Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

Xmas休暇(9) Washington D.C.へ

1975-01-13 | クリスマス休暇

お元気ですか?昨日Cherlotsvilleのカントリークラブから大学に戻ってきました。今日からいよいよ2学期です。パンタロンと小包は届いていました。それから12月20日付と1月6日付の手紙も来ていました。そのほか、12通も手紙がたまっていました。

私はRoanokeからMrs. Klousの友達のMr. & Mrs.Manning(2年前までCounsel Generalとしてバーミューダ諸島にいた人です)の家のあるMarylandのPort Republicというところへ泊まりに行き、そこからAnnapolisNaval AcademyやWashington.D.C.を見に行きました。White Houseや Capitol はもちろん、Monumentも見ました。15、6年前にチコタンもここへ来たわけですね。月日のたつのは本当に早いですね。

【Wahington Monumentにて】クリックで拡大
    

【University of Virginia】
   

【Atrantic City(大西洋です)】

それからMrs.Manningの息子さんのKirkという弁護士の卵がWashingtonの新しいビルにオフィスを持つと言うので、そのビルを案内してくれました。そこからだと、Washingtonの町が一望の元に見渡せます。NYとちがって、清潔な感じのする町で、とても気にいりました。

そのあと、Mrs.KlousとChaerlottvilleのFirmington Country Clubに行って、一泊(パーティーをしたの)して、大学に帰りました。

また落ち着いたら、このことも詳しく書きます。またね。


Xmas休暇(8) Johnと映画

1975-01-07 | クリスマス休暇

朝目を覚ましたら、なんと雪景色!昨日はとても暖かかったのに、この季節はとても天気が変わりやすいそうです。 9時半頃降り出したのですが、お昼までにはすっかり積もって、今では一面真っ白です。雪はステキですが、明日のワシントン行きを考えると憂鬱です。あまりひどかったらあきらめなくてはなりません。せっかくのチャンスなのにと思うと、残念。裸足でテラスに下りていって、雪景色の写真を数枚撮りました。

 たったいま、Mrs.Klousが呼ぶので下に降りていくと、髪の毛を切ってくれというのでびっくり。 彼女はウエストくらいまである栗毛の持ち主ですが、背中のあたりで切りそろえて欲しいと言うのです。 私の髪型が気にいっちゃって、同じように切れと言うのよ。 私は、そんな無茶な・・・と思ったけど、断るわけにもいかず、櫛でとかしてはさみで切ってあげました。 それほど多量でないので、とてもうまくいきました。鏡で見て、Mrs.Klousは大喜びして、私は散々感謝のキスを浴びせられました。(^_^;)

Mrs.Klousは年の割には気が若くて、ファッションとかお化粧とかに夢中なのです。 私は「いいカモ」で、人形代わりにされています。 Mr.Klousのほうは、もう露骨にそうした態度を軽蔑していて、私の前でも平気でMrs.Klousのことを笑い飛ばしたりするの。 なんとも奇妙な夫婦です。

今夜はJohnが映画に誘ってくれました。 7時に彼がやってきて(Mrs.Klousが招いたの)みんなで食事をとったのですが、ご想像のとおり、Mrs.Klousがひとりでしゃべりまくって、9時からの映画に行く予定なのに、8時半をまわってもMrs.Klousのおしゃべりは止まらないの。 私とJohnとで、やきもきしながら相槌も上の空で、デザートもそこそこに逃げ出しました。

映画はチャールトン・へストン主演の"The Earthquake"というもの。日本でも上映されていますか? 舞台はロサンジェルスで、大地震のために町がすっかり廃墟に化す、というストーリーでした。 要するに「日本沈没」みたいのですが、設定といい、音響といい、本格的でかなり迫力満点でした。 東京と同じように、ロサンゼルスはこの数年のうちに本物の大地震が起こる、と予言されているそうですね。 もしそれが本当なら、カリフォルニアの大部分が海に沈んでしまうそうです。 東京ではその後、地震の噂はどうですか? 天災は忘れた頃にやってくると言うから、今年になって起こるかもよ? おじちゃんたちもアメリカに来た方がいいんじゃない?東海岸は安全ですから。 冗談でなく、本当に夏休みあたりに2人でアメリカに来ることはできないかしらね? いずれいずれと待っていても、物価は上がる一方だし、このへんで大冒険!なんて、いかが?

ところで、映画のあとでJohnとKlous家に帰ってくると、Mrs.Klousが2人にコニャックを瓶ごと運んで来てくれました。 コニャックって生で飲むものなの?このところ連日カクテルやお酒を飲みっぱなしです。といってもなめる程度ですが。 今夜はMrs.Klousは「賢明にも」おしゃべりに出てこなかったので、2人だけでおしゃべりを楽しむことができました。

そういえば、今朝朝食の時にMrs.Klousと長家の話が出てきたので、私が、お兄ちゃんが大学1年の時スキー部のコンパで酔わされて友人に担ぎ込まれてきた話(詳しくはお兄ちゃんに聞いてね)をしたら、Mrs.Klousは喜んじゃって、お兄ちゃんにすごく興味を持ったようでした。  "Is he married?"なんて聞いてきたから、もしかしたらお兄ちゃんがここにいたら、Mrs.Klousは大喜びで金髪のガールフレンドを世話したがることでしょう。

それからワシントン行きは1日延びて、あさって出発することになりました。 すてきなことに、ワシントンから帰りはシャーロッツビルのFarmington Country Club(9月に昼食をとったところ)に寄って、しかもシャーロッツビルのMonticelloを案内してくれると言うの!!何から何まで恵まれている感じですね。うんと写真を撮りまくって来ます。

この手紙が着く頃は、お正月気分もそろそろ消えてチコタンは学校が始まる頃ですね。おじちゃんはその後絵を描いていますか?Mrs.Klousは気取ったことが好きだから、おじちゃんの絵を彼女に送ってあげたら狂喜すると思います。

もう今は午前2時です。(-_-)なのでもう寝ます。ではまたね。

PS:体重を量ったら、108ポンドもありました!Help!! 9月にこちらにきた時より20ポンド(約10キロ)も太っちゃった。 I must do diet!!

★  ★  ★  ★  ★

Mrs.Klousがこの絵葉書をくれたので出します。このHotel Roanokeが例のファーストデートの場所です。とても大きいでしょう?左中央にある大きなもんから入って、右側が食事をしたWindsor Roomです。

と、これを書いていたらたった今、FMラジオからMarshallのしゃべるニュースが流れてきました。なにやら、ハイジャックのニュースのようです。彼は実に美声の持ち主です。

今夜はこれからMr. & Mrs.KlousとMarylandにある彼女の友人の家にドライブし、そこからワシントン.D.Cを見て、11日にChaerlottsvilleのカントリークラブに泊まり、12日に大学に戻ります.いよいよ2学期にはいるわけ.また勉強に奮闘しなくちゃ。 

ではまたね! Love,

 


Xmas休暇(7) 2回目のデートwith John

1975-01-06 | クリスマス休暇

今は午前1時です。たった今デートから戻ったところです。今夜のお相手はJohn Spicerという男の子です。驚きでしょう?Mrs. Klousは何を考えてるのかわかりません。毎晩違う男性とデートさせたがるのです。私は彼女の言いなりになって、目を回しています。

 今夜はチコタンの作ってくれたチェックの服を着ていきました。スポーティーな感じだし、夜着ていくにはそぐわないとは思ったのですが、Mrs. Klousの薦めるold fashionよりはましだし、これ以外にワンピースもっていなかったのよ。すっかりドレスアップして下に降りていくと、Mr. Klousが待ち構えていて、何枚も写真をとってくれました。Mrs. Klousが言うには、Mr. Klousは2、3年前までは写真にとても凝っていたのですが、最近はぷっつり撮らなくなってしまったそうです。今日が初めてカメラを再び手にした日なんですって。私がMr. Klousを動かしたんだ、とMrs. Klousは大喜びしています。

【Mr.Klousが取ってくれた写真】クリックで拡大
 

   

7時にJohnがやってきました。Marshallほどはハンサムでないけど、とても感じのいい男の子です。例のごとくMrs. Klousのおしゃべりをたっぷり聞かされてから、2人で出かけました。 RoanokeのはずれにあるFiji Islandという中華料理とポリネシア料理の混ざったようなレストランで食事をしました。 中国人の経営しているレストランで、かなりエキゾチックな感じのする場所。

JohnはWashington & Lee Universityを去年の春卒業して、来年からはDivinity Schoolに行きたいそうです。 すごくおもしろい人で、笑いころげてばかりいました。 昨夜のMarshallの時は、場所もフォーマルで私はナーバスになっていたのですが、Johnだとまったくリラックスできます。 ためしに、JohnにMr.KousとMrs.Klousは典型的なアメリカ人夫婦だと思うか?と聞いてみたら、彼の印象ではとてもunusualなカップルだそうです(やっぱり)。 私たちがKlous家を出るときに、 Mrs. Klousは"Hope you have awonderful night!"とか大袈裟な言葉を何個か並べた上で、ものすごくエレガントにJohnに両手を差し出したのですが、Johnはその手にキスをすべきなのか、非常に混乱したのだそうです(結局はキスはせずに握っただけだったのですが)

食事の後でJohnの家に行きました。 Spicer一家は15年前に日本に行って(お父さんのMr. SpicerはNavyの軍医なのです)3年間住んだそうで、家に入ると居間の家具はすっかり日本風なの。びっくりしました。日本風のタンス、火鉢(江戸時代の)、ぼんぼり、本物の日本刀(大小)、壁には20個くらい刀の鍔が飾ってあるし。なにもかも日本一色なのです。 Mr. Spicerはものすごくハンサムな方です。Mrs. Spicerは日本を心から愛していて、私を見るとそれこそ歓声をあげて飛びついてきました。 Mr. SpicerとMrs. Spicerとで争うようにして、彼らが日本で買ってきた骨董品を見せてくれるのですが、彼等に比べて私はまったく無知で、かえって私のほうが日本文化の勉強をさせられました。歌舞伎のレコードをかけてくれるし、お猪口を出してきて、日本酒まで飲ませてくれました。碁盤まで持っているのよ。私は囲碁など知らないので(Johnは少し知っているそうですが)、五目並べを教えて遊びました。

それにしても、Mrs. Spicerほど日本に気違のように夢中になっているアメリカ人は見たことがありません。 彼女の言に寄れば、彼女のheartは日本に置いてきてしまったそうです。 そのあと、地下に降りてJohnからDickinsonやStaffordの詩集を借り(彼もイギリス詩の専攻で、彼自身詩を書くのです)、パチンコ(本物の)や卓球などして遊びました。

Klous家に帰ると、それこそMrs.Klousが待ち構えていて、またもやおしゃべりを少しさせられました。 以上、報告終わり!おやすみなさい。


Xmas休暇(6) 初めてのデート with Marshall

1975-01-05 | クリスマス休暇

お元気ですか?昨夜は私にとってbig nightでした。初めてアメリカ人男性とデートしたの。 これはMrs. Klousの企みです。おとといからMrs. Klousはしきりと彼女が昔着たというドレスを私に着せたがるの。 ミニドレスを2着と、ロングドレスを試したら私にぴったりでした。 どうも変だと思ったら、昨日の午後になって突然、「夜7時半に若い男性があなたを迎えに来るから、シャワーを浴びて仕度しなさい」というのです。あわててシャワー浴びて髪を洗って、Mrs. Klousのロングドレス(赤と黒と白色で民族衣装みたいなの)を着ました。 私の初めてのblind dateというわけ。

相手はRoanokeに住んでいるラジオのnews anouncerで、Marshall Mooreというの。 赤毛で背が高くてハンサムな男性です。7時半にMarshallがやってきて、今でMr. KlousとMrs. Klousを交えて少しおしゃべりしてから、2人でHotel Roanoke(申し分ない設定でしょ?)に行きました。

Hotel RoanokeはRoanokeピカイチのホテルで、ものすごく大きいの。 Marshallは仕事の関係でいろんな俳優や政治家とこのホテルで「free mealつき」でインタビューをしたことがあるそうです。 今までインタビューした人たちの中で一番おもしろかったのは、例のテレビドラマ"The Waltons"のなかでWalton家のおじいちゃん役をしている俳優だったそうです。それはともかく、そのホテルのレストランで食事をして、少しダンス(!?)をして(ステップなどメチャクチャでした)、おしゃべりして、それからそのホテルにあるという彼のラジオステーションを見に行きました。小さなスタジオで、「鈴木ヒロミツ」に似た男の子が1人で働いていました。 MarshallはふだんはSalamにあるスタジオで働いているのですが、土・日の週末はここでアナウンスするんですって。ラジオ放送の装置を見せてくれて説明してくれましたが、私にはチンプンカンプンでした。

夜遅くなってからKlous家に帰ってきたのだけど、そこでMarshallは(気の毒に)Mrs. Klousにつかまって話の相手をたっぷり1時間近くさせられました。なにしろMrs. Klousは話し出したら止まらないでしょ?やっときっかけをつかんで明日朝早くから仕事があるので・・・といって逃げ出しました。今もMr. Klousが貸してくれた「SONYの」ラジオでMarshallの放送を流しながらこれを書いているところです。

今日は例のごとく朝10時に目を覚まして、レストランに行き、その帰りがけに山に登ってRoanokeの町を一望の元に見渡しました。 RoanokeはStar City in the Southと俗に言われています。そのわけは、この山の頂上に巨大な星が飾られているの。 夜はネオンがつきます。40メートルくらい高さのある星です。昨日今日と、からりと晴れた素晴らしい天気なので、Blue Ridgeの山々に囲まれたRoanokeの町が隅々までくっきり見えました。カメラを持ってこなかったのが残念!

【絵葉書から】
The Star City of the South viewed from Mill Mountain

Hotel RoanokeとN.& W.office building

Roanoke, Virginia Star City of the South
On top of Mill Mountain, 1800' above sea level and 975' above the City stands Roanoke's famous star.  The star contains over 2000' of neon tubing and its 88' is diameter on a structure as tall as an 8-story office building.

looking northon Jefferson St., with the Main Branch of the Roanoke Public Library int hte foreground.

ドライブから帰ってきてからまたもやMrs. Klousは彼女の古い服を引っ張り出してきて私に着せようとします。Mrs. Klousと私はぴったりサイズが合うの。Mrs,Klousは9月に最初に私に会った時は、あまりにskinnyだったので会わないかと思ったら、私はすごく太ったので、今ではぴったりなのです。背丈もほとんど同じだし。ところが、彼女の引っ張り出す服は、高価らしいけどかなり古めかしくて、あまり私の趣味には合いません。かといって、嫌いだとも言えず、おとなしく着ていたら、彼女はパリで買ったという茶色い服をsea mailで日本に送ってあげる、というのです。2月末頃にそちらに届くと思います。サイズが合うように直していないので、そのままにしておいてね。Mrs.Klousといると、まるで身寄りのない貧しい娘のような気がします。でもMrs. KlousもMr. Klousも、チコタンが言っていたような「優越感」は感じられません。2人には子どもがいないので、その代わりみたいな感じです。根っから世話好きなのでしょう。

火曜日にはMrs.Klousと、彼女の友達夫婦とワシントンに行く予定なの。すばらしいでしょ?夢に見たWashington!!


Xmas休暇(5) Klous家にて

1975-01-04 | クリスマス休暇

お元気ですか?いよいよこちらでも?1975年を迎えました。アメリカ留学の話が出たのが去年の1月か2月頃だったことを考えると、月日のたつのは本当に早いなぁと恐ろしくなります。

さて私は今RoanokeMrs. Klous家にいます。少しさかのぼって74年の大晦日のことから書きます。

12月31日には、私とAunt Sallieは彼女の友人のMrs. Jonesの家に昼食に招かれて、6、7人のパーティーに出席しました。 (みんなおばあさん)

ところでAunt Sallieは、Wakefieldのパーティーで私の態度がとてもfriendlyで良かったととても喜んでいるの。他の日本人の女の子は、黙り込んでいるばかりでなかなか打ち解けないけど、私はちゃんと客の応対をするので、Wakefieldの人たちの中でとても評判がよかったんですって。おかげで、Aunt Sallieは何かというと、私を引っ張り出して連れ歩きたがります。

その日の夜は、Wittmer家に寄宿している(Wittmer家はDr. Anthonyの家の真向かいなの。 Ayukoがいつも休みに帰ってくる家庭です)Hisamiが電話でWittmer家のパーティーに来ないかといってくれたので、夜9時に出かけました。HisamiとAyukoは、私がいつもAunt Sallieに連れられてオバアサンたちとばかりつき合わされているのを気の毒に思って引っ張り出してくれたのです。事実そのとおりで、多少うんざりしていたところだったので大喜びしてAunt Sallieの家を抜け出しました。なにしろAunt Sallieはあらゆるamusementを嫌うのです。完全なる"menhater"で、アメリカ中の男性を嫌っています(ホント!)(except: 牧師さんと神様とJesus Christ) 彼女の楽しみは、聖書を読むことと食べること(彼女は実に旺盛なる食欲の持ち主です)だけみたい。若い人のやることには反対するの。始めのうちは、私も調子を合わせていたのですが、一緒に暮らしてみると頭に来ることがoftenで、しばしば反抗したりもしてしまいました。

たとえば、Ayukoのボーイフレンド(David)のことについても、彼女は気ちがいのようになって反対するのです。私もDavidは結婚したことのある男性だし、あまりいい相手ではないと思うのですが、Aunt Sallieはそれが誰であろうと、ボーイフレンドを持つこと自体大反対なのです。私がAyukoと会って帰ってくると、待ち構えていたように、彼女はボーイフレンドと一緒だったか?とか何をしていたか?とか聞いてくるの。うんざりします。Ayukoのほうは真剣で、Davidとの結婚を考えているようです。両親にも話したし、今年の夏日本に帰る時は(またアメリカにもどってくるそうです)、彼も連れて行って紹介するんですって。

まぁそれはともかくとしても、大晦日の夜はWittmer家に行きました。20~30人の若者が集まっていて、家中に散らばって好き勝手なことをしています。パーティーと言ってもみんなGパンでまったくinformalなのです。地下の暗室ではレコードをかけて踊っている人たちもいれば、TVでフットボールに熱中している人もあれば、食べまくっている人もいる・・・といった感じ。フットボールといえば、大晦日から正月にかけて、日本で言えば野球のオールスター戦のような大規模なゲームの時期なの。Orange BowlとRose Bowlという2つの(セ・パリーグみたいな)大リーグがあって、その勝者同士がSuper Bowlというゲームで戦い、アメリカNo.1のチームを決めるのです。州対抗です。おかげで、この時期はどの家庭に行ってもTVではフットボールをつけています。パーティーは午前2時ころまで続きましたが、私は12時にAunt Sallie家に帰りました。

元旦には朝早くから起こされて、"Japanese New Year Party"の準備をさせられました。Aunt Sallieはこの日をずいぶん前から楽しみにしていたの。私とHisamiとAyukoと、Lynchburg Training Schoolで働いている日本人女性Dr. Owakiとが集まって「日本式」lunchを食べるのです。この日のために、Aunt Sallieは尾頭付きの大きな魚を注文していたの。「姿盛(すがたもり)」という魚料理を作ろうというのです。といっても、作ったのは「ワタシ」。彼女は命令するだけ。おかげさまで、私は生まれて初めてナマの魚を包丁でさばきました。切り開いて、骨を取り出して、切り刻んで油で揚げたの。気持ちが悪いなんて言っていられません。おかげでその日一日中手が生臭くて・・・でも味は実に良かった!その他の料理は、茶碗蒸し(中身は、チキンン、栗、マッシュルーム、グリーンピース、セロリの葉)、ベジタブル・スープにお餅を入れたお雑煮、白豆(Dr. Owakiが持ってきたの)、タクアンにご飯、というメニューです。ちょっとしたご馳走でしょ?

昼食を終えてからが大変。Aunt Sallieは近隣に住む彼女の湯人をみんな招いてtea partyを催したのです。15、6人来ました。みんな中年以上のオバサマたち。私たち4人のJapanese girlsは全員着物を着たの。Aunt Sallieも日本から持ち帰った着物(彼女用に特別あつらえの)を着ました(私たち4人がかりで着付けてあげたの)。もう暑くて暑くて汗だくになりました。なにしろ狭い部屋に20人もがひしめき合っていたのです。ともかくAunt Sallieの大満足のうちにパーティーは終わり、我々も解放されました。

1月2日にMr. Klous とMrs.Klousがシャーロッツビルのカントリークラブからの帰りにこちらに立ち寄って、私を迎えに来てくれました。そうそう、大晦日の日に私はDr. Anthonyのおうちに挨拶に行ったのですが(Dr. Anthonyは休日の少し前に足の血管の手術をしてびっこを引いていました)、そこでKlous夫妻の話が出ました。9月に最初に会って昼食を皆でとったときには、私は言葉がほとんどわからず、何の印象も受けなかったのですが、Dr. Anthonyが言うには、実に珍妙な(?!)夫婦だというのです。性格が正反対なんですって。昼食の席で、Mrs. Klousはできるだけエレガントに優雅に振舞おうとするのに、Mr.Klousはいつもそれをぶち壊すことばかり言っていたそうです。2人の育ちはずいぶん違うそうです。Mrs. Klousはお嬢様育ちだし、Mr. Klousのほうの両親はキャバレーや映画監督などの職をやっていたんですって。それで、昼食時にMr. Klousが彼の両親の経歴をおもしろおかしくしゃべろうとするのを、Mrs. Klousがカンカンになって止めようとしていたのです。Dr. AnthonyもMrs. Anthonyも笑いをこらえるのに必死だったそうです。私は、今から考えると、呆れるほど会話が理解できなかったのですが、ただ2人(Mr. & Mrs. Klous)が半分けんか腰になってお互いを制そうとしていたことだけは記憶にあります。

今回は、もう会話も良く聞き取れるようになったので、私自身の見解から申しますが、実にそのとおりなのです。私の印象では、Mr. KlousはMrs.Klousの「エレガント振り」にいつもイライラしているようです。実はMr. Klousだけでなく、私も、なのです。Mrs. Klousは一語一語じーーつにゆーっくり区切ってしゃべるので、一つのセンテンスが異様にながーーいのです。おかげで、私はその間必死で神経を集中していなければならず、しまいには疲れきって考えることができなくなっちゃうの。始めは、私のためにわざとゆっくりしゃべってくれているのかと思って、迷惑ながらもありがたい、と思っていたのですが、これは彼女の癖なのでした。それだけではなく、彼女の話題は次々と変わるのです。というか、何かの言葉の説明を私が求めると、もうたっぷり5分間くらい懇切丁寧なexplanationをしてくださるので、もう話題の本筋にもどることは不可能じゃないか、と思われるほどなのです。少なくとも私のほうは、彼女が何をしゃべっていたのか、すっかり忘れてしまうのですが、彼女はよく覚えているらしく、"Getting back to such & such.......," とか言って、また本筋に戻ってしゃべりだすの。私は、「よく理解し、聞き取る」ためには、ゆっくりしゃべることはそれほど重要でないことを発見しました。適度な速度が必要なのです。Mrs. Klousの会話は、とても聞き取るのに苦労します。

あるとき、彼女が彼女の友人の男性で法律を勉強していた人が、「あなたの専攻はなんですか?」と聞かれたときに、ただ "My major is law." と言えば済むものを、lawという言葉を変えて 「judicial ナンとかカンとか」という実に長い英単語を使ってしゃべった、という話しを面白おかしくしてくれました。その時、私は「他の人が言えば1分ですむ会話を5分くらいかけてわざと難しげにしゃべる人もいますよね」と、アイロニカルに言ってみたのですが、彼女は「そのとおり!」とか言っちゃって、まるでわかってくれないのでした。

それはともかくとしても、Mr. KlousもMrs. Klousも実にいい人たちです。家はRoanokeの中心地からはずれた山の中腹にあります。 Sherwood Forestという森に囲まれた静かなたたずまいで、裕福と思われる大きな家々が立ち並んだ地区です。Mrs. Klousの両親が共同して設計して建てさせたんですって。私は、寝室として、おおきなゲストルームをあてがわれましたが、日本式のタンスがあり、部屋の飾りつけは日本人形や掛け軸やら、すっかり日本調です。Mrs. Klousはお茶や生け花のお免状まで持っているのよ。

【Klous家全景(テラスのついた2階の部屋が私用の部屋です】

【Klous家の庭にて・Mrs.Klousと私】クリックで拡大
    

    

朝は10時頃!起きて、11時頃brunchを食べに車で出かけます。毎日外食するそうです。馴染みのレストランがshopping centerにあって、お決まりのウェイトレスが給仕してくれるのです。

夕食は、驚く無かれ、8時か9時頃なのです。Mrs. Klousが自分で料理します。私のためにわざわざステーキを焼いてくださったのはいいのですが、地下にある暖炉で本格的に焼くそうで、ものすごく時間がかかるの。昨日の夜は、火のまわりがうまくゆかず、失敗してしまって8時頃になってもう1時間かかる、というのです。私はお腹も減っていなかったのでちっとも構わなかったのですが、Mr. Klousは夕食を取るには遅すぎるからいらない、といって夕食を取りませんでした。それで、私とMrs. Klousとだけで、9時半頃から夕食をいただきました。味は一流レストラン並みでとっても美味しかったです。ただ、Mrs. Klousはいったんしゃべりだすととまらず、食べることをすっかり忘れてしまわれるので、いつも冷えたステーキを食べていたようでした。私は、フォークとナイフを動かさずに聞いていると、おいしいステーキを逃しちゃうので、必死で相槌をうちながらせっせと食べていました。

Mrs. Klousはかなりおもしろい方です。彼女が学生だった時分にはformal dance partyがたくさんあった、とか言って、その当時の話しを面白おかしくしてくれました。食事中に立ってジルバやワルツのステップを踏み出したのには仰天しましたが。 とにかくおしゃべりが続いて、毎晩寝るのは1時頃なのです。朝10時まで寝てしまうのも、無理は無いでしょう?

今のソファーでこれを書いていたら、Mrs. Klousが入ってきて、29日付のおじちゃんたちからの手紙を持ってきてくれました。まさかここで手紙を受け取るとは思わなかったので、大喜び。年の暮れのせわしない様子が目に浮かびました。いつものように義朗おじちゃんたちを招いたりしたのかしら?

テレビの話で思い出しましたが、去年だったか、その前のクリスマス頃にNHKのTVで字幕スーパーで連日外国映画を放映したの覚えていませんか?その中の一つに、アメリカ映画で貧しい家庭のクリスマスの様子を描いた映画があったでしょう?6人もの子どもがいて、クリスマスの夜にすごい吹雪になって、お父さんがなかなか戻って来ず、みんなで心配するとうストーリーの。たしか「父の帰る日」という題だったと思います。あれは、こちらでは "The Waltons" というタイトルのテレビで、毎週木曜日8時からのシリーズドラマになっています。その中の1 Chapterが日本で放映されたわけです。今では、あの家族はみんな成長して子どもたちも大きくなってるの。一番上のJohn-Boyという男の子が(日本で見たときは16、7歳だったけど)22、3歳になっています。役者は同じ人たちです。アメリカでとても人気のあるシリーズなのですって。ここではじめて気がついたけど、あの家庭のある位置はシェナンドー谷の中で、つまりVirginia州だったのです。ここRoanokeよりもう少し山中にはいった処が舞台なの。シャーロッツビルなど、今では馴染みの地名がたくさん出てきます。とてもいい番組だし、日本でも連続放映すればいいのにね。このほか、「外科医ギャノン」だの「アイアンサイド」だの、古いのでは「ペリー・メイスン」などもこちらでは放映されています。昨夜は映画で "Chitty Chitty Bang Bang"(チキチキバンバン)が放映されました。3時間もかかったのよ。こちらでは吹き替えも無いし、映画のままの味が生かされているので得します。その他、私は見なかったけれど、"My Fair Lady"も休暇前にTVで放映されました。

ただいま、午後3時20分。Mr.Klousは2階(正確には1階)で仕事をしていますし、Mrs. Klousは電話で長話し、私は地下の居間でのんびりこれを書いています。アメリカでは客人といっても特別扱いせず、家中好き勝手に歩き回れるので気楽です。この家にはPrincessという猫がいます。およそ可愛くない憎たらしい猫。Mr. & Mrs. Klousはそれこそ「猫かわいがり」しています。私も彼等の前では"She is really cute!"とか言ってニコニコしながら、彼女(猫)と2人(1人と一匹)のときは、お互いにツンとしています。彼女は私にすぐ歯をむき出すの。憎たらしいったらありゃしない。(そろそろ地が出てきた・・・とおじちゃん、ニヤニヤしていることでしょうね)

【Mrs.Klousと愛猫La.Princes(ラプランセース)】

では、またね。