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タンホイザーゲート付近より入電Ⅱ

丹後(16)限定公開!舞鶴赤れんがガイドツアー

宮津から舞鶴にワープしましてぇ

レンガ倉庫群のとこ来ました。

ここ、なんかいいね。

なんか知らないが謎の列が増殖中。

 

 

で、今日はですね

限定公開!舞鶴赤れんがガイドツアーに参加することにしておるのです。

待ち合わせ場所に集合し、首から下げる名札をもらって、ツアースタート。

まずは、舞鶴の歴史などのレクチャーを受けます。

 

明治34年に鎮守府が開庁されるまでは、小さな寒村に過ぎなかった舞鶴だが、海軍の総司令部樽鎮守府を整備するにあたってその町から計画的にデザインされ街づくりが進められれた。

碁盤目状に張り巡らされた道々には当時の主力戦艦の名が冠されている。「三笠」通り、「初瀬」通り、「朝日」通り、「敷島」通り。。。などと。

と、ひとしきり話を聞いてふと振り向くと、なんだかスゲー行列。

なんだろこれ。

先ずは5号棟の見学から。

5号棟は比較的新しく、大正時代の建築。

中の柱までレンガ積みなのが珍しいですね。

あとこの天井クレーンのレールは当時から使われていたのでしょうか。木造レール。

二階は何があるのか気になるけれど、

現在は二階の見学はできないそうです。

こちらは明治時代の建築。鎮守府のうちでは比較的古い建物。

 

そして今回のガイドツアーでは、その一棟に入らせてもらえる。

鎮守府の岸壁から続く線路は弾薬などをトロッコで運ぶためのもの。

そうここは、弾薬庫だ。

建物が古く、補修もされていない。文化庁の管轄だから。

さっきの五号棟は舞鶴市の管轄なので手入れされているが。

行政区分の妙というやつか。

赤レンガロード。

前に続く赤白のラインは運搬用線路の名残だが、この発掘と整理も中高生をはじめとした舞鶴市民が行ったのだとか。

赤レンガロードの同じ並びだが、建物の様式が少し異なる。

こちらは大正時代の建築。

明治時代建築分のほうが少し装飾的で、大正時代は機能的なのだとか。

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