Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

Focus Folum他イベントラッシュ

1974-09-30 | RMWCの日々

お元気ですか?

今朝昔送った辞書etcの参考書と、おじちゃんたちの送ってくれたプリントが届きました。久しぶりに日本語の印刷物を目にしてなつかしい~気分になりました。小包にはいっていた朝日新聞など読むと、朴大統領事件の頃の記事が載っていましたが、はるか昔に感じます。それからプリント、どうもありがとう!もう藁にもすがる気分だったので大助かりです。ポイントもぴったり合っているの。ざっと目を通しましたが、昼食の後でゆっくり吟味してみます。

 一ヶ月もたつのに、授業を理解するどころか、まだ読み終わらない本がどんどん溜まって悲鳴をあげています。今はCooper"The Last of the Mohicans"を必死で呼んでいます。もうとても辞書など引く時間がなく、わからないところはとばして読むので、大混乱よ。400ページもあるのに、まだ50ページあたりをウロウロしているの。今日届いた本の中に、留学についての本があったけど、そこに「一時間に20ページはこなさねばならない」とあって、ショックを受けましたが、本当です。津田で英語の本を読んだといったって、お話にならないことを改めて感じました(また、何か参考書があったら、送ってーーー)。

 23日にFocus Forumという講演で、
Jack Andersonのスピーチがあり、2ドル出して聞きました。Washington Postの有名なニュースコラムニストだそうですが、私は知りませんでした。なんでも、ウォーターゲート事件を最初に暴露した痛烈なニクソン批判家らしいです。歴代のアメリカ大統領と常に行動をともにしていたようで、ケネディーやジョンソン、ニクソン等のエピソードや裏話なんかをして笑わせたり、インフレに憤慨したり、非常にpassionateな話し家でした。でも、同じ寮のJenniferという女の子は、後で"He smoothes everything!"と不平らしく、どこが本音でどこが嘘か信じられない、と言っていました。

政治の話になって、私が(ブロークンイングリッシュで)アメリカ人は大統領に政治的手腕だけでなく人格的な理想像も求めるみたいね、と言うと、もちろんだと言っていました。そして、自分は政治についてあまり知らない、今の世の中では誰を信じていいのか分からない・・・"I can't believe anybody, but I have to believe somebody, so I believe my father."なんて言っていました。日本人の我々の世代で、人前で「自分の父を尊敬し、信じている」と言える人はあまりいないでしょう。さすがにアメリカだな、と感じました。彼女のお父さんはニクソン派なので、彼女もニクソンを支持していたし、今でも残念に思っているそうです。

 次の24日にはDr.Ruth Baconという
United States Center for International Women's Year 1975のディレクターだという婦人がキャンパスに来て、夜Dr.Anthony"US Policy in Asia"というテーマでパネル・ディスカッションをしたので聞きに行きました。とてもわかりやすかったけど、U.S.Policyそのものはあまり出てこず、アジア経済の発展についてばかりしゃべっていました。たとえば、World War II以後、アジアは目覚しい発展をしたけれど、それはほとんどヨーロッパやアメリカなど外部からの援助によるものだった、しかし今やアジアの国々は互いの国勢に関心を持ち、互いに助け合おうとする傾向が生じてきて、アジア内部での連結が生まれつつある・・・などなど、といった内容でした。R-Mの学生は10人にも満たなかったのですが、この付近に住んでいる町の人たちがずいぶん出席していました。ほとんどが60~70歳くらいの銀髪のOld ladiesです。聞くところによると、大学の付近に住んでいる人たちは、この大学が何か「急進的かつ改革的な」考えを広めやしないかと心配して、警戒しているんですって。大学で行われる一般向けのスピーチや催し(J.Anderson
のときもそうでした)には、歳とった人たちがコゾッテ聞きにくるのです。

 次の日にはなんとDean Hudsonのお招きで、そのDr.Ruth Baconと一緒にとる夕食に招かれました。Dean HudsonDr.Ruth Baconと、私のほかに4人の学生とで、大学の真向かいにある小さなInnで食事をとったの。Dr.Ruth Baconは20年ほど前に日本にも来たことがあるそうです。45歳くらいだけどすごいインテリという感じの女性でありました。Dean Hudsonとの会話によると、R-MWCはリベラル・アーツだけど、特にダンスとアートが有名らしいです。有名なモダン・ダンサーもずいぶん出ているらしいです。でも私の印象では、学生は哲学なり心理学なり、自分の専攻分野にすごく熱心で、(日本の大学生のようにいい加減ではない)、食事の間も心理学をとっている女の子が夢中になってなにやら説明していました。ところで、Pearl Buckがここの卒業生の一人だなどということは、それほど関心をもたれていないようです。何人かの学生にきいたけど、知らないという人がほとんどで、たまに知っていても「ああ、知ってる」くらいなものでした。変なの。Dean Hudson
はとってもおっかない顔をしているけれど、実はとても親しみやすい方です。こちらでは「3歩下がって師の影踏まず」なんて習慣はないから、学生と教授間がとても親密です。お互いに冗談を言っては肩をたたきあったりして・・・日本ではとてもできそうもありません。

 そうそう、今日はInternational Studentsのお茶会があり、招待されました。そこでDr.Quillian(学長)とお話しをしたの。Dr.Quillianもとても親しみやすい方です。津田のことをとても誉めていました。そういえば、Intermediate Japaneseコースの生徒の一人Alisonが、日本の大学にapplyする手続きをとっているとききました。慶応、早稲田、ICU,上智のどれかにするそうです。この大学では3年生で外国語を取っている人のために、外国で一年間生活するアレンジメントがあるの。イギリス、フランス、ドイツなどとexchange studentsをお互いに派遣しあうのです。Dr.Anthonyは日本ともそういうarrangementを作りたいといっていました。津田とできたら一番いいと言っています。私も何かのお役に立てたらいいとおもうけど、でもexchange studentsystemはお互いの大学が学生の学費を出し合うのだから、日本の大学で果たして学費を出してくれるかどうか、あやしいわね。それに上智やICUと違って、津田はinternational studentsのための組織もないし、外人も少ないし・・・今すぐとはいかないけど、Dr.Anthonyと話し合って、いずれそういう制度を作れたらいいのだけど。小林先生か前川先生に手紙を出して聞いてみるつもりです。

 まだ書きたいことはいっぱいあるけどまたにします。"The Last of the Mohicans"に取り組まねば。またね。


大学の周辺事情

1974-09-20 | RMWCの日々

眠い目をこすりこすり一時間目の授業が終わって寮に戻ってきて、ポストに手紙を見つけました。手紙を見つけた時が一番嬉しいです。部屋にすっ飛んで帰って読みました。航空便でも4、5日かかるのでじれったい感じです。手紙を読んでると、自分がアメリカにいる気がしません。ちょっとドア開けて隣りに行くと○○やおじちゃんやお兄ちゃんがいるような気分。

お兄ちゃんはあいかわらず課長の悪口を言っているのでしょう。このRMWCにもexchange studentとして男子学生が2、3人いるのです。頑張ってきてみたらどう?そうそう、1週間ほど前に冬物の小包、そして今日、後から送った洋服の包みが届きました。それより前に送ったはずの本類がまだ届かないのでチョッと心配。でもすぐに来るでしょう。1ヶ月ちょっとかかるようです。特にどうしても送って欲しいものは今のところはありませんが(ミニスカートは自分で送ったのの中にはいっていましたから)、後悔しているのは、靴をあまり持ってこなかったことです。ダレカさんがここでは靴が安いとかおっしゃったけど、正反対なのです。この前、ショッピングに行ってSear's(日本とちがって平屋建てのデパート)の靴売り場に行ったのですが、物は少ないし、ちっとも安くありませんでした。革靴なんて20ドルもするし、しかたないのでただのテニスシューズだけをかってきたのですが(これは4ドルでずっと安かった)。

 大学の近くにはDrugと食料品店オンリーなので買い物が不便なのが一番苦痛です。そうそう図々しく車に乗せてってと頼むわけにもいかないし・・・もし良かったらジーパンに合うような靴(靴箱か、または私のベッドの下の箱に入っている)を送ってください。一番いいのは黒いバスケットシューズがあるはずなのだけど・・・ハイヒールなんてめったに履く機会もなさそうです。送ってくれる時は、中にハイソックスか何かを詰めてね。靴下をぜんぜん持ってこなかったことに気付きました。(ここでは靴下すらも遠出をしないと手にはいりません!)

 ラジオはまだ買っていません。中古なんて手にはいりそうもないので思案中です。でも、大学独自の放送局があって、耳を慣らすにはもってこいだし、なんとか安く手に入れる策を講じましょう。  Annemarie(デンマークから来た子)がMain Hallにある放送局に連れて行ってくれましたが、屋根裏の洗濯場の片隅にある3畳くらいの部屋で放送をしていました。リクエスト曲もかけてくれるの。

 9月14日には野外劇場でShakespeareの"As You Like It"をSan FranciscoのNew Shakespeare Companyがタダで上映しました。森に囲まれた劇場で、観客は芝生にあぐらをかいて現物するの。役者は観客の中に入ったり、時には客も劇の中に入れたりして、さながら17世紀の劇そのものです。とってもおもしろかったよ。

 それから17日には体育館でFrederic Storaskaという人の"To Be Raped...or Not To Be Raped"という講演がありました。私は図々しくしゃしゃり出て、すぐ目の前に座り込んだのですが、すぐに後悔しました。実にpassionateでおもしろい(らしい)噺家なのですが、もんのすごい早口でまったくと言っていいくらい聞き取れないの。まわりの女の子たちはお腹を抱えて笑い転げるので、私は一人でブスッとしているわけにもいかず、適当にニヤニヤしましたが、2時間半、どこで笑えばよいだろう・・・と考えるのには疲れました。部屋に帰って、バタングー。

 授業の方はもう3週間にもなるのにあいかわらずで、少々焦っています。あまりにも聞き取れないので泣きたくなっちゃう。津田でも英語の授業はあったけれど、まったく違うのです。学生はとても活発で、どんどん自分の考えを発言します。毎日のhomewordもきちんとこなしているようですし、日本の大学生となんたる違い!!学生と教授間はとても親密です。朝の授業にはみんなコーヒーやジュースを手にして出席し、教授にも「コーヒー飲みますか?」なんて聞いていました。私は授業前のちょっとした世間話と、本筋との区別がつかず、最初からノートを取ろうとして、一人で赤くなったりして・・・もう!!メチャクチャです。一年たってもついてゆけるかどうか、怪しくなってきました。

 新聞はWashington Postを買うことができますが、なにしろ分厚いので見出しだけ目を通すのがやっと。ラジオが手にはいれば、ニュースを耳から聞けるのですが。前の部屋のDonnaという4年生がテレビをもっているので、昨日はニュースを見ました。ここ2、3週間ニュースなど聞きも見もしていなかったので、何がどうなっているのかさっぱりわからなかったのです。ニュースも、いわゆるFEN式でしゃべるのですから、完全には理解できません。  DonnaにFord大統領のことをきいたら、やはりとてもガッカリしている、と言っていました。私自身無知なのでそれ以上は聞けませんでした。そういえば、この前、Young Democratsの闘志?らしいのが突然部屋にはいってきて、 "Are you a republican or a democrat?" と聞いてきたので、どっちでもないと言ったら"O.K."といって出て行きました。なにしろこのような田舎に孤立した場所にあるので、まったく浮世を離れている気分です。日本の大学のような学生運動など皆無ですし、平穏無事そのものです。津田とあまり変わりがないみたい。ちがうのは、みんなが英語を話していることだけです。

 最近は空が抜けるように青く、とてもよい天気が続いています。この前KINGSという食料品店をウロウロしていたら、どこかのオバサンが話しかけてきて、大学の近くに住んでいるSallie Carrollという人が、日本に布教で行っていて(またはこれから行くのか?)私ととても会いたがっているので電話してあげてください、と言われました。どうしようかと迷っています。

 図書館で"This Is JAPAN"という雑誌を見つけて読んでいたら、日本のスチュワーデスが数人で談話をしているのがありました(もちろん英語で)。そこに、いくら外国で長く生活していても、言葉の障害というのは決定的で、どうしても日本人の意識からは抜け出せない、と書いてありましたが、そんなものでありましょう。私は絶対にアメリカより日本が好きです!少なくとも、日本語を使うときには劣等感は感じないしね!!(これは決定的!)

 「風の街」の最後見られなくて残念!!その他のテレビも見たいなーこちらではカラーテレビなどはとても見られそうもありません。そうそう、日曜の夜に"Colombo"をやっています。この前は図書館にいて見のがしちゃったけど、今度は見てみましょう。「日本ではコロンボも日本語をしゃべる」と言ったら、みんな驚いていました。こちらでは、7、10、13、15の4チャンネルしかありません。それでは、またね。

 


厳しい授業・キャンパスの様子

1974-09-13 | RMWCの日々

手紙着きました。どうもありがとう。 今日は、8時からElementary Japanese、10:20からAmerican Literatureがあり、今AM.Litが終わって教室から帰ってきたところ。

Dr.Anthonyがelementary Japaneseのあとでコーヒーをおごってくれました。大学のはずれにあるSkellerという学生運営の喫茶店です。 Dr.AnthonyはAdvanced JapaneseのクラスをこのSkellerで毎週やっているそうで、今度の水曜日に私も来たらいい、と言ってくれました。

この日本語の授業はとてもおもしろいのですが(今日は数の数え方とあいさつのドリルをしたの)、私の本命のアメリカ文学の授業はさんざんです。一つには、Miss Davisのしゃべる英語は他の大人のしゃべるのより聞き取りにくいこと。低い声でしゃべるからかもしれません。それと、津田でさぼってばかりいたからテキストを正しく理解できていないこと。今は17世紀のビューリタン文学をしています。Anne Bradstreetの"Contemplations", Michael Wigglesworthの"The Day of Doom", Edward Taylorの詩を少し。それにJohnathan Edwardsのエッセイです。これだけを3日間でやり、次の2日間でWashington Irvingのエッセイを6つほどやり、10月にはいるとJames Fenimore Cooperの本を7冊ほど、W.C. Bryantの詩、Emerson, Thoreauの本を何冊か、11月にはEdgar Allan Poe,Nathaniel Hauthorne,12月にはHerman Melvilleといった具合です。

私にはピューリタンの考え方が根本的によくわからない(いくら本を読んでもチンプンカンプン)なので、なおさら難しいの。そうそう、11月25日までにWilliam Cullen Bryantの詩についてのペーパーを書かねばなりません。恥ずかしながら、この人の名前、初めて聞いたのです。何か参考書があるかしら?アメリカのピューリタン文学についてか、この人自身の詩について・・・「もし暇があったら」探してみてください。でも、無理はしないで下さい。せっかくアメリカに来たのに、日本語の本を読んでは勉強にならないから・・・(なんて、これは強がりです)。

もう一つのコース、American Civilizationの方は、といえば、これがまた私のきらいな社会学なので、ちょっと後悔しています。むしろ現代アメリカの文化について学びたかったのに、これはピューリタン時代(植民地時代)からの文化の歴史だったのであてあgはずれました。これも2日に1冊の割合で本を読まねばなりません。  John Winthrop, Morgan, Samuel Sewallの日記、B.Franklinの自叙伝、William Byrdの"The Great American Gengtleman","Federalist Papers", Thomas Jeffersonの"Democracy in America", H.D.Thoreauの"Civil Disobedience", Whitmanの"Democratic vista", Frederick Douglassの"Narrative of the Life of F. Douglass"・・・以上です。今から歯がガタガタいっています。どうなることやら・・・でもがんばらなくちゃね。

 さて、一段落ついたところで(今昼食が終わったところ。もう午後は授業なし)、もう一度お2人からの手紙読み直してみました。おじちゃんの質問に答えなくてはね。まず、まわりの景色。なにから説明したらよいのかわからないけど、大学はRivermont Avenueという並木道に沿ってあります。道の両側は林になっていて、奥まったところにポツンポツンと家が建っています。白いポーチのついた南部特有の大きな家々です。大学はこうした道の一角に赤レンガの塀で囲まれているの。

【Rivermont Av.にて】

このあたりはSeven Hillsと言われていて、坂だらけ。ほとんど平らなところがないくらい。大学の構内にも丘がたくさんあります。したがって階段がいたるところにあります。 図書館などは丘の傾斜に立っているので、正面玄関からはいると、そこが4階なのよ。裏から見ると5階建て、表から見ると2階建てなのです。最初に図書館に行ったときはそんなこと知らなかったので、さて4階に行こう、とエレベーターのボタンを押しても、いくら待っても動き出さないじゃない、壊れてるのかと思って外に出ると、fourth floorと書かれているのでビックリしました。

【Library viewed from Mary's garden】

校内の建物はすべて赤煉瓦造りです。キャンパスはそんなに広くないけれど、それぞれの建物はみんな立派できれいです。私の部屋からは、Art Galleryの赤い建物と一面の森、はるか下方にはテニスコートとフィールド、遠くにBlue Ridge Mountainsが見渡せます。

 北向なのであまり陽があたらないのよ。朝はたいてい霧がかかってボーっとしていますが、昼間はとても美しい景色です。 今はこんな状態であります↓
    
 ←クリックで拡大→  

空気はとてもおいしいですよ。おかげでお腹がペコペコになり、いつも食事が待ち遠しいの。身体の方は健康そのものですからご心配なくね。

学生の家庭環境はみんな裕福らしいです。なにしろ自分の部屋にステレオやテレビを入れているんですもの。育ちの良いお嬢さんばかりです。卒業すると津田みたいに職業につく人が多いようです。内容はよくわからないけど。この大学のオフィスに勤めたりする人も多いみたい。けっこうみんな真面目なのでおどろいています。ただし、人生そのものに対しての態度とかはよくわかりません。そんな哲学的な考えはもってないんじゃないかと思う。気楽に学生生活を楽しんでいるみたいよ。ほとんどの子がボーイフレンドを持っています。大学にちゃんとデートパーラーがついているし、夜はMain Hall Lobbyで女の子を待っている男の子がウロウロしています。

たった今、私のオリエンテーションリーダーの一人、Nancyがボーイフレンドを私に紹介してくれました。日本に2週間ほど行っていたそうです。 Washington & Lee Universityの3年生という男の子で、ずいぶんおとなしいの。 3人でSkellerへ行ってレモネードを飲みました。あまりしゃべらなかったけどね。 アメリカの学生の方が、日本の学生よりよく勉強するみたいだ、と言っていました。

その他モロモロ、おじちゃんの質問にもいずれゆっくり回答できることでしょう。そのうちゆっくりスケッチもして送りますからね。チコタンのほうは、キチガイのように働きまわっている姿が眼に浮かびます。無理して疲れないで下さいね。 もうそろそろ学校も始まったことでしょう。S先生や他の先生にもよろしくね。あんまりご期待に添えそうもないけど、何とか生きていますってね。

そうそう、お琴の譜面を送ってくださってありがとう。前にあんなこと書いたけど、Dr.Anthonyがいずれ本物のことを探し出す、と意気込んでおられるから、いつかきっと役に立つと思うし、今の琴でも弾けないことはないのです。

あー書きたいことは山のようにあるけど、またにします。もう時間がないから。
お兄ちゃんが来たらよろしくね。写真を同封します。ひどい顔でがっくりです。お化けみたい?
これとは別に、また私の記事が近く新聞に載るそうなので、できたらまた送りますね。
それでは、また。 


始業式(Opening Convocation)

1974-09-11 | RMWCの日々

お元気ですか?

今午後9:30。夜の8時からOpening ConvocationがSmith Auditoriumでありました。始業式みたいなものかしら。もう授業はとっくに始まってるのにね。でもとても感激的な式でした。壇上には例のごとく星条旗が飾られ、Seniorsは全員黒いマントと黒いガウンをまといます。ちょうど卒業式のように。教授たちも全員同じような(もっとゴテゴテ飾りのついたガウン)衣服で現れました。教会のミサのように司祭がオルガンを弾いて式が始まり、まずアメリカ国家が歌われ、次にお祈り。そしてDr. Quillian(学長)の式辞があって、special speakerはDr. M. Elizabeth Tidballという方でした。アメリカにおける女性の地位について云々を演説し、R-MWCで学んだような女性がトップに立って未来を切り開く!とかなんとか。熱烈にしゃべっていました。私は他のinternational studentsの子たちと早めに行って席を取ったので、seniors(4年生のすぐ後ろに座ることができました。

式が終わった後、レセプションがあり、外の芝生ではsophomores(2年生)がキャンドルサービスをしながらAlma Mater(校歌)を合唱してとてもきれいでした。

そうそう、お琴の話しまだだったでしょ。 昨日Mrs.Hughesと一緒に彼女の知り合いの家に行って、そこの18歳の女の子が持っていたことを借りてきました。ところが本当の琴でないのです。イミテーションで70センチくらいの大きさなの。ただの趣味であの大きな琴を買うのはどうもおかしいと思っていたけど、やっぱりね。それでもちゃんとtuningしたら、音はまともに出るので、「六段」を少し弾きました。(楽譜もう送っちゃったかしら?まだだったら今すぐでなく、いずれ何かのついでに1,2冊送ってくれるだけでいいわ。こんな調子だから、必要なさそうですので)

そのあとでMrs.HughesとMr.Hughesが夕食をご馳走してくださいました。アメリカのレストランておもしろいね。もちろんそんな高級なのではないけれど、とてもリラックスしている感じ。ウェイトレスやウェイターがしゃちこばっているのって日本だけではないかと思います。

Mrs.HughesとMr.Hughesは大変いい方達です。 Mrs.Hughesは大学のAdmission officeの秘書をしています。とてもゆっくりしゃべるので、私に特別そうしてくださるのかと思ったら、本当にゆっくりしゃべる人なのだそうで、みんなに馬鹿にされるのだとおっしゃっていました。 Mr.Hughesとは昨日初対面でしたが、とてもおもしろい人です。(総じて、アメリカでは婦人より男性の方がおしゃべりみたい)  Mr.Hughesの英語はDr.Anthonyの次にききとりやすいの。ほとんど苦労せずに理解できます。それに、私のブロークン・イングリッシュもよく理解してくれます。やはり学生より大人の会話の方がだんぜん聞き取りやすいです。お琴の話や日本の大学制度についてなどをしゃべりました。とってもおもしろかったわよ。

この学校はLiberal Arts Schoolだけど、それぞれのコースでみんなずいぶん熱心に勉強しているみたいです。 Main Hallの廊下に美術をとった人たちの作品がズラリと展示してあるけれど、日本のそのへんの美大の生徒の作品よりよほど上手と思われるものばかりです。美術には特に力を入れているみたいで、学内のいたるところ、Main Hall Lobbyはもちろん、いたる部屋、体育館、図書館にいたるまで、あらゆる部屋にアメリカの有名な画家の作品がかけられています。学生も1年間3ドルでそうした作品を借りることができ、部屋に飾っています。本物かどうか?ピカソとかゴーギャンの絵もあるの。


授業開始!

1974-09-09 | RMWCの日々

お元気ですか?

お手紙どうもありがとう。手紙が届いて、はじめてあーやっぱり遠いところに来たんだな~という気がします。まだ日本を離れて2週間しかたっていないなんてうそみたい。

授業が始まって今日で3日目(木・金・月曜日)ですが、少々沈滞気味です。はじめは聴講生の手続きを取って試験の心配もないし、気楽に・・・と思っていたのに、登録する時にMrs.HudsonというDean of Students(こわーいおばあさん!)が、単位を取った方がいい、と言い張って、あっという間にfull-time studentにされてしまいました。おかげでさっそくpaperとtestに今から怯えています。津田でも英語の授業を受けたけど、やっぱり天地ほどの差があります。講義はさっぱり?です。しかも大量に読まねばならず、暇さえあれば図書館に駆け込んでいます。

クラスはSurvey of American Civilizationの方が7~8人と少数で、Literatureの方は14~5人います。主にディスカッションなので、ますますわかんないのよ。津田でいかに安易に暮らしていたかがわかりました。言葉さえわかれば内容はそうたいしたことないと思うのですが・・・

何よりも困るのは、先生も含めて生徒も、私が英語を「fluentlyにしゃべれる」と信じていることなのです。特別やさしくゆっくりしゃべってくれるわけではないし・・・今日は午後、Miss Davis(2つのコースの先生)のところへ行って授業のポイントをもう一度聞いてくるつもり。

そうそう、今日は日本語の授業があってDr.Anthonyのお手伝いをしました。なんと生徒は2人しかいないの。いくらなんでも・・・という感じ。もっとも週に4日間、しかも朝8時からとあっては、このコースをとるのは、よほどの熱意がいると思うわ。私はテキストにあるローマ字で書かれた日本語を正しく発音して、2人が真似をするのを聞き、直す役目です。かくも週数なので、家庭的雰囲気で笑ってばかりいるの。Dr.Anthonyという人は実におもしろい人で、冗談ばかりいうのです。

やることはたいした事はないのですが、なにしろ朝8時のクラスというのはとてもきついですね。朝食は7時です。ここでの食事はすべてseatedです。つまり8~10人くらいの丸いテーブルにそれぞれ腰掛けて、ウェイトレスが給仕します。ウェイトレスはみんなここの学生で、学費を稼ぐためのアルバイトとしてやっているの。好きな時に好きなものだけ食べられるというわけには行かないので、ちょっとゆううつ。それに、会話も一つの義務みたいなかんじで、一人で黙っているわけにもいきません。食事の時まで、耳に神経を集中しているのであります。あ~疲れる。

と、愚痴ばかり並べちゃいましたが、まぁそのうちになんとかなるでありましょう。

こちらでは、今までずっと雨がボソボソ降るさむーい日が続いていました。なにしろ夏物しか持ってこなかったでしょう?冬物はまだ届かないし・・・羽田で良子叔母ちゃまにいただいたセーター一つが頼みの綱で毎日着ています。今日は久しぶりに青空がのぞき、私の部屋からBlue Ridge Mountainsが見晴らせます。

ベッドカバーと毛布は寮から借り、カーテンはセールで買いました。壁のポスターは2枚買って、あと3枚は隣りのStephanie(4年生)が貸してくれたし、カーテンと同色の小さなrugを、Stephanieの友人のTinaという4年生から4ドルで買いました。ばからしいと思うかもしれないけど、これがないと部屋を歩くのにすごい音がするのです。

ここでは買い物に出るのがとても不便です。この週末にStephanieがまた車で買い物に連れて行ってくれ、テニスシューズ(なにしろサンダルしか持ってっこなかった)と、ガウンを買いました。まだバスで一人で出たことはありません。次の週末に試してみようかな・・・そうそう、ガウンといえば、婦人ものでは全部大きすぎ、子どもコーナーのサイズ7、しかもそれでも長いので12センチも「あげ」をしました。日本では私もMサイズでとおる、と言うと、他の女の子たちは驚いて「日本では私は象だ」なんて言っていました。彼女たちと一緒にDrugsでSundeaという馬鹿でかいアイスクリームを食べました。とても美味しかったわよ。28種類ものアイスクリームがあって、こんな所に一人で入ったら、何を注文していいか困ってしまうと思います。

アメリカの食事は概して全部気に入ったみたい。といっても、特別なメニューがあるわけではないのですけど。でもやっぱりホカホカの白いご飯がたまには食べたいなー。やはり日本は一番いい国だと思うのであります。チコタンからの手紙を読んでいたら(外の芝生でリスを目の前にしながら読みました)とんで帰りたくなりました。

お見送りのことはよくわかりました。私も、飛行機のところでみんなに手くらい振れるだろうと思って、さっさとバスに乗り込んでしまったのだけど、なんとバスバスがあれよあれよと送迎デッキを離れてどんどん走ってしまうのです。もう、このままアメリカに行っちゃうんじゃないかと思うくらい、はるか彼方まで行ってしまいました。デッキにいる義朗おじちゃんたちは見えたのだけど、すぐ遠くなっちゃったし・・・私たちの飛行機からは見送りの人はだーれも見えませんでした。雨もひどかったしね。大変だったでしょう、ほんとに。

そうそう、こちらでの服装はどうかというと、みんな擦り切れたジーパンをはいています。この前、Dr.Quillian(学長)のTeaPartyがありましたが、その時もみんなほとんどがミニの軽快な感じのワンピースorツーピースでした。私は白い長袖のを着ていきましたが、あれでも華やか過ぎたくらいです。ロングスカートなんて(日本のみたいな流行の)ひとつも見かけません。ニューヨークでもそうでしたよ。

話題はあちこち飛びますが、ここの図書館はそれはすばらしいの。本が12万5千冊もあります。5階建てで、エレベーターつきで全体に絨毯が敷き詰められ、大きなソファーがいくつもあるの。夜は11時まで、めいめいソファーに寝転がったり、床に寝そべったりして、気ままに本が読めます。ここにくると、あ~勉強しなくちゃ!!と奮い立つの。全部(もちろん)洋書ばかりなので、借りて読むのもままならない(クラスで割り当てられた分をこなすだけで精一杯!)のが残念でたまりません。

あ。。。もう眠い!今11:35pm。1時間ほど前に、明日の割り当てを読み終えて(実はまだ終わってなーい)図書館からトボトボ帰ってきたところ。Main Hallではデートしているカップルでまだ賑やかでした。さすがアメリカで、大学内にデート用のパーラーや家があります。 私には縁がナイ。

大変!!もう明日のために寝なくては(また6:30起きです)。お二人ともお元気でね。お兄ちゃんが来たらよろしく!おやすみなさーい。