いろいろな物事がシンクロしているなあ。人間は自分の視点でしか見られないから当たり前と言えば当たり前なのだけど、学びのタイミングをいただいています。そしてスルーせずに立ちどまれる時間があることを感謝します。
何で展示をやめてしまっていたかというと、このところのテーマでつぶつぶタンタンに綴っていることともシンクロしていることが理由です。
先ほど書きかかった、何で展示活動をしなくなってしまったか、描かなくなってしまったかという話。
⇒ 【表現】アートコンフューズ番外編8、どうもありがとうございます
このところ綴っている、セルフイメージ、自己肯定感が原因です。
ご縁でクリスマスにドイツで作品を展示させてもらったとき、作品が逆に展示されてしまったのです。あーやっぱりあたしの作品がよくなかったんだとおもって、自分が傷ついてしまいました。
それは明らかに主催側の落ち度ではありますが、自分に自信がなくて、自分を責めてしまいました。あたしの絵が変だったからだろうなあと。傷ついて絵を描くのが怖くなってしまう。そういう発想になるのは、自身のベースとなる自己肯定感の低さゆえです。
ここ数年はこの事件ついて、あの頃のあたしはまだ絵について自信も実力もなかったからだろうなあ。今はそうおもわない、とおもっていました。
でもね、それもあるけれど、そうじゃないんですよね。実力があろうがなかろうが、経験があろうがなかろうが、関係ない。もっと根本的なそのままでもまるっと自身を肯定してあげる自己肯定感の問題だなあと、気づきました。
スキルや能力、やっていることをもとにする自己肯定感は、大切だけれど、もろくもあるし、衣装なのです。もしそれを続けなくなったら、何かの拍子に評価されなくなったら、やっていることに基づく自己肯定感は崩壊してしまう。
そうじゃなくて、なにもしていなくても、ただ当たり前に存在する、自分を肯定する気持ち。そっちのほうが強いです。
こういうのは自己肯定感がないと、何かのタイミングで自滅してしまいます。
あたしの絵画もそのひとつです。
誰かから心無いことを言われてしまったときとかも、大きくとらえてしまう。
実際あたしの場合は、ちょうど同じ時期に、ある方にされたある対応に傷ついてしまいました。同じく絵画の現場です。
そして展示をやめてしまったのでした。
人生において、他にも同じようなことを繰り返してきています。
ということに気づいた最近でした。
これでもだいぶ、だいぶ、よくなった。うんよくなったけれど、いまはさらに癒してあげるタイミングなのでしょう。
今日もあなたにとってよい日でありますように。あたしにとってよい日でありますように。地球にとってよい日でありますように。
どうもありがとうございました。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
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