Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

Final Exam開始!

1975-04-28 | RMWCの日々

いよいよ明日からFinal Exam期間です。

先週の土曜はとてもいい天気なので日光浴しながら詩を読みふけりました。土曜の夜は、Campus movieで、DisneyのSon of Flubberがあったので、観にいきました。試験前で皆気が立っているので、そんなときにはうってつけのコミカル映画でした。フレッド・マクマレイの出演するおかしな映画だけど、知ってる?フットボールのシーンでは、もうみんな涙が出るほど笑い転げて、それこそ映画と一体化しちゃって、マクマレイのチームが点を取るごとに拍手と口笛が鳴り響きました。その映画の後では、みんななんとなく浮き立ってしまった感じで、寮のホールもquiet hourなのに、飛び跳ね歩いたり、取っ組み合ったり?おかしな夜でした。

今日は天皇誕生日ですね。昨日手紙受け取りました。もう私の出した在学証明書届いたでしょう?今日はいよいよexam第1日目。私ははやばやとイギリス文学の試験を取りました。そういえば、昨日このコースのterm paperが返ってきたのだけど、なんと、Aでした!
この前のテストでC+なんかとったから、失望していたのに、再び勇気凛々。Dr.St.Vincentは、excellent essayだと書いてくれました。今日のテストも、3日間必死でやっただけあって、おもしろいようにアイディアが沸いてきて、blue bookの半分くらいまで埋めちゃった。まずまずの出来です。残るはアメリカ現代詩一つ。これもかなり自信あるし、今は開放感に浸っています。

ところで、試験の終わった土曜の夜こそ(そちらの土曜の夜か、日曜の朝)電話しようかなぁと思っているのですが、どうですか?帰りの飛行機が落っこちるかもしれないし、国際電話なんか滅多にする機会もないから、ちょっと面白いと思って・・・3分以内に話すからね。 それでは、またね。  Love & Peace


授業最終日!

1975-04-25 | RMWCの日々

いよいよ今日を持ってR-Mでの授業は終了しました!!

朝向かいのDonnaが”My last class at R-M is indoor tennis!!"と不快極まりない顔で私に言いました。というのは、昨日から嫌な天気で、やたら蒸し暑い上に、スコールみたいな雨が降ったりやんだりなの。今日も朝大雨が降って、コートがぬれて使えないのです。私もDonnaと同じコースを取っているので、同じ運命でした。Donnaは4年生なので、事実上これが彼女の最後のクラスというわけ。ぜんぜん感慨が沸かない、とこぼしていました。

私もなんだか信じられません。でもまだ油断はできず、来週の歌謡からFinal Examです。私は2コースだし、Am.Poetryは前もって問題が渡されているので、とても気楽。それでも、Am.Poはものすごい量で、いくら用意していっても果たして3時間で書けるだろうか?というくらい大変なの。まだBritish Lit.のほうはぜんぜん手もつけていません。こちらの方の最後のクラスは、いつもはlectureなのですが、この日だけは机を丸くしてdiscussion形式でKeatsの詩をしました。私は3回も意見を言いました(Keatsは専門だもん)。そのうち1回は見当違いのことを言ってしまいましたが。

Am.Po.のlast classでは、途中で黒い巨大な犬が教室(Chapel lounge)に入り込んできて、サークルの真ん中に座り込んで皆大笑いしました。このキャンパスには10匹近く犬がうろうろしているの。

今日は最後のテニスが終わった後、JenniferとSkellerへいって(金曜日はいつも魚で美味しくないので)お昼(ハンバーガーとコーラ)を食べました。StephanieやDonnaや4年生連中は、Last dayだというので、総勢外食をしに出かけました。

それからJenniferはW&Lのコンサートで知り合ったというSethという男のことの初めてのデートで、夕方からW&Lにでかけました。Four Topsのコンサートがあるそうです。Four Topsといえば、一流のシンガーだからちょっぴりうらやましいな。でも、こちらは一人でのんびり試験勉強ができました。Jenniferは私に比べてあまり勉強しないので、(Am.Poは私の方が今までのところ点がいいのです)、彼女がいると試験前は気が散って仕方ないのです。


21日の手紙の続き

1975-04-22 | RMWCの日々

今朝、チコタンからの葉書もらいましたので、在学証明書をspecial deliveryで送ります。これより先にもう着いていると思いますが。

私の予定としては、11日のcommencementまで寮にいて、そこから1週間~10日ほどRoanokeのMrs.Klous家(またはJohnの家)に行き、次にDalawareに行って、5月の末までそこにいます。それから、M姉さんのいるNYに行って、4,5日と待ってから旅行を始める予定。New Englandのほうは、どうしようか迷っています。滅多にこれないから、NEも見ておいたほうがいいのかな、。今はCharter flightの問い合わせを3,4会社に手紙出して調べているところで、flightの予定が決まったらそれにあわせて日時を決めるつもり。もう少し待ってください。それでは、またね。

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第2便

今朝葉書受け取りました。さっそく銀行で聞いてみたら、RichmondのFirst National United Virginia Bank(本店)に振り込んでくれれば、こちらの口座に入れてくれるそうですので、至急大学からも在学証明書をもらいました。私の口座番号は3804****です。

1500ドルということですが、本当ですか?最初に聞いたのでは、1500ドルまで国外に持ち出せて、そのうち私は820ドルこちらにもってきたので、残りは700ドルそこそこしかないのだと思っていましたが・・・

いずれにしても700ドル(または600ドル)ほど送ってください。使わなければ、円に変えればいいのだし、念のために。全旅行で(旅費と飛行機代をいれて)700ドルくらいかかると思うのですが、200ドルは残っているし、sideworkで稼いだ200ドルもあるので、余裕はあります。それでは、また詳しく書きます。 さようなら。

 

 


Final後の予定・いろいろ

1975-04-21 | RMWCの日々

今朝17日付の手紙とリュックの包みとおせんべ(お盆も)と漫画本の包み(3つ)を受け取りました。言いわすれていましたが、カレンダーはSpring Breakの前に届きました。おじちゃんのお誕生日とはおめでとう(いくつになったか知らないけど)!お赤飯とステーキとは、日本的な組み合わせで面白いわね。こちらでは、さすがにステーキは常食という感じで、大学でも月に2回くらいベークトポテトつきのステーキ・テリヤキが出るし、カフェテリヤでもかなり安いのです。

ところで、先週末はMr.&Mrs. Stilesがいらっしゃいました。金曜日のお昼過ぎにいらしたので、Jenniferと私を連れてみんなで山に行きました。残念ながらまだ花は盛りというわけには行きませんでしたが、景色の良いところでピクニックをして(Mrs.Stilesがサンドイッチを作ってきてくださったので)、帰って来ました。そのあと、JenniferのGlee ClubのコンサートがLexingtonW&L Univ.であったので、Jenniferはロングドレスでドレスアップして、Mr.Stilesの運転でLexingtonへ。1時間半ほどかかりました。この大学はCilvil War以前からあるとても古い大学です。そこで、R-MとW&LのGlee Clubの合同コンサート(8:00-10:00)を聞いて、W&Lのカフェテリアで遅いディナーをとってから大学に帰りました。

Jenniferのご両親は日曜の朝帰られました。この前の土曜と日曜は$50,000をかけたプロ女子テニスをTVで観ました。最後はChris EvertBilly Jean Kingを破って、大金を得ました。さすがに、迫力満点でした。

今日も良いお天気なので、テスト前とはいえのんびり日光浴を2時間ほどしちゃった。そうそう、Mrs.Klousから電話で私のテストの終わる5月3日にDr.Anthony夫妻と、学長のDr.Quillian夫妻とを招いて、大学の向かいのColumnというレストランで昼食を取ることにしたそうです。hopefully、私はテストを第1週目にとってしまおうと思っているので、勉強には差し支えありません。なんとMrs.Klousは、Johnも招いたんですって。気の毒に。なんの因果で、彼がこんな堅苦しい席に招かれなくちゃならないのかね。

今週(今日は月曜日)をもって、いよいよ授業は終わりです。4月29日(考えたら、天皇誕生日ね)から、Final Exam.が始まります。私は、30日(水曜)にイギリス文学を、5月2日(金曜)にアメリカ詩のテストを受けようと思っています。まだ25日までのアメリカ詩のレポートが一つ残っているのですが、まだそれは手もつけていません。予定としては、Robert Lowellの”The Skunk Hour”をすることにしています。

今日寮に帰る途中で、道端で日向ぼっこをしている黒人の男の子3人に呼び止められて、おしゃべりしました。Day Studentsなのか、働いている人たちなのか知らないけど、私に「スペイン語をしゃべれるのか?」ときいてきました。メキシコ人に間違えられたかな? しゃべっていて、「アメリカは好きか?」と聞かれたので、例のごとく、もちろん好きだ、と答えたら、一人の男の子は大嫌いだ、といっていました。Why?なんて聞き返して、言った後で後悔しました。やはり、黒人の観点は違うのかもしれないものね。その人は、首をすくめただけで答えませんでした。

Dr.Anthonyは、5月末にLichmondのFine Arts Centerで行われるミュージカルに出るそうで、最近は毎晩お稽古に通っているんですって。Dr.Anthonyは、なかなかの役者だし、声もいいし、歌もうまいんですって。とにかく愉快な人間なので、このあたりでは有名なのです。私に、テストが終わったらリハーサルを見に来ないか?と誘ってくださいました。今から楽しみにしています。

5月2日に全て終わったら、11日のcommensementまで、ただもう遊び狂うことばかり。いろいろな人のところに挨拶回りにもいかなきゃね。Pooser夫妻も食事に誘ってくれているし、このところ顔を見せていないAunt Sallieの所へも行かなくてはならないし、Page家にも顔を出さないと。。。それから、例のお琴(ぜんぜん弾いてもいないけど)を貸してくださったMrs.Hughesの知り合いの家にもお礼に行かなくちゃ。忙しいけど、楽しみです。

そうそう、この前、大学のYearbook(年間アルバム)をもらいました。ここでは、卒業アルバムみたいなのが毎年出て、誰でもがもらえるの。Seniorsのみでなく、全員の写真が載っているのよ。とてもいい記念になります。

 

 


Johnの来訪・その他つれづれ

1975-04-15 | RMWCの日々

12日付の手紙もらいました。なんと3日で着いちゃったわけね。世界は狭いですね。

そうそう、このまえ一度日本に帰る夢を見ました。またすぐこちらに帰ってこなくてはならない、という設定で、しかもみんなに知らせずにこっそり帰るの。かなり感激的な夢でした。あらためて海を隔てたところにいるんだなぁと実感。ここにいると、どうもちょっと隣町あたりに家があるような気がしてなりませんが。

この前、友達の一人に、いつも日本語で考えてるの?英語で考えてるの?と聞かれました。そういわれてみれば、何語で考えているのかわかりません。不思議なものね。そういえば、Annemarieは、もう今までに3回も家に国際電話をかけてるんだって。3分間で10ドルくらいというから、私もかけてみようかなぁ。もちろんcollect callで。もうすぐ帰るのに、馬鹿馬鹿しいかな。早々、念のために、こちらの電話を書いておきますが、大学は804-846-7392です。Webbの私のHallはextension 362。 各寮のフロアごとに電話がついているの。気が向いたら電話かけてください、ハイ。銀行の口座、この前も聞いたのだけど、そういうことに慣れていないらしくてはっきりしないの。また明日行って聞いてきますから。

結婚式がどんどんあるようですね。うちのクラスは本当に皆早いわね。私は絶対25,6まで頑張るぞ!---なぁんてもらってくれる人もいないのだけど・・・シュン。こっちにいると、スカートなんぞはくのは月に一、二度で、いつも薄汚いジーパンしかはかず。お化粧のケの字もせず、もうなりふり構わず、胡坐ばかりかいている、という始末で、まったく15,6歳ころに戻っちゃった感じ。将来のことを考える時間もなく、きままに暮らしています。

先週末はJohnが大学に来たので、ちかくのRandie'sで食事を一緒にしました。ちょうどJenniferがコロンビア大学に行っていたので、鬼のいぬまの何とやら、という具合。 Johnは、たまたまLynchburgに住んでいる友人の家に用があったので、Roanokeからやってきたの。 前から迷っていたのだけど、この夏からNew YorkのDivinity Schoolに3年間行くことにやっと決めたのですって。 私が日本に帰ったらすぐ就職先を決めるのでゆーつだゆーつだ、とこぼしたら、卒業後アメリカに来て、日本語を教えたらいいだって。なんでも中部のほうには、Quakersの組織する学校で、日本文化や語学を教えているところがたくさんあって、Native Speakerを求めているんですって。 私もR-MからTeaching Japanese to English Speakersとかいう単位をもらえるし、それも一手ね。

そのあと、JohnがR-Mに来たのは初めてだったので、大学内を案内して部屋でおしゃべりしてから、Johnの友人のJimの家へ行きました。Jimは去年までW&LでJohnのルームメイトで、今はハイスクールで教えているのですが、MarshaというSweet Brierの4年生と婚約していて、6月に式を挙げるのです。はやMarshaと共同生活しているようでした。そのあと、Johnは一緒にRoanokeへ来て週末に彼の家で過ごさないか?と誘ってくれたのですが、ご両親が会議でNew Yorkへ行っていて留守なのだそうなので、やめました。大学が終わったらまた行く機会もあるだろうから。

Roanokeといえば、今日Mrs.Klousにお電話しました。このところずっと通信が途絶えていたので。春のdance concertがこの週末にあって、彼女はそれを楽しみにしていたので、お招きしなければならないのであります。Jenniferのご両親も来るので、忙しくなりそう。ヤレヤレ。

今日、Ms.Rayal(テニスのコーチ)が、私のサーブをビデオテープで取ってくれると約束してくださいました。彼女がクラスでその提案をしたら、誰も立候補しないので、頼んだのは私一人だったの。みんなどうしてこう消極的なのかしらね?私がしょっちゅうPERビルに入りびたりなので、今日Ms.Tergeson(先学期のテニスのコーチ)が、私を見かけて、"Kumiko, are you sleeping with a tennis racket these days?"と聞いてきました。英語よりテニスの方がよっぽど上達したみたい。

この前Annemarieが部屋に来て、旅行のことを話していきました。私と彼女は7月にCaliforniaで落ち合うことにしているの。彼女はこの大学のラジオ局WWR-Mのメンバーなので、これからDJをするからリクエスト曲ないか?というので、Mamas and PapasのCalifornia Dreamin'をリクエストしておいて、ラジオを聴いていたら、さっそくかけてくれて、ラジオで私のこともしゃべってくれました。

この手紙の途中で(夜10時頃)廊下の外でとつぜん歌声が起こりました。出てみたら、Sophomoresがみんな白装束でキャンドルをもって、寮の階段に列になって、Seniorsのためのセレナーデを歌っていました。とても綺麗でしたよ。

今日Washingtonの日本大使館にチャーターフライトのいいのがないか、問い合わせの手紙を出しました。たしかに300ドル以下のがあるそうです。旅行はHisamiとするかもしれません。最近時間がなくて、旅行の計画がお留守になっちゃっています。そろそろYにも手紙出さなきゃ・・・

この前、Connieが部屋に来て、私は英語ができるし(彼女は日本人はABCも知らないと思っているの)テニスはうまいし(エヘへ)、バドミントンも強いし(この前、4,5人でやって私は皆を負かしちゃったの)、小さいのに何でもできるって感心されちゃった。Connieは巨大で、5フィート9あります。彼女が歩くと、ホールがミシミシいうの。でも5フィート9なんて、ここではざらです(お兄ちゃんより大きい)。Jenniferはかなり小粒の方で、私は同じくらいかと思っていたら、5フィート3はあるのdそうです(159センチ)。

今日はLord Byronの”Don Juan"(ドンファンのこと)という長詩を読んでいます。それでは、またね。