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その考えに基づいて何か出来事に遭遇すればまたアップデートしていけばいいかなと思っている
ただ「死ぬ」とか「命」というワードだけではないですよね
ワードや意味なら辞書を引けばわかる事だけど
それに関わる事が無限にあるんですよね
仕事に関わる事でもですし、病気になってもそうです、事故に遭ってもそうです、それが当人じゃなくても知り合いでも身内でも人間関係でもです
「死ぬ」も「命」も意識でもあるし、波動でもある、エネルギーでもあるからです
仕事をするにも命が無いと出来ません、
命があるから仕事が出来るし、
仕事をするにもエネルギーを使います、
仕事をするのにエネルギーを注ぎ、命を削ります
エネルギーを費やし削って手に入れたお金もまたエネルギーで命です
だからその循環もエネルギーの循環で感謝の循環です
単なる辞書で引いたワードだけでは無い、
全てにエネルギーが宿っている
そして繋がりがあるし、意識も繋がっている
そんな事を普段から意識して命のやり取りをしているわけではないし、その命や死ぬ事に関してもいちいち考えているわけではないけど
本質を分かっていれば色々な繋がりに無意識になったとしても、深いところの感謝も湧いてくると思います
いちいち考えていたら何も出来ない事も確かなんで
本質を認識すれば無意識なるまで意識付けするんです
それこそその都度体験が教えてくれる事となるんです
何でもワードだけ知っていても理解できない事があるんです
その本質を知るために体験が在るんです
必要な時に必要なタイミングになので、必要じゃない時には知らなくても良い事なんだけど
せめて、生きている人間は楽しく喜びに満ちた感謝に溢れた人生を送るためにも基本的な「命」や「死ぬ」ことぐらいは知っておいたらどうかなと思う私です
人生の最終段階に病気になってしまったら、「意識の相殺」です
意識の断捨離とも言えます
最期のミッションが残されているんでしょう、辛いだとか苦しいだとかという事より、「命」を考えてみたり、「死ぬ」を考えてみたりしながら、自分の中に在るワードに関する本質に気づいてみればどうでしょう、生きてこれた事に感謝をすればどうでしょう
多分、楽しんで喜んで感謝に満ちている人は、病気とも縁がなく、本質的に生きている事の本質を実感しているんだろうなと思うし、それが正しいとか言っているわけではありませんよ、
その実感をそこからより感じ、広げ分かち合うミッションへ繋げれば良いだけですから
ただそんな人は、いつ最期の時が来ようと覚悟があったり後悔も無いんだろうなと思います
意識の相殺(精算)が終わるからです…これは…生き抜いた事を認め納得するという事です (^.^)
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