Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

留学生パーティ・寮の住人たち

1974-10-24 | RMWCの日々

お元気ですか?Reading Periodも終わって再び寮に活気が戻ってきましたし、私は再びクラスに追いまくられだしました。もうこれが届く頃には10月も終わりですね。お兄ちゃんの試験の結果はいかに?合否知らせてくださいね。

今週はこの大学出は一種のHomecoming weekらしく、卒業生のオバサマ連中がたくさんキャンパス内をうろついていらして、いろんな講演や会合やdiscussionの企画があります。R-MWCを出たということをすごく誇りにしている(どこの世でも同じですね)オバサマばかりで、インテリでしっかりしています。

ところで昨日(23日)はLynchburg Areaの大学・高校のInternational studentsのためのtea partyがありました。約20人くらいの留学生が集まったのです。インドから、オランダから、コロンビアから、アフリカから、いろんな人が来てました。日本人は私と、前に話したLynchburg Collegeにいるヒサミと、2人だけでした。Sweet Brier Collegeに、ロータリーで留学しているという日本人の女の子がいるそうですが、彼女は来なかったの。驚くなかれ、そのパーティーで私は琴を弾いたのです!なにしろオモチャの琴なので、ちっともうまく弾けなかったのが残念でしたが・・・小さな教会で行われたinformalなパーティーなのでふつうのワンピースで行きました。着物を着る機会はついにないのでは・・と思っています。では、またね。

【おもちゃの琴をひきました・・・】


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【第2便】

お元気ですか?チコタンがあまりしつこく部屋を散らかしてるのでは?と聞いてくるので、昨夜はチコタンが猛烈に怒る夢を見ました。幸か不幸か、まだ英語の夢は見ません。夢の中で何語をしゃべってるのか今考えると思い出せませんが、一度失語症に陥った夢も見ました。夢ならず、現実も失語症にかかっているような毎日なのですが…

お兄ちゃんからの手紙、今日もらいました。公認会計士、残念でしたね。またしつこく1年頑張るのですか?3度目の正直を祈っています。何にしても、なにか目標があるということはいいことだと思います。けっこう会計士の試験のために勉強してるってことが、おもしろくないサラリーマン生活の張りになっているのではないでしょうか?そう考えると、当分受からないほうがいいのかもよ?

私のほうはイヨイヨ(今までなかったのがラッキーだったのですが)来週の木曜にAmerican Civilizationのテストがあり、それに続いて文学のテスト、両方のペーパーと、がぜん忙しくなります。心配でたまらないのに、勉強のほうはちっともはかどらず、本を開くと眠くなるし・・・で困っています。

うわさによるとSweet Brier Collegeにいるトルコからの留学生の女の子がホームシックで重症のノイローゼになり、3回も(!)長距離電話を家にかけた末、とうとう国に帰っちゃったんですって。ノイローゼとかホームシックとかよりも、「3回もトルコに電話した」という事実に、我々(私はこの学校にいるトルコの女の子からそれを聞いたのですが)は仰天してしまいました。トルコノ子は、自分がそんなことをしたら父親からもう帰ってくるな!と言われちゃう、と言っていました。私のほうは、ホームシックではあるけれど、ノイローゼにはなりそうもないから安心してください。なんとしても1年間頑張ります!

佐藤前首相がノーベル賞を受けたんですって!?全然知らなかった。このところテレビニュースを見なかったし、新聞も日曜版は高いので(50¢)ケチって買わないでいたので、世界で何が起こってるのか全然知りません。寮の子に聞いてみるとNewsweekにそんな記事が出ていた、と言っていましたが佐藤首相なんて知らない、という子までいました。ショック、ショック。津田の友達からの手紙によると、なんでも長島が引退したんですって?ラジオのアナウンサーが男泣きしていた、なんて書いてあったけど、どおして???

この前のハガキ(昨日出したの)にhomecoming weekらしいなんて書いたけど、よく聞いたら"homecoming"という言葉はこの大学では使わないんですって。ふつうhomecomingというと、football gameが行われるのだそうで、大きい共学大学などではそうした時に卒業生や親が大学で週末を過ごし、homecomingというけれど、R-MWCではもちろんフットボールなどやらないし、特に"homecoming"と呼ばないそうです。今週はAlumnaeがいろんな催しをして、ことにSeniorsはドレスアップして夕食を取ったり、映画に出席したりしています。

Seniorsはそろそろhonor paper(卒論のようなもの)のために勉強しだしたり、大学院のための勉強をしているようです。アメリカでは大学院の試験は大学別ではなく、一貫してあるそうで、その試験にパスすると大学の推薦によって好きな大学院に入学できるそうです。その総合テストがこの土曜日にあるそうです。私の隣りの部屋のStephanieは古典専攻(ギリシャ・ラテン語)だそうですが、その勉強で連日部屋に閉じこもって勉強しています。YaleとかDukeとかに申込書を出したんですって。4年生で大学院に行きたがっている人はたくさんいます。Lynnという子(この前お誕生日だった子)はまだJuniorですが、もう卒業の準備にかかっているそうで、次の夏休みのsummer sessionを終えたら卒業するそうです。彼女はreligion専攻で、大学院に行って、できたらminister(牧師)になりたいんですって。私の部屋の向かいのDonnaは4年生でhistory専攻ですが、将来何をするのかは聞いていません。Donnaの友達のKallenはArt-History専攻で、今は3年生ですが、やはり大学院にいきたいらしいです。彼女ら4人のグループは特によく勉強するグループだと自他公認なのですが、週末にボーイフレンドとデートするでもなく(Lynnは別。彼女のボーイフレンドはよく寮に出没します)、とても真面目です。

1、2年生はまだ専攻も決めていないようです。寮の同じHallにいるJenniferという子は2年生ですが、彼女はよく私を部屋に呼んでテレビを見せてくれます。寮長には内緒ですが、小さなpigを部屋の中に飼っているのです。そのJenniferは来年はワイオミングのお姉さんのところへ行くそうで、そこの大学に1年間移るのですって。日本の大学4年生のように就職に躍起になっている子は一人もいないようです。まぁ裕福な家庭のお嬢さんたちだからなのでしょう。みんな気ままに学生生活を楽しんでいるようです。

ところで今は午後9時40分です。寮の地下の台所で今お湯を沸かしてきて、インスタントコーヒーを入れて(日本だったらここでラジオのスイッチでもいれるところですが)部屋でこれを書いています。今日は少々疲れ気味で、朝は8時10分前に目が覚め、朝食もとらずにJapaneseのクラスに飛んでいき、2時間目(9:10-10:10)のAM.CIVのクラスにボヤ-ッとしながら出席し、朝食代わりにジュースだけ飲んで部屋に帰ってきてからちょっとベッドに横になったら、眠くてグーグー寝ちゃって、午前中は全然勉強しませんでした。それどころか、昼寝から起きたら1:30。1:00からの昼食をとり損ねたので、慌ててSkellerに行き、コーラとチーズバーガー(典型的アメリカンfood!でも高いのよ。バーガーが50¢、コーラが20¢もするのです)をとりました。なんだか一日中ボーっとしていたみたい。今から試験勉強しなくちゃ・・・というのも今週の土曜日にはCampus Movieがあるし、Halloween Day(10/31)に先駆けて、パーティーやら怪談話の会?やらがあるらしいので、週末は勉強できそうもないからです。なーんて、楽しいことは削らないけど、日曜日の教会行きはサボるつもり。

さて、そろそろこの手紙も切り上げて、Jeffersonの本に取りかからねばなりません。今度のテスト、メチャクチャなのは目に見えています。まだ本なんかまるで読み終わってないし、ノートはメチャクチャに書いてあってわからないし・・・なんでもMiss Davisのテストは4、5題のエッセイタイプのテストなんですって。辞書なしで、どんな英語を書くか、おそろしい・・・(T_T)

明日の金曜日は一時間目(8:00-9:00)Japanese、3時間目(10:20-11:20)AM.LITがあります。今日はこれから11時半まで勉強して、それからシャワーを浴びて髪を洗って寝る予定。そろそろ寮も静かになってきましたが、上の階ではまだキャーキャー笑い声や足音が響いています。パーティーでもやっているのでしょう。そういえば、今日図書館のreference booksのコーナーをボンヤリ眺めていたら、なんと日本語の百科事典(JAPONICA)が全巻ズラリと揃っているのを見つけました。さっそくアメリカ文学の項をひいて読みました。この図書館にある日本語の書物はこれだけです。最近気付いたのですが、Dr.Anthonyはアジアの政治や歴史には非常に詳しいけれど、語学を教えるのはあまり上手ではないみたい。生徒もそう思っているようです。私だったらもっと要領よく教えるのに・・・と思うけど、英語がともなわないし・・・でちょっとイライラします。あまありでしゃばるわけにもいかないしね。ではまたね。


Reading Period(読書週間)

1974-10-21 | RMWCの日々

お元気ですか?15日頃の手紙、今日(21日)につきました。

10月17日~21日はReading Periodでした。「読書週間」とは名ばかりで、要するにお休みです。ほとんどの学生は家に帰ってしまい、大学中が森閑としています。残っている人は50~60人じゃないかしら。でもちゃんと食事はあるし、寮は開いています。私はどこへも行くところがないので、文字通りのReading periodです。この間に授業の遅れを取り戻さねば・・・と朝から晩まで本にかじりついていましたが、たいしてはかどりませんでした。

そういえば17日の午後は大冒険をしました。といっても、何のことはない、Pittman Plaza Shopping Centerへ一人で買い物に出かけたのです。車で連れて行ってもらったことはありますが、バスで行くのは初めてでした。大学のすぐ前から出ているFort Hill Busに乗って、まずdown townに行きます。本当はダウンタウンで別のバスに乗り換えると早く着くのだけど、そのまま乗っていってもぐるーっと町を回ってPittsman Plazaまで直通で行けるので、そのほうが無難だし町の見物もできるので、40分近くバスに乗っていました。東京のバスみたいなのを考えないでくださいね。なにしろ田舎なのです。停留所は小さく"bus stop"と書かれた棒が道路際に立っているだけで、別に名前もなければ、駅になっているわけでもないの。だから「○○で降りる」なんてはっきりわからず、「ダウンタウンの○○店の近くで降りる」という具合なので、しょっちゅう外を眺めていて、○○店がどこにあるのか見張っていなくてはなりません。このあたりをよく知っている人ならいいけど、私のように初めての人には、もう緊張のしどうしです。降りる時は、座席の上に張ってあるひもをブーーーッと引っ張って知らせます。

40分近くのドライブでLynchburgの町を縦断したわけで、その日はすごい秋晴れだったので、素晴らしい眺めでした。ダウンタウンを突き抜けたときは、New Yorkをずっと小さくしたような汚い感じでいたが、郊外へ出ると道の両側は紅葉したmaple treeが並び、白いポーチのついた南部風の家々が木々の間から見えます。Seven Hillsの名のとおり、バスは坂道を登ったり下ったりしながらガタガタ進んでいきました。やっとこさ Pittman Plazaに着きました。

ショッピングセンターと言っても、吉祥寺や新宿なんかとは比べ物になりません。Searsと2,3の小さなデパート、大きな食料品店が一つ、その他洋服屋(高~くて手が出ない)、雑貨屋(Drug store)がある程度で、左図のように駐車場のまわりにお店が並んでいます。お店はみんな平屋で、要するに日本のデパートが一階だけあるような感じ。一つのお店の中に電気器具から洋服まで、狭い中にゴチャゴチャとあるのです。私はヤカン(これがないと自分の部屋でコーヒーも飲めないから)と部屋履きのスリッパと、ハイソックス2足、Virginia州の絵葉書、コップ2個、シャンプーets...を買いました。家庭用品でも、細々としたものがたくさんあって、便利そうなものがいっぱいありました。でも日本でも売っているのかどうかよく分かりませんが。洋服は全然よくないの。高級品店には入らなかったけど、普通のデパートでみたところ、セーターにしろブラウスにしろ、パッとしないものばかりで値段も日本とあまり変わりがありません。とにかくそこでブラブラと2時間くらいつぶしてから、近くのBurger Kingという所でハンバーガーとコーヒーとフライドポテトを食べて、帰路につきました。

このBreak(Reading Period)の間は連日とても寒い日が続いています。部屋にはスチームがついているのでポカポカしていますが、外は木枯らしです。チコタンは部屋を汚すんじゃないかと心配しているようですが、散らかしたくても散らかせないほどモノがないのであります。しかし机の上はホンダの辞書だのノートだのがゴチャゴチャと置いてあり(本棚がないんだもん)、わずかな空間でこの手紙を書いています。あ、それからお琴の本、おととい届きました。爪やなにかはまだですが。どうもありがとう。

日常生活のことを書けとのことですので、書きます。あまり日本とは変わりないのですが。食事はDI~~N、DO~~Nという鐘の音で始まります。この音が聞こえると、みんなゾロゾロとCheatham HallMain Dining Hallのどちらかに集まってきて、ドアが開くとドット中に入って席を取るの。座る前に食前の祈り(ほんの10秒くらい)があり、それから給仕を受けます。大きなお皿をテーブルごとにめいめいで回して、自分で取り分けるのです。アメリカの食物は特に名前がないようで、ちょっと説明できません。特に珍しいものってあるかしら・・・そうそう、ビーツ(赤色の野菜)なんて日本ではお目にかからないかな。だいたいにおいて、野菜が主のような気がします。肉はローストビーフとかハンバーグみたいなのも時々出るけど、時にはハムだけだったりするのよ。毎食必ずアイスティーが出ます。アメリカ人ほどアイスティーをガブガブ飲む人種はないのではないかしら。ミルクはウェイトレスの子が「Whole!?....Skim!?」と言って手を上げさせ、どちらかを頼むことができます。私はいつもWhole Milkにしてます。食後のデザートはアイスクリームだったり、フルーツカップだったり、パイだったり・・・とても楽しみ。この前はパンプキン・パイなんてのを食べました。欲しければ2つ頼むこともできますが、ダイエットをしている子はデザートを食べないで席をたちます。私もそろそろデザートを断念しなくちゃならないほど太ってきたのだけど、どうしてもやめられません。

洗濯は各寮の地下に洗濯機とドライヤーがあります。洗濯機は25¢で、ドライヤーは10¢で、すべて自動です。便利だけど、色物なんかは一緒にするわけにも行かないので、手で洗っています。

ところでこの前の土曜(19日)の夜はBoonsboroで映画があるので観に行きました。Annemarieというデンマークから来た子が友達と行くというので誘ってくれたのです。なんと小さな車に10人!!の女の子が便乗して出発しました。もう大笑い。私は大きな子の膝の上に乗せられて、苦しかった・・・Boonsboroに着いて車を降りる時は、周りの人が、小さな車から次々と降りてくるのを見てびっくりしていました。ところで、なんの映画だと思いますか?"Gone With the Wind"なのです!チコタンと中学の頃見たことがあったけど、8年ぶりですからほとんど忘れていて、とてもおもしろかったわよ。中学の時は、まさか再びこの映画をアメリカで見るとは思わなかったけど。この本は大好きで繰り返し読んだから、筋はすっかりわかっているので、わかりやすかったです。さすがアメリカで(しかも南部なので)、デキシーなんかが流れ出すと拍手があったり、黒人召使のマミーがおかしなことを言うと、みんな大笑いします。でも、改めてこの映画が当時の南部の生活をよく描写していることを感じました。家の造りや風習なんかは、今でも少し残っています。Lynchburgの街の中には、似たような家がたくさんあるから、それらを見た後でこの映画を見ると、とても親近感?を感じます。やはり、アメリカにいるんだなーとつくづく感じました。

あ、もうすぐお昼です。今日は寝坊して朝御飯を食べ損ねたので、お腹ペコペコ。ではまたね。お元気で。


Blue Ridge Mountainにドライブ

1974-10-12 | RMWCの日々

お元気ですか?

今朝手紙受け取りました。今回はすごく早く届いたみたいね。9日消印で今日届いたのだから3日しかかからなかったわけでしょ?

最近は読み終わらない本がたまりにたまって、もう1日中部屋に閉じこもっている状態で、ちょっと沈滞気味なのです。こんなことでは会話力がのびない、と心配でたまりませんが、やがてやってくる(10月末)テストとレポートを考えると、どうしても読まないわけにはゆかないし・・・チコタンには本屋さんを歩き回ったそうですが、本当にどうもありがとう。大変だったでしょう。今度のテストには間に合わないかもしれないけど、レポートと学期末テストには十分役立つと思います。助かった!
I appreciate your kindness! 

津田の友達からも最近たくさん手紙をもらって喜んでいます。みんな私の顔が見えなくて淋しいと言ってくれます。今になってみると、当時はつまらない、単調だ、と思っていた津田の生活も懐かしさでいっぱいです。

 ○○さんのお母様の話だけど、こちらでは子どもが巣立ってしまって一人暮らしの老人がたくさんいるけれど、みんな生き生きと働いているようです。事実、大学の食堂で働いている人たちはみんな50~60歳以上のおばさんたちです。この前の手紙で書いた、Aunt Sallieも、近所のOld ladiesと一緒にボランティアのグループをつくって寝たきり老人の食事の世話や老人対策問題についての活動をしているのです。家でブラブラしているお年寄りなどいないみたいです。もともとアメリカでは、老後に子どもの世話になるなんて考えはないようですから、老人がしっかりしているように思います。小さな町なので、みんなが知り合いですし、のんびりしていて、老人には住みやすい土地でしょうね。図書館の窓から道路を眺めると、ほとんど車の通らない広々とした並木道の真ん中で2、3人のおばあさんが日向ぼっこをしながらおしゃべりしている姿をよく見かけます。それに日本と違ってこちらではお年寄りがみんな若々しい服装をしているのです。黒とか灰色なんか着ていません。先週の日曜のAunt Sallieは白地に明るいオレンジ色の模様のスーツを着て、オレンジ色とグリーンのネックレスを首にかけていましたが、銀髪と調和してとても綺麗でした。洋服を若々しくすると気分も溌剌とするのじゃないかしらね。

洋服といえば、私のほうは毎日Gパンで過ごしていますが、なにしろ太ってしまってみんなきつくてたまらないの。愕然としています。スカートはかないからウェストがなくなっちゃった。Help!それから、着物やドレスはほとんど着る機会もなさそうです。大きな町の大学なら、盛大なパーティーもあるでしょうけど、なにしろ田舎なのでそんな催しもありません。でもクリスマスの頃になればあるかもしれません。たまにdinnerや学外のパーティーに出ても、たいてい"informal"と書いてあって、そんな時は普通のスカートとブラウスか、ミニのワンピースで間に合ってしまうの。こちらでは日本のようなロングスカートなんてまったくお目にかからないのよ。津田の友人の手紙によると、津田のキャンパスは今やロングスカート大流行なのですって。

父兄宛てのアンケート、別に送り返す必要はないと思います。そのアンケートは我々学生もやりました。たぶん同じものだと思います。「私学調査」のようなものです。内容はごらんのとおりboyfriend(male-friend)の取り扱い?が中心で、寮生活の規律についての学生の考えを知るのが目的のようです。私には縁もないし、よくわからないので適当に中立の立場をとっておきました。あのアンケート6、7枚あったと思うけど、20分足らずで提出させられるので、私は目を通すのが精一杯で、焦り狂いました。

おじちゃんがアートアートと書いてきたので思い出しましたが、今はMain Hallの廊下の壁にバージニア州のアーチストの差気品がVirginia Museumから借りてきて陳列してあります。現代画家のものばかりですので抽象的でよくわかりません。画面から針金が飛び出していたり、キャンバスの上に彫刻が貼り付けてあったり立体的なのが特徴のようです。おじちゃんがいたらとても興味が湧くでしょうにね。残念です。

先日(10日)の夜はFocus Forumの第2のプログラム(この前はJack Andersonだったでしょ)で、スウェーデン生まれの女優Viveca Lindforsが大学の講堂で一人演技をしました。説明しにくいけれど、たくさんの劇のone shotずつを繋ぎ合わせて巧みに彼女自身の人生を表現した "I Am a Woman"というドラマです。「アンネの日記」のアンネ・フランクや「人形の家」のノラなど・・・と、女主人公の役をたくさん組み合わせたもの。彼女自身は2人の男性と結婚したけれど今は一人なのです。要するに、彼女自身の中にwoman lovingと woman indespensableとの2人の要素がある、ということを表現していたようで、最後は結局ウーマンリブの宣伝みたいなもので終わっていました。かなりショッキングというか、breathtakingというか・・・。55歳くらいの女性なのですが、20代に見えますし、役も16歳の女の子から70歳くらいの老婆の役までこなしました。こういう劇を大学でやるということ自体、日本ではちょっと想像できないし、教授たちも奥さんともども観にきているというのもアメリカ的ですね。私の斜め前にはDr.Quillian夫妻がいました。Dr.Anthony夫妻にもお会いしました。お話はできなかったけど・・・
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さて、今は夜8:00です。お昼前に例のAunt Sallieから電話があって、山に紅葉を見にドライブしようと誘ってくださったので、出かけました。少し曇っていたのだけれど、すばらしい日でした。Blue Ridge Mountainsに登ったのよ。山頂近くまできれいな舗装道路(Blue Ridge Rarkway)が続いていて、快適そのものです。すばらし~~~い秋の景色でした。一面の絨毯を敷き詰めたように紅葉した木々がぎっしり山肌を覆っているの。それもいろんな種類の木々なので、赤、黄、ブロンド、緑、茶、と無数の色が溶け合っていて、もう言葉では表せません。馬鹿のように「beautiful!wonderful!」を繰り返していました。まさにWorld of Colorでした。Aunt Sallieは例のごとくクリスチャンなので、「神の造ったものは美しい!」とか「神のなされた業をごらんなさい!」(直訳するとこうなる)とかしきりにおっしゃっていました。日本の紅葉とはスケールが違うみたい。同じ赤でも明るいのから暗いのまで無数に種類があって、とにかくすばらしかったわよ。


帰りは車の中でAunt Sallieと紙について、キリストについて議論?しました。彼女が戦後すぐ日本にきたときは、みんなに「アメリカ人」といことで白い目で観られて、とてもくるしい時を過ごされたそうです、そのついでに、私が、このあたりでの黒人問題はどうですか?ときくと、教会では(彼女がしゃべると、なんでも神とか教会の方に話題が行っちゃうのです)決して黒人を差別してはいないけど、黒人の方が来たがらないそうです。そうそう、黒人といえば、R-MWCには数えるほどしかいません。黒人といっても、こんな金持ち学校に来るくらいだから、とても裕福なのでしょうね。私の寮の同じ階にはSatiliaというTexasからきた黒人の子がいるけど、とっても可愛いし、いい人です。それからInternational Studentsの一人として、Juliaというアフリカのローデシアから来た子も、私の部屋の近くにいます。彼女はもう25歳で、2年前にもこのR-MWCにいて、一年間故郷に帰ってきて戻ってきたという古株です。別に黒人ということで差別とか変な意識はダーレも持っていませんし、私自身もしゃべっていてなんとも感じません。

話はそれましたが、ドライブから帰ってきてAunt Sallieの家で(なんと!)天ぷらを食べました!彼女はキッコーマン醤油からタクアン、生姜、てんぷら用のフライパン、お箸、日本食器、とおよそ日本の台所にあるものはすべて持っています。もちろん「電気釜」も。食事の中身は、ニンジン、たまねぎ、ピーマン、鶏肉?、ジャガイモ、海老で、天ぷらを作りました。私が揚げたのよ。最初は自信がなかったけどびっくりするほどおいしくできて、1ヵ月半ぶりに白いフカフカのご飯と、タクアンと天ぷらを食べて、すっかり満足しました。まったく日本にいる雰囲気になりました。タクアンなんかをポリポリかんでいたら、とてもアメリカにいるなんて気がせず、とても不思議な気分だったわよ。

それから、もう一つ興奮したことは、Lynchburg Collegeの日本人学生Hisami(ヒサミ)と電話で「日本語で」しゃべったのであります。いくら日本語の授業があると言っても、あんなの日本語のうちにははいらないし、本当にひさしぶりで母国語をしゃべりました。あ~~~この開放感、わからないでしょ?最初はAunt Sallieが出て英語で彼女としゃべり、次に私と替わったのですが、受話器を渡されて、さて何語でしゃべろうかと一瞬迷ってしまいました。そこで"Can you speak Japanese?""O.K!"などとバカな会話で始まって、日本語に転換。不思議なもので別にふだん英語がペラペラしゃべれるわけでもないのに、こんな時相づちをうとうとすると英語になってしまします。でもそれも最初のうちだけで、すぐ日本語の感覚がよみがえってきました。15分くらいAunt Sallieをほったらかして?夢中でしゃべっちゃいました。彼女のほうが夢中になってしゃべっていたみたい。彼女は去年の7月にこちらへ来たんですって。でも夏のSummer Schoolに通ったので、5月まで待たずにこの12月に卒業するそうです。そのあとすぐ日本に帰るかどうかはまだ決めていないのですって。今就職口を探すか、あるいは大学院に行くか、迷っているそうです。彼女も去年の今頃はまるで英語がしゃべれず、気が狂いそうだったと言っています。(今はペラペラなのよ)。ルームメイトと気が合わなくて、精神的にもとても疲れたんだそうです。日本にいた時はとても内気だったのに、今ではものすごく変わっちゃった、と言っていました。でもとっても感じのいい人で、いつでもLynchburg Collegeにいらっしゃいと言ってくれました。彼女としゃべっていて、とても元気付けられた感じです。私も頑張らなくちゃ。

さて、あまりにも長々と書いてしまいましたが、もう切り上げてそろそろEmersonの"Nature"(American Literature)に取り組まなければなりません。今日、すばらしーーーいアメリカの自然に触れたので、少しはEmersonの思想もわかるかも知れません。

"In the woods, a man casts off his years, as the snake his slough, and at what period soever of life, is always a child. In the woods is perpetual youth. ...........In the woods, we return to reason and faith."

"I am the lover of uncontained and immortal beauty. In the wilderness, I find something more dear and connate than in streets or villages. In the tranquil landscape, and especially in the distant line of the horizon, man beholds somewhat as beautiful as his own nature.............."
                            -------Emerson, "NATURE"より


それではまたすぐ手紙書きます。お元気でね。   With Love

 

P.S.またまた地方紙に私の記事が載ったので同封します。変な写真!笑わないでね!
   
P.P.S.明日(日曜日)はまたAunt Sallieと教会へ行く予定です。アーメン。

 


誕生パーティー・ドライブ・教会へ

1974-10-08 | RMWCの日々

お元気ですか?

こちらはあいかわらず身体はピンピンしています。あまりに動かないので(週に2時間テニスをするだけ。それもろくに走らないので)もう太る一方です。空気がきれいなせいか、とてもお腹が空くのです。今もこれをSkellerでコーラとパンをかじりながら書いているの。生活の方はかなり慣れてきましたが、まだ会話の方は全然で、いくぶんオドオドしています。隣りの部屋の子(Stephanie)、その隣りの子(Cathy)、そのまた隣りの子(Lynn)・・・と周囲の子達がこの1週間というもの風邪を引いてみんなふらふらしているのに私だけはなぜかピンピンしています。

先週の金曜日はLynnのお誕生日でした。私は知らなかったのですが、Stephanieが夕食が終わったら部屋に来なさい、と言うので行くと、今日はLynnのお誕生日でビックリパーティーをするのだと知らされたの。寮の地下にあるLoungeで10人くらい友達が集まり、ケーキとローソクを飾ってパーティーをしました。
当人のLynnは何も知らずにStephanieにつれてこられ、彼女が来るとみんなでHappy Birthdayを歌って拍手をして迎えます。"Speech!"と言われてLynnが短いスピーチをし、ケーキを切り分けてみんなで食べました。プレゼントを開けて、みんなに回して見せ、パーティーが終わってからLynnの部屋でおしゃべりをしたり、ギターを弾いたりして12時過ぎまで騒ぎました。
まったくアメリカの女の子たちは陽気そのものです。そういえば、このLynnという子は双子の姉妹がいて、別の大学に行っているのですが(名前もまぎらわしくWynnというの)2週間ほど前の週末にそのWynnが泊まりに来て,会いました。そっくりなのでビックリ。なんでもこの大学には三つ子もいるそうです。まったくただでさえ外人はみんな同じに見えるのに、冗談じゃないわね。

土曜日(5日)にはMrs.Hughesとドライブをしました。Lynchburgの町の南端にあるTimber Lakeという湖にいったの。Mrs.Hughesは20年程前までそこに住んでいたそうで、今は別の人のものになっている古い家を見せてくれました。とっても古い家らしいけど白塗りのきれいな大きな家で、森に囲まれていて、奴隷用の棟もあり、奴隷たちを食事に呼び寄せるために使ったという古びた大きな鐘や、ふる~い井戸(今はもう使いません)もありました。カメラを持ってくれば写真が取れたのだけど、残念です。

6日の日曜日はMiss Sallie Carrollと一緒に教会に行きました。Miss Carrollは大学のすぐ近くに住んでいて、戦前と戦後あわせて20~25年ほど日本に布教で行っていたそうで、8年前にアメリカに戻ってきたのですって。神戸の教会にいたそうです。80歳近いおばあさんなのですが、とっても若々しくていい人です。○○が言っていたような、キリスト教精神が髪の毛の先端までみなぎっているような善人そのものの婦人なの。

行ったところは、大学の近くにあるUnited Methodist Churchで、新しい大きな教会でした。パイプオルガンの曲がずーっと流れていて、とてもいいムードでした。最初に歌った聖歌は"Joy to the World"でしたが、隣りに座ったMiss Carrollがびっくりするような大声で歌いだしたので事実びっくりしました。そのあと、すごくハンサムな牧師さんがヨハネの一節(キリストが最後の晩餐で「互いに愛し合いなさい」と弟子たちに言うところ)を朗読し、それからお説教がありました。とてもきれいな発音でしゃべるので、ききとりやすかったです。私の前に座った小さな男の子は退屈しているらしくて、しょっちゅう後ろを振り向いたり、あくびをしたり。でも私と目があるとニッコリしてすごーく可愛いの!
それから、生まれて初めてホスチアと葡萄酒をいただきました。Miss Carrollに、洗礼を受けていなくてもいいのですか?と聞くと、ここでは人種の差別もなく、宗派の差別もなく、洗礼を受けているかいないかの差別もないのだ、といいました(ホントかな?)。したがってカトリックだろうが、信教の別のセクトの人だろうが、神を信じていれば誰でもこのcongregationに集まって聖体拝領を受けることができるのですって。とても気に入りました。

1時間半にわたる礼拝が終わってからMiss Carrollの運転する車でショッピングセンターに行き、中国人経営の中華料理店へいき昼食をいただきました。Miss Carrollはlong long time agoにR-MWCを卒業したそうで、その当時の話しをしてくれました。毎夕食後に礼拝があり、とても風紀が厳しかったそうです。毎日曜日の礼拝には、4年生はacademic costumeをつけて出席し、しかも出欠を取ったんですって。今の学生がジーパンやショーツをはいて裸足で公衆の面前を平気で歩いているということや、授業中にタバコを吸ったり、足を机に乗せたりすることについて、カンカンになっていました。それから日本での話もいろいろしてくれました。

その後、車でLynchburg Collegeへ行ったの。そこにも日本人の留学生が1人いるのよ。 Hisami Uchidaという子で、前にDr.Anthonyのオフィスで一度会ったことがあるのです。Miss Carrollも知り合いなので、2人でヒサミに会いに行ったのです。Lynchburg CollegeもR-MWCと似ているけれど共学の大学でもっと大きいの。天気が良かったせいもあって、キャンパスはとっても美しかったです。ヒサミは山へピクニックででかけていて大学にいなかったので会えませんでした。話によると、彼女は日本の大学を3年終え、 Lynchburg Collegeで最後の年を終えるつもりだそうです。会えなくて残念!

次にMiss Carrollの家に行き、そこで日本茶とおせんべいをご馳走になりました。1ヶ月ぶりに飲むお茶の美味しかったこと!!ガブガブ飲んじゃった。
彼女の家に行ってはじめて気がついたのだけど、Miss Carrollは布教に尽くしたというので、昭和41年に勳五等の端寶章を受けたそうです。表彰状と本物のダイヤとルビーでできたメダルが飾ってありました。時の総理は佐藤栄作、総理府賞勳局長岩倉規夫と書いてありました。びっくり。
彼女はさすがに年のいった芯の通った老婦人らしく、アメリカの現状(麻薬とか若い人の生活の乱れとか)をすごく憂いていて、私にけっしてアメリカナイズされないように、と言います。去年卒業したTaekoのこともよく知っていました。話によると、Taekoはお父さんがまるで理解のない人で、彼女のことをまったく無視しているのだそうです。アメリカに来ても、全然お金を送ってくれないのですって。彼女がアメリカに永住したがるのもそれが理由だそうです。

ところでMiss Carrollは私に自分のことをAunt Sallieと呼ぶように、と言うのです。なんだか照れくさいね。アメリカ人の叔母さんを持つとは思いませんでした。でも、なんでも相談できそうな優しい人なので大助かりです。もうスペースがないので、またね。相当ひどい日本語の文でごめんなさい。今度はまともに書きます。お元気で。


Main Hallの全景(絵ハガキ)

1974-10-01 | RMWCの日々

9月20日付の手紙の返事、今朝着きました。
チコタンのいうとおり楽しみたいのですが、そうもいかないのです。やはりちゃんと単位が取れるくらいの成績を取ることが要求されています。International studentだからといって、容赦してくれないの。
でも確かに、英語の本ばかり読んでいるのはくだらないと思うので、努めて学生と接しようと思っています。
寮のLobbyにテレビがあるので、夜は耳の訓練のためによく見に行きます。土曜の夜は"Kung Fu" を観たし、おとといは映画”バラキ”をやっていたので見ました。日本にいた時に、日本語版で見た~、わかりやすかったわよ。

そういえば、Main Hallの廊下でどこかの人が有名な画家の絵を売っていました。$40とか$50ですが、中には日本の浮世絵なんかもあります。油絵はあまりありませんが、おじちゃんならとても興味を持ちそうな素敵な作品がたくさんあります。

このところ近くのDrug Storeに行く以外は大学を出ていませんので、インフレのこととか、世事にはまるで疎いのです。
今日の夜は8時からピアノコンサートがあるので、行くつもり。またね。