持病のある愛猫が体調を崩し、入院した。1泊で帰っていてひとまず一緒にいられてうれしい。本当に人生考えさせられるよ。
獣医師さんと話したかったこともあり、夜に友人たちと約束があったのだけれど遅れていくことにした。
無事に話をして、その後に世界堂で紙を買ったら、ご親切にしてくれるがゆえに若干手間取り、友人たちに会うのがかなり遅れてしまった。店員さんから描き方の新しいアイディアをいただけたのはよかった。
短い時間だけれどみなに会えてすごいよかった。元気になった。
よい気分転換になったし、キャピキャピしていると心が明るくなる。キャピキャピというお年頃でもないのは承知しているけれど、それにしてもあたしは普段あまりにキャピキャピしないので、彼女たちに会うととてもリフレッシュされる。
今日は気持ちを切り替えたかったから遊びに行ったのと同時に、実は友人のひとりにどうしても伝えたいことがあった。
先だってあるイベントの中で彼女の歌を聞かせていただいたとき、とても感動したのだ。胸に響いた。そのことをどうしても直接伝えたかった。
あたしは歌うのが苦手。カラオケも数えるほどしか行ったことないし、行ったとしてもほぼ歌わない。下手だし、相手にどうみられるかすごい気になるし、歌っていて、自分で自分の歌声を聞くのも、緊張しているさまをみせているのも、すべてが恥ずかしい。
けれども彼女の歌を聞いたときその歌声が胸に響いて癒された。
それと同時に、あたしってなんて狭量なんだろうとおもったのだよね。
何というか、「歌いたくない」という気持ちは自分本位のもの。自分が中心になっていて、自分が相手からどう見られるか、そのときの自分の気持ちがどうなるかということに重きを置いている。
一方、彼女の歌は、自分のすべてを賭けて歌っていて、なんというか相手に任せていたんだよね。相手への愛、歌うという行為への愛、そして自分自身への愛をすごい感じた。あたしは出すよ、受け取ってくれればうれしいなという感じ。でも聞き手に何も要求しない。押し付けない。表現ってそういうもんだよねとおもったのだよ。
もちろんこれはあたしの勝手な見方であり、ほかの方が聞いたら違うように感じただろうし、彼女自身もまったく別のことを意図していたかもしれない。でもそうおもったの。
あたしがどう思われるかなんて、どうでもいいよー、何やってんだろう、とおもったのだ。
彼女の歌声に心底癒された。すばらしい。
今日はたまたま帰り道がみな同じだったから、お気に入りのスポットにみなを案内してみた。ものすごいスピリチュアルだから引かれるかもなという気持ち半分、でも好きそうな気もしていてだから何かお礼がしたいなという気持ち半分。
楽しんでくれた、、、ようだからよかった。
案内することにけっこう緊張したらしく、帰宅してからずいぶん長い間、テンションが高かった。
このスピリチュアルな面を出さないようにする生き方はいったいいつからなのだろう。昔からずっとのものと、ここ数年でかえってもそうなったものと両方あるから、時間を見つけてひも解きたいなあ。
ではまた
◆臼村さおり twitter @saori_u
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