盛夏炎天下、瓜割清水(うりわりしょうず)で束の間の涼をとり
戦国城下町一乗谷を歩く隊(いつの間に?)は最大の難所であり、見せ場へ向かいます。
冒頭の写真の戦略的に掘られたV字谷を登ります。
案内人さんの背中を追って這い上がると、南陽寺庭園跡
朝倉義景が室町幕府15代将軍足利義昭を迎えて、糸桜の観桜宴でもてなしたと言われています。
後世に遺構はずいぶん破壊されて現状では小規模になっています。
底から、もうひと踏ん張り上がると、朝倉館跡
屋敷は山を背に(ぶ~たん一行が登って来た山)
他の三方(南、北、西)を土塁、その外側を濠からなる堅固なもの。
同時期のの京都の細川管領の屋敷にも負けない規模で当時の隆盛ぶりを感じます。
写真の部分は常御殿で当主のプライベート空間で、台所や湯殿の後もあります。
下の左手前の部分が、花壇を挟んで主殿(しゅでん)と言い、外交の場、接客の場です。
会所(泉殿)、数寄屋(茶会用の部屋)、庭園、花壇からなり、
足利義昭が京都から訪れた時も、茶の振る舞いなどをしたのでしょうか?
館跡からは箆やまな板、ガラス皿、白磁鉢や将棋の駒等様々なものが出土してます。
(記念特別展の図録(1200円)おススメです。)
ぶ~たんのツボにハマったのが毛抜き。
当主義景が、常御殿で将棋を刺しつつ花壇を眺める
また、縁側で一人花壇を眺めつつ毛抜きで・・・
凄惨な最後を迎える当主の平平凡凡な暮らしぶりを想像すると
500年以上前もここで多くの人が同じ様に生きていたのだなと、感慨深いのです。
戦国城下町一乗谷を歩く隊(いつの間に?)は最大の難所であり、見せ場へ向かいます。
冒頭の写真の戦略的に掘られたV字谷を登ります。
案内人さんの背中を追って這い上がると、南陽寺庭園跡
朝倉義景が室町幕府15代将軍足利義昭を迎えて、糸桜の観桜宴でもてなしたと言われています。
後世に遺構はずいぶん破壊されて現状では小規模になっています。
底から、もうひと踏ん張り上がると、朝倉館跡
屋敷は山を背に(ぶ~たん一行が登って来た山)
他の三方(南、北、西)を土塁、その外側を濠からなる堅固なもの。
同時期のの京都の細川管領の屋敷にも負けない規模で当時の隆盛ぶりを感じます。
写真の部分は常御殿で当主のプライベート空間で、台所や湯殿の後もあります。
下の左手前の部分が、花壇を挟んで主殿(しゅでん)と言い、外交の場、接客の場です。
会所(泉殿)、数寄屋(茶会用の部屋)、庭園、花壇からなり、
足利義昭が京都から訪れた時も、茶の振る舞いなどをしたのでしょうか?
館跡からは箆やまな板、ガラス皿、白磁鉢や将棋の駒等様々なものが出土してます。
(記念特別展の図録(1200円)おススメです。)
ぶ~たんのツボにハマったのが毛抜き。
当主義景が、常御殿で将棋を刺しつつ花壇を眺める
また、縁側で一人花壇を眺めつつ毛抜きで・・・
凄惨な最後を迎える当主の平平凡凡な暮らしぶりを想像すると
500年以上前もここで多くの人が同じ様に生きていたのだなと、感慨深いのです。