Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

Kansas City~Oklahoma City

1975-06-25 | 全米旅行(Oklahoma)

お元気ですか?
再び顔を出します私目は今やOklahoma Cityにおります。
昨日Kansas cityを出て、朝6時にここに着き、ろくに眠りもしなかったので目が開きません。

Kansas Cityでは、YHに泊りました。電話をしたら、予約もしてないのに(今まで全部そうですが)歓迎してくれて、Grand Viewというところまで来たら迎えに行ってあげる、とまで言ってくれるので大感激。お昼ごろ行くと、Grand Viewという所はだだっ広い白い道路わきの小さなバス停で、そこで待っていたら、小型のバスで迎えに来てくれました。若い奥さんと8歳の女の子で、感じも良いので一安心。バスでガタガタ道を行くこと15分。森を抜けて、坂を上った丘の頂上の一軒家でありました。
こんなところでは、バスもなにも走っておらず、迎えが要るわけです。大きな家の1階をYHで、2階には家族が住んでいました。

小さな女の子のAnnは体操の学校に行っているとかで、身軽なアクロバットを見せてくれたり、ドアや戸棚によじ登ったりしてはしゃいでいました。
Brooklineでのあのひど~いYH並みのを想像していただけに、ここは私たちには天国でした。ちゃんとベッドには毛布も枕もあるし、綺麗にしてあるし、オーブンも使わせてもらえます。それで一泊1.50ドルなのよ。Brooklineでは3ドルもとられた!!
他に泊り客は誰もいず、我々だけだったので、応接間を占領して、TVまで見ちゃいました。

ところが、長あれば短ありで、こんな山奥ではペアレントの人が車を出してくれなければ身動きもできないのです。外にも行けず、置いてある雑誌もTVも見飽き、手紙もしたたか書いたし…ついにやることがなくなって、2人でなんと8時半にベッドにもぐりこんで寝てしまいました。ばかみたい。

翌日は、バス停まで送ってもらって、Kansas Cityに出ました。バスで隣り合わせた気の良いオジサンと話したら、その人は脳の病気で、病院からの帰りなのですって。お医者さんは手術で50%治るが、50%はビッコになるというので、受けないことに決めて、今ピンピン生きているんだから気にしないんだ、なんて言っていました。なんだか気の毒になりました。

Kansas Cityとは言っても、カンザス州ではなくてミズーリ州側のKansas Cityです。なにも見る物がないので、まずLiberty Memorialという所に行ったら、独立戦争で戦死した人のための碑があるだだ広ーーーーーい、というだけの場所なの。お昼を食べて、芝生に寝っ転がるだけで帰ってきて、次にCountry Club Plazaというショッピングセンター(原宿みたいなところ)に行き、ウィンドウショッピングをしました。バス停に5時半頃帰ってきて、暇をつぶして9時発のバスを待ち、今朝ここに着いた次第です。

今日は日中Oklahomaを見て回り、夜中のバスでDallasに行きます。ヒサミの友達の家に一泊し、明後日はWandaの家のあるSan Antonioに行きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今は夜の8:40です。一日がかりのOklahoma City見学から帰ってきました。
朝、駅内にあるTraveller's Aidの所へ行って、観光に良い場所はないか、と聞いたら、そこにいた女の子が、外国人学生のためにはfreeで市内案内をやるボランティア活動があると言って、いろんなところに一生懸命電話してくれ、ついに係りの女の人を1人見つけ、市内のmuseumやcapitolの入場券までタダでくれたの!驚きでしょう?ただ外人であるというだけで。

やがて50歳くらいのきびきびしたオバサンがやってきて、「Billy-Jean(King)ならぬ、Mary-Jeanと呼んでくれ」なんて自己紹介して、さっそく私たち2人を車でCapitol(州議事堂)に連れて行ってくれました。こんなに調子良くていいのか?と思うくらい。Capitolでは女の子が私たち3人だけにガイドについてくれて、ハキハキとした説明で裁判所から州会議所まで、全部案内してくれました。

そこが済んでから、Mary-Jeanが昼食には日本食がいいでしょうと、「Tokyo Garden」という店に連れて行ってくれました。もうすぐランチタイムが終わるので、客は我々3人だけ。日本人の経営している大きな大きな日本料理店でした。広い座敷まであるの。もっとも、メニューはチャーハンとかチキンフライとか、中国料理のようなものですが・・・

店に入ると、日本人のオバサンがたくさん働いていて、私たち(私とヒサミ)が日本語でしゃべるのを聞いて、むこうも日本語できました。聞くと、アメリカに20年以上も住んでいるとか。日本が懐かしいらしく、1人のオバサンは一緒にカウンターに座りこんで、関西なまりでいろいろしゃべってきました。Mary-Jeanにはさっぱりわからないので、私が通訳してあげたりして、まるで彼女が日本に来て私たちが案内しているようでした(笑)。
3ドル近く取られる食事をしましたが、それだけの価値がある素晴らしい料理で、久しぶりに(いつもピーナッツサンドしか食べていない)お腹一杯、美味しいものを食べて大満足。お茶もおすましもエッグロールもチャーハンも、みんな美味しかった!日本食ってやっぱりいいですね。とても感じの良い店でしたが、こんなcountry sideに、こんな立派な日本料理店があるなんて、うそみたいでしょう?

そこを出てから、Oklahomaの歴史的に有名なWestern Heritage Centerに行きました。
私はOklahomaって中部の何の変哲もない州かと思っていたのですが、Indianがあったり、西部色の強い州なのですね。このCenterは最高に面白くて、興奮し通しでした。地下は全部TVや映画でみるWesternの街の作りになっています。Tavern、gun shop, photo shop、薬屋とか、古い西部の街がそのまま再現されて、西部スタイルの等身大の人間もたくさんおり、すっかり西部劇の中にいるみたい。本物の大きさの馬もたくさん置いてあります。酒場では、例の両開きのドアを押して入ると、ウェスタンミュージックが自動的に流れてきます。
地上階では、インディアンの作品や生活を現した絵などで一杯でした。わ~やっぱり西部っていいなぁと思いました。
私が小さい頃から知っているアメリカの姿がここにあるみたいで・・・早くTexasやArizonaに行きたくなりました。

そこを出てから、Mary-Jeanは我々をOklahoma City zooまで送ってくださって、彼女は車で家に帰るのでお別れしました。
Zooといっても、日本の比じゃなくてとっても大きいの!午後6時に入場は終わるけど、出るのは日が暮れるまでいつでも滞在自由というので、ヒサミと2人で一周見て回りました。日本のように狭苦しい檻に入れられているのではなく、広々とした草原に柵がしてあるのです。キリンや象なども自由に草を食んでいます。ちょっとアフリカにでもいる感じでした。

7時半頃までウロウロしていて、さて出たら、驚いたことにもう最終バスは終わりだというの。焦りました。タクシーも呼べないし、どいうので、ついにさっき別れたばかりのMary-Jeanに電話して、Help!と叫んだら、何のイヤミも言わずに来るまで飛んできてくださり、バスステーションまで送ってくださったの。
ただのボランティアなのに、ひたすら観光客を楽しませようとする一心で、本当に親切なのです。大感激しました。
Oklahomaでは良い思い出だけ残りました。

それでは、またね。明日はDallasです!