Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

憧れのTexas-3 (San Antonio)

1975-06-29 | 全米旅行(Texas)

今はすでにSan AntonioからOdessaに出発するところです。3日間、あっという間に過ぎてしまいました。

27日にSan Antonioに着くと、Wandaが迎えに来てくれていました。家には妹さんの1人Domingoだけがいたので、4人でWandaのお気に入りのメキシカン料理店へ行き、私にとっては初めてのメキシカンフードを食べました。とっても美味しかったです。すごく辛いと聞いていたけれど、カレーライスに比べたらそうでもありませんでした。

Wandaの家は、日本人の一般家庭のようです。つまりアメリカ家庭の中ではお金持ちの方ではありません。Wandaはお父さんがMexicanでお母さんは半分Germanなのです。

次の日はWandaはアルバイトがあるので朝から出かけたので、ご両親とDomingoが私たちをかの有名なAlamoに連れて行ってくれました。メキシコが敗れた場所です。写真で見ると、古めかしい城壁があって、いかにも町はずれにありそうですが、何を隠そう、町のど真ん中で、デパートなどに囲まれているのです。

Alamoの後はSpanish Governor's Palaceにも行き、スペイン系の家づくりを楽しみました。TVで見た「怪傑ゾロ」の舞台みたいな、白壁の家が並んでいて、San Antonioは半分スペイン色が強いのです。

夕方になったので、Wandaのいるレストランで彼女をピックアップしてから家に帰り、今度は隣人のメキシカン家族(小さな男の子が3人もいるの)と一緒に、San Antonio Riverへ行きました。この川は、San Antonioの街中を突っ切って流れている川です。川沿いには大きなホテルやレストランが立ち並び、遊歩道になっていて、スペイン系の石畳の野外舞台もあり、そこでは毎晩スペイン音楽やダンスが演じられています。この日も、衣装をつけた人たちがギターを弾いていて、賑やかでした。山のような人が座って聞いていました。

また、川にはリバーボート(60人くらい乗れる大きいの)が走っていて、それに乗ってずっと川を下れるの。私たち子ども族はボートに乗りました。川の両側の野外レストランで食事をしている人たちが手を振ったり、ホテルの窓からテキサスハットをかぶった人が奇声をあげたり、舞台からはスペイン舞踊曲が流れてくるし…まるでスペインそのもののムードです。しかも、もう夜なので、両岸の木々は色とりどりのライトで照らされ、灯りが川面に映り、すごーーーくロマンチックです!今度は絶対ヨーロッパ(イタリアとかスペイン)に行きたいな~と、今から思ったりしています。

今日(29日)は、朝5時半に起こされ、Wandaと、彼女の友達2人とで、メキシコ湾のビーチにドライブ。
ChrisとVeckyという2人が乗った車が率先して、私たちを導いたのですが、San Antonioの街を抜けるまで10回以上も道を間違え、同じところを2台の車でグルグルグルグル旋回してしまいました。やっと抜けたと思ったら、今度は彼女らの車がパンクしてしまい、道路わきでジャッキを使ってタイヤを取りかえるやら…大騒ぎ。
やっと昼前にビーチに着きました。途中の道も、いかにもTexasらしく、素晴らしかったのですが、メキシコ湾はJust beautiful!!!! 今日は特にすばらしい天気、コバルトブルーの空に真っ白な入道雲がわき、砂は白くてやわらかく、海は遠浅で水はすごく暖かいの。小さな魚がすぐ砂浜まで来ます。混んでいると言っても、それほどではないし、とにかく絶好の場所でした。泳いだり、日光浴をしたりして、一日過ごしました。

そこから帰って来たのが10時過ぎ。シャワーを浴びて、のんびりしてから、Wandaのお父さんとDomingoに送られて、今2人でバス停に来たところです。

2:10AMのバスでOdessaに行き(11:00AM着予定)、ヒサミの友人の家に一泊し、次の日はアリゾナに行きます。
では、またね。