Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

憧れのTexas-4 (Odessa)

1975-06-30 | 全米旅行(Texas)

今はOdessaに向かうバスの中です(7:00AM)。
知らない間に眠っていて、ふと眼を覚ましたら、外の景色はこんなでした。
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Wandaが西に行けば行くほどopen spaceでflatだとさんざん言っていましたが、それを目の当たりにして、改めてわぁ~~~と思いました。本当にthousands of milesにも渡る農地です。ところどころに家や教会が見えるだけ。
やはり、こういう光景は、話は聞いても、実際に見ないと実感がわきませんね。

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Rest stopを終えて、また走り出したら、今度はこのような景色が延々と続いています。
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緑と茶色の混合で、黒い点の部分は60cmほどの小さな形の整わない木の群れです。はるか向こうに、丘陵地帯が見えます。いかにもTexasらしい景色です。

それにしても、Texasは、はやり巨大、広大、雄大!!もう1時間もこんな景色が続いています。いくら見ていても飽きません。

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さて、Odessaでは、ヒサミのlittle boyfriendのRon Bennett(11歳)の家に一泊しました。お父さんが作曲家で、ピアノを教えていて、日曜は教会の聖歌隊で教えているという音楽一家で、お母さんも素晴らしい声をしていて、歌が大好きなの。昨日は夕方、私とヒサミのためにRonの友人を呼んで小さなパーティーをしてくれました。Ronの友達というので、11,2歳の男の子が5,6人と、ギターの先生とかおばさんとかが来ました。それから、お父さんのピアノの生徒の1人の女の子と、そのご主人も来たのだけど、男の子の方は日本人でした。みんなでトランプなどしました。

Ronのご両親はthe funniest people I've ever met!!でありまして、2日間笑づくめでした。本当に狂っているのよ(笑)
お父さんは何かというと大声で歌を作って歌いだしたり、冗談ばかり飛ばして、「Texasに来るには、うんとsharpでjokeを捉えなければならない」なんて言われちゃいました。お母さんも劣らず愉快な人で、車の中でいろんな歌を教えてくれました。Texas Songを威勢よく歌いだすのよ。車の中で一家そろって大声で歌いだすので、周囲の車の人が覗きこんできました。一度は"The eyes of Texas are upon you(有名なテキサス大学応援歌)を大声で歌っていたら、police carが寄ってきたりしました。

お母さんはパーティーの時、友人の婦人がソファーに座っていて「ドロシー、テーブルのクッキーを1つ放って下さい」と頼んだら、部屋を横切ったキッチンにあるテーブルからクッキーを本当にビューっと放り投げたの。クッキーは、間に座っていた私とヒサミの目の前を横切って、その婦人にぶち当たりました。ぶちあたっても感じないほど太ったオバサンでしたが。もう、こっちはびっくり!
そのオバサンも、もうそんなことには慣れっこらしく、チェアーの下に転がったクッキーを拾ってパクリ。帰り際には「ここにいるのに耐えられなくなった時のために、うちの電話番号を教えときましょうか?」なんて我々2人に言いました。

また、このお母さんは若い頃教師になりたくて、しかもTexasで教えたかったので、何のsubjectでもいいから教えさせて欲しい、とある学校に頼んだのですって。5,6課目のエキスパートで、どんな学課でも大丈夫と思っていたら、なんと頼まれたのがPE(体育)で、PEだけはその5,6課目にはいっていなかったのだそうです。彼女は、バレーボールなんて聞いたこともなかったのですって。それで、本を買ってきてページをめくりめくり教えたそうです。
ところが、ある時、彼女の学校のチームと他校チームの試合があったそうで、彼女は相手校のコーチに「白いボールでやりましょうか、茶色いボールでやりましょうか?」と尋ねたそうです。すると相手のコーチは「ドロシー、茶色いボールなんて、ありませんよ」というので、「私たちはいつも2種類のボールで練習しているのですが…」といって、茶色いボールを持ってきて見せたら、相手は「ドロシー、それはバスケットボールです」と言ったそうです。

こんなバカな話ってある???

彼女は、本にはバレーボールのボールの色まで書いてなかったせいだ、と言っています。生徒の方は気がついていて、彼女に言おうとしたのだけど、彼女は生徒のおしゃべりを決して許さなかったのですって。
もう、私たちはお腹を抱えて笑いました。

それはともかく、その日は夜私とヒサミとRonと両親と、Ronの親友のMacと、Ronのお祖母さんと叔母さんとで、Sandhillに行きました。Odessaから30分ほどしたところにある砂丘です。そこでBBQをして夕食を取ったの。
子どもたちと一緒に砂丘を滑り降りたり、駆けまわったりして大騒ぎしました。
夜9時頃になると、ゴージャスな夕陽が砂丘の向こうに沈み、日がとっぷりと暮れた後は、コヨーテの鳴き声もしました。実際すぐ目の前の暗がりを、コヨーテがトコトコと横切っても行きました。

それにしても、本当にTexasはワイルドで素敵です。明日はもう去るわけですが、今までの中でTexasが一番印象に残りました。

 


憧れのTexas-3 (San Antonio)

1975-06-29 | 全米旅行(Texas)

今はすでにSan AntonioからOdessaに出発するところです。3日間、あっという間に過ぎてしまいました。

27日にSan Antonioに着くと、Wandaが迎えに来てくれていました。家には妹さんの1人Domingoだけがいたので、4人でWandaのお気に入りのメキシカン料理店へ行き、私にとっては初めてのメキシカンフードを食べました。とっても美味しかったです。すごく辛いと聞いていたけれど、カレーライスに比べたらそうでもありませんでした。

Wandaの家は、日本人の一般家庭のようです。つまりアメリカ家庭の中ではお金持ちの方ではありません。Wandaはお父さんがMexicanでお母さんは半分Germanなのです。

次の日はWandaはアルバイトがあるので朝から出かけたので、ご両親とDomingoが私たちをかの有名なAlamoに連れて行ってくれました。メキシコが敗れた場所です。写真で見ると、古めかしい城壁があって、いかにも町はずれにありそうですが、何を隠そう、町のど真ん中で、デパートなどに囲まれているのです。

Alamoの後はSpanish Governor's Palaceにも行き、スペイン系の家づくりを楽しみました。TVで見た「怪傑ゾロ」の舞台みたいな、白壁の家が並んでいて、San Antonioは半分スペイン色が強いのです。

夕方になったので、Wandaのいるレストランで彼女をピックアップしてから家に帰り、今度は隣人のメキシカン家族(小さな男の子が3人もいるの)と一緒に、San Antonio Riverへ行きました。この川は、San Antonioの街中を突っ切って流れている川です。川沿いには大きなホテルやレストランが立ち並び、遊歩道になっていて、スペイン系の石畳の野外舞台もあり、そこでは毎晩スペイン音楽やダンスが演じられています。この日も、衣装をつけた人たちがギターを弾いていて、賑やかでした。山のような人が座って聞いていました。

また、川にはリバーボート(60人くらい乗れる大きいの)が走っていて、それに乗ってずっと川を下れるの。私たち子ども族はボートに乗りました。川の両側の野外レストランで食事をしている人たちが手を振ったり、ホテルの窓からテキサスハットをかぶった人が奇声をあげたり、舞台からはスペイン舞踊曲が流れてくるし…まるでスペインそのもののムードです。しかも、もう夜なので、両岸の木々は色とりどりのライトで照らされ、灯りが川面に映り、すごーーーくロマンチックです!今度は絶対ヨーロッパ(イタリアとかスペイン)に行きたいな~と、今から思ったりしています。

今日(29日)は、朝5時半に起こされ、Wandaと、彼女の友達2人とで、メキシコ湾のビーチにドライブ。
ChrisとVeckyという2人が乗った車が率先して、私たちを導いたのですが、San Antonioの街を抜けるまで10回以上も道を間違え、同じところを2台の車でグルグルグルグル旋回してしまいました。やっと抜けたと思ったら、今度は彼女らの車がパンクしてしまい、道路わきでジャッキを使ってタイヤを取りかえるやら…大騒ぎ。
やっと昼前にビーチに着きました。途中の道も、いかにもTexasらしく、素晴らしかったのですが、メキシコ湾はJust beautiful!!!! 今日は特にすばらしい天気、コバルトブルーの空に真っ白な入道雲がわき、砂は白くてやわらかく、海は遠浅で水はすごく暖かいの。小さな魚がすぐ砂浜まで来ます。混んでいると言っても、それほどではないし、とにかく絶好の場所でした。泳いだり、日光浴をしたりして、一日過ごしました。

そこから帰って来たのが10時過ぎ。シャワーを浴びて、のんびりしてから、Wandaのお父さんとDomingoに送られて、今2人でバス停に来たところです。

2:10AMのバスでOdessaに行き(11:00AM着予定)、ヒサミの友人の家に一泊し、次の日はアリゾナに行きます。
では、またね。

 


憧れのTexas-2(Dallas→SA)

1975-06-27 | 全米旅行(Texas)

今はDallasからSan Antonioに向かうバスの中です。
Dallasを今朝10時半に出て、11:10発のバスに乗り込みました。

そうそう、Dallasではお友達にあげるための革製のペンダントと指輪などを少し買い込みましたが、その店のオジサンが私たちに興味を持っちゃって、日本に行きたい、なんて言い出し、とても親切にしてくれました(でもマケてはくれなかった)。革製品はSan Antonioに行けばもっと安いそうなので、まだあまり買っていません。西に行くほどTexasらしくなるとのことですが、なるほどDallasは全然Texasという感じがしないけど、今やバスに乗って1時間もしただけで、早、景色はいかにも「テキサス」です。

イラスト

といった風景が延々と続いています。
黒のは背の低い灌木です。この辺は高い木はあまり見られません。
一面の緑と青い空と白い雲がとっても綺麗です。やっとテキサスに居るんだなぁ~という気がしてきました。バスは涼しいけれど、外は暑そうです。

さて、もうすぐrest stopで止まりそうです。今アナウンスがありました。


憧れのTexas-1 (Dallas)

1975-06-26 | 全米旅行(Texas)

おはようございます(今朝5時)。

Guess where I am??? In TEXAS!!!!
いよいよ憧れのテキサスにやってまいりました。なぜ憧れなのかわからないけど、チコタンが昔来た所だからか、西部劇でよく聞く名前の州だからなのか、小さい頃から、アメリカといえばテキサス、というイメージが大きくて、この旅行を考えた時も、誰が何と言おうと、テキサスを第一目的地にしたくらいなのです。そのテキサスにいよいよ着きました!

今は(と、いつも手紙の書きだしは同じなのですが)Dallasのバスターミナルの中であります。まだカフェテリアが開かないのです。バス旅行は今のところは本当に快適です。バスも日本のチャチいのと違って、大きいので、椅子のソファーもふかふかだし、ゆったりしているし、座る位置もとっても高いので、上から町を見下ろしている感じでいい気分です。夜は見知らぬ街の灯を通り過ぎて突っ走るのは最高にロマンチックです。昨夜はfull moonでした。


時は移って、今8時にやっとなりました。Dallasの駅にはとても大きなカフェテリアがあるので、そこに入ってコーヒー一杯で2時間もヒサミとおしゃべりしながら費やしました。ヒサミと、日本に帰ったらどうする?なんて将来の話をべらべらしゃべって、ケタケタ笑い転げて、まるで日本の喫茶店で友人としゃべっているみたいです。一息ついて、「あ~、やっぱり私たちTexasに居るのね~、日本じゃないのね、まだ」なんて言ったりしています。人間なんて、どこにいても同じですね。

今彼女はDallasの友人の家に電話しに行きました。窓の外にはDallasの街並みが見えます。ここはクーラーが効きすぎて寒いくらいだけど、外は暑いのでしょう。今日は、お迎えが来たら、家に行って、napでもとり、一息ついたらshoppingにでも行き、お土産を買い込んで、それからケネディの暗殺された場所(これくらいしか、Dallasのことを知らないので)でも見に行こうか、と思っています。

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DallasではTeresaという子(ヒサミの友達)の家に泊りました。彼女の家に着いたら、急いでシャワー室に飛んで行って、3日分の垢を流し、さっぱりしてから彼女の運転でDallas市内見物に行きました。その途中でBuskin Robinsという有名なアイスクリーム屋に2度も立ち寄って、クリームコーンを食べました。これはヒサミの大好物で、彼女はBRのコーンには目がないのです。25¢しかかからないからいいようなものの、こっちまで付き合わされて太っちゃう。

J.F.Kennedyの暗殺された場所も見ました。バス停のすぐ近くの道路なのよ。もっとビル街かと思ったら、割と広い場所で、赤煉瓦の建物の4階の窓からオズワルドが撃ったそうです。しかし、ポールをすぐ過ぎた所で撃たれたそうですが、そうすると、ビルの位置から考えて、ケネディの額の真中を弾が抜けるはずはないので、どうもすべてミステリアスなままなのだそうです。Dallasはケネディ暗殺の場所というのが有名なくらいで、街の真ん中にケネディの碑が立っていました。

Teresaの家には、Teresaのお姉さんの子どもAmyという1歳ちょっとの可愛い赤ちゃんがいて、家中に笑いをふりまいていました。私とヒサミは、帰ってきてからもう眠くてたまらないので、夕食までnapをとって、二晩分の睡眠を取り戻しました。

夜は、Teresaのお姉さんLindaの友人夫婦と、その赤ちゃんが来たので、彼らと一緒に車に乗り、夜のDallasを見に行きました。サーカスもやっていて、Parking lotに道化師の身なりをした人が3人くらいたっていたので、赤ちゃんは泣き出すし、みんなで大笑いしました。


 


Kansas City~Oklahoma City

1975-06-25 | 全米旅行(Oklahoma)

お元気ですか?
再び顔を出します私目は今やOklahoma Cityにおります。
昨日Kansas cityを出て、朝6時にここに着き、ろくに眠りもしなかったので目が開きません。

Kansas Cityでは、YHに泊りました。電話をしたら、予約もしてないのに(今まで全部そうですが)歓迎してくれて、Grand Viewというところまで来たら迎えに行ってあげる、とまで言ってくれるので大感激。お昼ごろ行くと、Grand Viewという所はだだっ広い白い道路わきの小さなバス停で、そこで待っていたら、小型のバスで迎えに来てくれました。若い奥さんと8歳の女の子で、感じも良いので一安心。バスでガタガタ道を行くこと15分。森を抜けて、坂を上った丘の頂上の一軒家でありました。
こんなところでは、バスもなにも走っておらず、迎えが要るわけです。大きな家の1階をYHで、2階には家族が住んでいました。

小さな女の子のAnnは体操の学校に行っているとかで、身軽なアクロバットを見せてくれたり、ドアや戸棚によじ登ったりしてはしゃいでいました。
Brooklineでのあのひど~いYH並みのを想像していただけに、ここは私たちには天国でした。ちゃんとベッドには毛布も枕もあるし、綺麗にしてあるし、オーブンも使わせてもらえます。それで一泊1.50ドルなのよ。Brooklineでは3ドルもとられた!!
他に泊り客は誰もいず、我々だけだったので、応接間を占領して、TVまで見ちゃいました。

ところが、長あれば短ありで、こんな山奥ではペアレントの人が車を出してくれなければ身動きもできないのです。外にも行けず、置いてある雑誌もTVも見飽き、手紙もしたたか書いたし…ついにやることがなくなって、2人でなんと8時半にベッドにもぐりこんで寝てしまいました。ばかみたい。

翌日は、バス停まで送ってもらって、Kansas Cityに出ました。バスで隣り合わせた気の良いオジサンと話したら、その人は脳の病気で、病院からの帰りなのですって。お医者さんは手術で50%治るが、50%はビッコになるというので、受けないことに決めて、今ピンピン生きているんだから気にしないんだ、なんて言っていました。なんだか気の毒になりました。

Kansas Cityとは言っても、カンザス州ではなくてミズーリ州側のKansas Cityです。なにも見る物がないので、まずLiberty Memorialという所に行ったら、独立戦争で戦死した人のための碑があるだだ広ーーーーーい、というだけの場所なの。お昼を食べて、芝生に寝っ転がるだけで帰ってきて、次にCountry Club Plazaというショッピングセンター(原宿みたいなところ)に行き、ウィンドウショッピングをしました。バス停に5時半頃帰ってきて、暇をつぶして9時発のバスを待ち、今朝ここに着いた次第です。

今日は日中Oklahomaを見て回り、夜中のバスでDallasに行きます。ヒサミの友達の家に一泊し、明後日はWandaの家のあるSan Antonioに行きます。

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今は夜の8:40です。一日がかりのOklahoma City見学から帰ってきました。
朝、駅内にあるTraveller's Aidの所へ行って、観光に良い場所はないか、と聞いたら、そこにいた女の子が、外国人学生のためにはfreeで市内案内をやるボランティア活動があると言って、いろんなところに一生懸命電話してくれ、ついに係りの女の人を1人見つけ、市内のmuseumやcapitolの入場券までタダでくれたの!驚きでしょう?ただ外人であるというだけで。

やがて50歳くらいのきびきびしたオバサンがやってきて、「Billy-Jean(King)ならぬ、Mary-Jeanと呼んでくれ」なんて自己紹介して、さっそく私たち2人を車でCapitol(州議事堂)に連れて行ってくれました。こんなに調子良くていいのか?と思うくらい。Capitolでは女の子が私たち3人だけにガイドについてくれて、ハキハキとした説明で裁判所から州会議所まで、全部案内してくれました。

そこが済んでから、Mary-Jeanが昼食には日本食がいいでしょうと、「Tokyo Garden」という店に連れて行ってくれました。もうすぐランチタイムが終わるので、客は我々3人だけ。日本人の経営している大きな大きな日本料理店でした。広い座敷まであるの。もっとも、メニューはチャーハンとかチキンフライとか、中国料理のようなものですが・・・

店に入ると、日本人のオバサンがたくさん働いていて、私たち(私とヒサミ)が日本語でしゃべるのを聞いて、むこうも日本語できました。聞くと、アメリカに20年以上も住んでいるとか。日本が懐かしいらしく、1人のオバサンは一緒にカウンターに座りこんで、関西なまりでいろいろしゃべってきました。Mary-Jeanにはさっぱりわからないので、私が通訳してあげたりして、まるで彼女が日本に来て私たちが案内しているようでした(笑)。
3ドル近く取られる食事をしましたが、それだけの価値がある素晴らしい料理で、久しぶりに(いつもピーナッツサンドしか食べていない)お腹一杯、美味しいものを食べて大満足。お茶もおすましもエッグロールもチャーハンも、みんな美味しかった!日本食ってやっぱりいいですね。とても感じの良い店でしたが、こんなcountry sideに、こんな立派な日本料理店があるなんて、うそみたいでしょう?

そこを出てから、Oklahomaの歴史的に有名なWestern Heritage Centerに行きました。
私はOklahomaって中部の何の変哲もない州かと思っていたのですが、Indianがあったり、西部色の強い州なのですね。このCenterは最高に面白くて、興奮し通しでした。地下は全部TVや映画でみるWesternの街の作りになっています。Tavern、gun shop, photo shop、薬屋とか、古い西部の街がそのまま再現されて、西部スタイルの等身大の人間もたくさんおり、すっかり西部劇の中にいるみたい。本物の大きさの馬もたくさん置いてあります。酒場では、例の両開きのドアを押して入ると、ウェスタンミュージックが自動的に流れてきます。
地上階では、インディアンの作品や生活を現した絵などで一杯でした。わ~やっぱり西部っていいなぁと思いました。
私が小さい頃から知っているアメリカの姿がここにあるみたいで・・・早くTexasやArizonaに行きたくなりました。

そこを出てから、Mary-Jeanは我々をOklahoma City zooまで送ってくださって、彼女は車で家に帰るのでお別れしました。
Zooといっても、日本の比じゃなくてとっても大きいの!午後6時に入場は終わるけど、出るのは日が暮れるまでいつでも滞在自由というので、ヒサミと2人で一周見て回りました。日本のように狭苦しい檻に入れられているのではなく、広々とした草原に柵がしてあるのです。キリンや象なども自由に草を食んでいます。ちょっとアフリカにでもいる感じでした。

7時半頃までウロウロしていて、さて出たら、驚いたことにもう最終バスは終わりだというの。焦りました。タクシーも呼べないし、どいうので、ついにさっき別れたばかりのMary-Jeanに電話して、Help!と叫んだら、何のイヤミも言わずに来るまで飛んできてくださり、バスステーションまで送ってくださったの。
ただのボランティアなのに、ひたすら観光客を楽しませようとする一心で、本当に親切なのです。大感激しました。
Oklahomaでは良い思い出だけ残りました。

それでは、またね。明日はDallasです!