まった枝から近くの目線くらいの高さの枝に止まりなおして、こちらとしてはアイコンタクトができた気になる。
 食べものを咥えると前回と同じ方向に飛んで行く。 貯食ポイントは色々あるのだろうか。
 アイコンタクトができた気分を鵯と目が合って逃げないときには感じられない。
 完全に主観というか私的印象だが、鵯はコワクありません!って感じで、山雀はトモダチだね!的に思えてしまう。印象の違いは何って聞かれても分からないし、単にサイズの違いでそう思うだけじゃないって言われても否定できない。でも、山雀が来てくれた体験をしたヒトなら、山雀はトモダチだね!的に思えてしまう ってのに同意してくれる方も少なくないのではないだろうか。

 トモダチだね!的に思えてしまうってことで思い出すのは山雀の芸。と言っても、直接見たわけではない。山頂で山雀に会える楽しみができて以来、何かと山雀について調べる中で知ったことだ。でも、その際にヒットした おもくじ芸 は時代劇のワンシーンとして見たような気がする見覚えはあった。恐らく、古い映画をテレビでやっていたのを見たんだろう。なぜ、近頃は見ないかってのは法的な影響が大きそうだということを何かと調べる中で強く受けた印象。そんなことを思い出していたら、近くの上の枝に来てくれた。。降りて来て、人差し指と中指の先に止まって、登る方向へ。トモダチ と 芸 って違和感がある並びだけど、山雀の人懐っこさが可能にしてくれたなって、飛び去る山雀を見ても思えてくる。

 昨日今日、あるいはどんだけ遡ってもせいぜい半年足らずの山雀交流歴のにわかな私ですら感じるのは
一言でいうと、山雀と日本人の歴史、
端的に表すなら、その歴史、この伝統を終わらせてはならないって思ってたら、来てくれたぁ、からのすれ違いの方も現れて慌ただしく録画

 何を熱くなっている血迷ったかな思考になってしまっているが
健康診断の結果を受けて、気紛れで通い始め、これまで野鳥をみる習慣はおろか、鳥に興味を持たなかった人間が
この様に山雀と戯れさせていただいていいのか、山雀から癒しを貰っていいのかってことです。
 歴史や伝統なんて、ごたいそうなワードを持ち出すのもこれまで山雀と日本人の交流があったからこそ、
にわかの私の手に・・・・・・(また、)来てくれた
 さっきはヒトとすれ違って慌ただしくなってしまったので、直ぐに来たのかも。

 とにかく、私は運がいいだけ。にわかにかかわらず、山雀と交流ができる。
 だから、歳月が流れ、私のように健康診断の結果を受けて、気紛れで通い始め、これまで野鳥をみる習慣はおろか、鳥に興味を持たなかった誰かにも山雀と交流する機会に恵まれて欲しいと思う。
 近年の山雀と日本人の交流とそれ以前との交流に大きな差がなければ、杞憂なんだろうけど・・・・・・
 山雀か山雀に詳しい人に尋ねれば分かるかもしれないが、にわかな私からは答えが出ることはない。なんて、思考が熱くなっていたから気付くの遅れて開くまで待って貰う。ロープでどこに貯食しようか思案かな?

 とっくに、半分以上降りてきたかな。それにしても、まさか、こんなに続くとは。
普段は多くて数回程度往来してくれる山雀。場所は山頂や山裾から少し上った位が多いけど、登り降りの途中のときもあった。
 いずれにしろ、今回みたいに移動しながらなんて、思っていなかったから・・・・・・そうでもないか、
はじめのころ、どこまでかやってみたことがあったっけ。数値的なことはいえないけど、この下りの出来事は異例な気がする。
 でも、山雀に触れあう機会に恵まれてから、家などで山雀について色々調べたな。
だから、こうして、思考が熱くなってしまった、否、なれた。おかげで、今までブツ切れで思っていたことについて
繋げてみようって考えが生まれた気もする。
 ということで、来てくれる間、このまま思考を続けることにしよう。
 芸という文化のことか、どのように日本にやってきたかの分化のことか、それとも・・・・・・きた!

 この緑地で山雀と四十雀をよく見かける。日雀や小雀(は混群でらしき)でたまにお見かけする程度。それぞれの鳴き声は似て非なりなツピ系で同じカラ類なんだなと改めて思う。また、山雀も四十雀も肢で抑えた食べ物を細めの嘴を使って実に器用に割り、プレゼントを召し上がってくれる姿からも同じカラ類なんだを感じる、太めの嘴で殻を砕く鳥たちとは随分異なる食べ方である。
 それにしても、山雀と四十雀の柄、色のレイアウトは全然違っているから、嘴や鳴き声のことを知らなかったら同じ仲間とは思えない。もちろん、色合いで近い種か否か当てにならないことは、よくあることなので驚きには当たらない事実に過ぎない。
 それにしてもというか、だからといって、山雀と四十雀の柄、色のレイアウトは全然違うという印象はそのまま。
 山雀特有の(ツツピの地)鳴き声だ、呼んでくれた(気になる)! って、見上げながら手を差し出すも、いないと思ったら、こっちか(ごめんごめんで手を画面の左から右へ移動)。

 ヨーロッパの方にはお腹の色が緑っぽい四十雀がいるらしい。日雀は四十雀と似ている印象だ。小雀もヨーロッパに同じ(様なの)がいる。
 一方、大陸北寄りの出身ではないということなのか、ヨーロッパの方に山雀っぽいカラ類はいないみたい。調べたら、フィリピンにいるシロビタイガラというのが遺伝的に近い種らしいが最初に写真を見たときは全然似てないじゃん!だった(から以来、シロビタイガラの写真など長い間みなかった。つい先日、改めて二種をチラッと見比べるとお顔の白い部分に双方面影あるかもと思いはじめたので、調査継続中!?)。など、思い出していたら、なんとなくの位置のグーの手に止まったので、慌てて広げる。

 四十雀の性格がとても慎重なんて文意の文章を複数見た覚えがあります。さらに、その対比なのでしょうか、山雀の積極性が並べるように書かれてたりします。実際の二種を見ているとこれらの記述がぴったしだと思う場面に出くわします。
 それで、随分愚かな印象を最初からしばらく持ってしまった・・・本当は言いたくないのですが、
 あろうことが山雀の積極性を賢くないから単純に食べ物をくれる存在に警戒心もなく来るんだと思ったのです。
 もちろんそんなことはない!
 山雀も四十雀も大変賢く、その賢明さ故に山雀は積極的に四十雀は慎重に振る舞っている過ぎない、それは、しばらく見ているれば自ずとそれぞれの振る舞いから感じ取れること。そもそも、ヒトの概念からの賢さなんていうのが愚かな物差しなのである(が、それを気にすると前置きがやたら長くなってしまうだけなのでヒト的賢いで中らずと雖も遠からずで読み進めて欲しい)。
 もっというなら、山雀も四十雀も個体差は相当あって、山雀だってヒトに近づかない個体もいることだろう。四十雀も然り。来てくれる山雀だって、毎度毎度現れるわけでもないだろう。傾向に過ぎないってのはヒトの個人差を加味した傾向と同様であろう。
 今も適切な判断の下、来てくれているに違いない。もちろん、具体的にどう適切なのか愚かな私が把握できているわけはないけど。

 心理学の授業だったか、兄弟姉妹や双子で性格・行動が正反対になる傾向にあるって聞いた覚えがある。
 片方が前に出れば、もう一方も張り合うように前に出るより、一歩引きがちになるだろう、一事が万事や繰り返しの蓄積で正反対の傾向が成されるって説明だったかな、とにかく納得できる内容だった。
 山雀と四十雀もそんな感じなんだろうって思う。いつの間にか視界に入る枝に止まっていたので手を広げる

 それで思い出したのはヨーロッパの方の四十雀。あちらの四十雀についての記述をみていると貯食したり、積極的だったりして山雀みたい性格なんです。もちろん、書いてあるのを見ただけなので実際のヨーロッパの四十雀を見たときの印象が山雀っぽいと感じるか日本の四十雀っぽいと感じるか本当のところは分かりません、なので一旦、山雀っぽいてことだとしてって、(思ってる間に山雀、)来た。緑地もだいぶ降りたけど、ここまでご一緒できるなんて想像できなかったよ!

 それでpart IIどうして山雀が積極性がある傾向に落ち着いたか、気になったんです。
 なかなかの頻度で山雀と四十雀と雀が交錯するところがあって、ご多分にもれずサイズが大きな顔をできるみたいで追い出す、横取りを狙うなど雀がなかなかのギャングっぷりを発揮してました。といっても、敏捷性や飛行能力などは山雀や四十雀のが明らかに優れているので、直接的なアタックは滅多に受けてないみたい。
 では、山雀と四十雀は?
 直で来たのか、気が付かない風なヒトを待てなかったがグーに止まったのでパーにする

 サイズ的に山雀と四十雀は同じくらい。本やネットなど記述では、山雀のが大きいも四十雀のが大きいの両方を見たことがある。僅かな鳥見歴で思うのは四十雀のがサイズのばらつき、大きさの個体差の幅がある印象を受ける。って、結局、どっちが大きいか小さいか自分なりの意見を持てないのですが。
 で、ちょっと前に触れた 山雀は積極的で四十雀は慎重 です。山雀のが明らかに大きければ四十雀に対する積極性も頷けるのですが・・・って、こうして重みを感じられるのは積極性の恩恵です。
 それにしても、もう山裾、ほとんど降りちゃったよ。

 山雀が四十雀と比較して積極性が目立つのがサイズ的なものでないとすれば、時間(時系列)的とか能力的なんてのが理由の候補に考えられそうだから時系列絡みで山雀の分化について知りたくなったワケの一つでしたね。来た来た

 四十雀ちゃんも大好きなのですが判官びいきならぬ山雀贔屓、親バカならぬ山雀バカとしては、山雀ちゃんのがいろんな面で長けているようにみえ、それらが今日の日本における二種の有り様に反映してると思ってしまう。なのに改めて山雀の分布を思い浮かべると日本列島や朝鮮半島・・・・・・立ち止まる私に来てくれた。

 だから、素人考えな希望的観測をすれば山雀は日本を起点に広がっているのではないかと・・・・・・二つの山道の分岐点でこれより下はヒトも増えてくるから、ここで名残を惜しんでいると

 少なくなったとはいえ、まだ食糧の持ち合わせはある。けれども、ここら辺が潮時だろうと次を最後にしようと決める(って来なかったりするかもだけど)。ここまで、思いつくまま山雀のことを思い出してきたから本当に支離滅裂な考え事の羅列をしながらの山下り。なかには忘れかけのこともあっただろうし、もう少し続けていたら思いだしたこともあっただろうから、脳内の山雀に関する記憶のリフレッシュが出来たことにしておこう。って最後に、ふと、この山道で巣立ち山雀を見た時のことを思い出した。

 成鳥とは違い全体的にグリーン濃淡でまとめられた配色は若さを感じさせるばかりか顔つきも幼い。晩成性というのは、どの種もカワイイ顔立ちである。まだ、自分では食べ物を獲得できないから(私の手から得た)食べ物を木枯らし紋次郎の楊枝の如く斜めに咥え飛んで行く親鳥を追っている巣立ち鳥達。

 これほど、長い距離をつきあってくれたのは、至れり尽くせりの幼い頃を懐かしんでいるのかもしれない、と。
 勝手な想像で勝手に親鳥気取りでいると期待を裏切ることなく来てくれた。足早に分岐の場所を後にした。
 fin.


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