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小牧山城へ行ってきました
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2022年12月25日 22時21分07秒
前の投稿から1ヶ月ほど間隔が空いてしまいましたが、愛知旅行の最後の目的地、愛知県小牧市にある小牧山城へ行ってきました。
小牧山城は1560年、桶狭間の戦いで今川を破った織田信長が美濃を攻めるための拠点として、それまでの本拠地だった清洲城よりも美濃に近い小牧山の上に築きました。
しかし、信長が小牧山城を使用したのは、美濃攻めが完了する4年程度。その後は美濃の稲葉山城(後の岐阜城)に本拠地を移し、小牧山城は廃城となります。
そのため、小牧山城は美濃侵攻のための簡略的な城と考えられていましたが、周囲を石垣でしっかりと固めていたり、城下には清洲から移した城下町が広がっていたり、本格的に本拠地として使用する構想だったとも言われています。
小牧山が再び脚光を浴びるのは信長の死後。羽柴秀吉と、織田信雄・徳川家康連合軍が争った、小牧・長久手の戦いです。
羽柴方についた池田恒興が犬山城を奪取すると、それに対抗すべく、家康は小牧山城に陣取ります。このとき信長時代の遺構がどの程度残っていたのかはよくわかりませんが、家康は土塁や堀などを徹底的に改修して、防備を固めます。着陣が遅れた秀吉は、小牧山を家康に押さえられたことを大層悔しがったと伝えられています。
その結果、羽柴軍は小牧山城を攻めあぐね、戦線は膠着状態に陥ります。何とか戦局を打開しようと、羽柴軍は家康の本拠地・岡崎を攻めようとして南へ移動し、その手前の長久手方面で徳川軍との戦となります。しかし長久手方面で大打撃を受けてしまい、戦自体は信雄・家康連合軍の勝利で終わります。小牧山城の堅守が、小牧・長久手の戦いにおいては重要なポイントとなったわけです。
江戸時代の学者・頼山陽もその著書『日本外記』にて、「家康公の天下を取るは大坂にあらずして関ケ原にあり。関ケ原にあらずして小牧にあり」とその勝利を称えています。
そんなこともあって、江戸時代に入ると小牧山は「御勝利御開運の御陣跡」として、一般の立ち入りが禁止され、尾張藩によって管理されることになります。
明治に入り、一時的に民間の所有になったり、小牧公園として一般公開されたりした時期もありましたが、尾張徳川家の所有となっていましたが、昭和初期に国に寄贈され、国の史跡に指定されました。おかげで小牧山城は大きな損壊を免れて、往時の姿を今もよく残しています。
スタートは名鉄小牧線の小牧駅。
知らなかったのですが、小牧は名古屋コーチンの発祥の地だそうです。
小牧駅前の通りをまっすぐ西へ進むと、正面に小牧山城が見えてきます。
小牧山は濃尾平野にぽつんと立っている小山です。これは確かに、戦略的には押さえておきたい地点ですね。
1㎞ちょっとで小牧山城跡の東側に到着。
この小牧山一帯がまるまる小牧山史跡公園として整備されています。
城跡の南東の辺りが、織田信長の居館跡。他の武家屋敷と比べて最も広い敷地となっているため、そのように推定されています。
その近くには、「れきしるこまき」という小牧山城の史跡情報館があり、小牧山城についてのあれやこれやを知ることができます。映像を使った説明や、手を使って実際に体験できる展示が多く、インタラクティブ性が高いのが特徴です。
ただ個人的には、映像で説明されるのって自分のペースより遅いことが多いので、見ずに先へ進んじゃうことが多いんですよね。特にこの日は雨の心配があったので、ちょっと急ぎ気味でしたし。
なお、小牧山城跡内は結構道が複雑に入り組んでいるので、ここで地図的なものを入手しておくと良いと思います。
「れきしるこまき」を出てから、公園の南側へ。こちらが小牧山城の正面となっています。
目の前には堂々たる土塁がそびえていますが、これは小牧・長久手の戦いの際に家康によって整備されたものを復元したものです。
主郭へ向け、大手道をまっすぐ登っていきます。
大手道の入口には、徳川源明公墓碑があります。
徳川源明とは、尾張藩中興の祖と呼ばれる、尾張藩9代藩主・徳川宗睦のことです。
まっすぐ伸びている大手道ですが、途中から東へと折れ、そこからうねうねと曲がりくねりながら主郭へと登っていきます。
ようやく山頂が見えてきました。
主郭は石垣によって固められていましたが、石垣と、そこから転落した石がわかりやすいように、プレートが設置されています。
主郭部には天守を模した小牧市歴史館が建てられています。
この人は尾張徳川家19代当主・徳川義親。父は福井藩主だった松平慶永で、1908年に尾張徳川家の養子に入った人です。
小牧市歴史館は小牧山城だけでなく、旧石器時代からの小牧の歴史について展示されています。
特に、2階にあった小牧・長久手の戦いの流れを説明した展示がわかりやすくて良かったです。ちょっと長かったけど。
最上階は展望台となっています。
この日は雲が多めなのであまり遠くまでは見えませんが、東の中央アルプスから、伊吹山、鈴鹿山脈まで、周囲をぐるりと見まわすことができます。この城が造られた元々の目的である稲葉山城のある金華山も見えますよ。
小牧市歴史館で続日本100名城のスタンプを押すことができます。
図案は石垣の上のそびえる天守……、なんですけど、小牧山城の天守って模擬天守だよね? それでいいの?
主郭を下りて、東側へ回り込みます。
この辺りには主郭を守る石垣跡が残っています。
そのまま主郭の北から西へと回り込むと、これも家康時代に築かれた空堀跡があります。
一旦小牧山を下りて、北にある搦手口へ。
まあ、この辺りは普通の公園、普通の道路という感じですけど。
搦手口から北西方面へ移動していきます。
この辺りは左右に土塁があり、その間にある空堀の底が通路になっています。
そのまま堀の底を通って南下していきます。
この辺りも本来は右側に土塁があったのですが、太平洋戦争の際に地下壕が掘られた関係で、堀が埋められたり土塁が削られたりして、戦国時代の様子とは変わってしまっています。
また、左側の土塁の上には腰曲輪があったようですが、現在はそこへ至る道がないので確認することはできません。
南西部まで移動して、再び小牧山城の中央部へ登っていきます。
小牧山城の西部には観音洞があります。
明応のころ、乳の出ない妻に食べさせるため、狩人が七匹の子鹿を連れた母鹿を撃ちました。すると子鹿は七つの石に、母鹿は観音像に化してしまいました。それを見た狩人は後悔して、この地に草庵を結び、観音像を祀ったということです。その草庵は近くに移転しましたが、その跡地は観音洞と呼ばれ、親しまれているそうです。
移転した跡地なので、ここには特に何もありません。
さらに主郭方面へと登っていきます。
この辺りは山道っぽくて歩いていて楽しいです。ただ、当時の曲輪跡と、現在の通路とがあまりシンクロしていないので、当時の様子をイメージするのはちょっと難しいです。
まだ行っていなかったところを適当に歩きながら、石積みだの空堀跡だのを見て回ります。
ただ、この辺りから雨がぽつりぽつりと降り始めたんですよね。もっとじっくり見たくもあったのですが、一応は一通り見て回ったところでもあるので、そろそろ撤退準備を始めることにします。
まだ通っていなかったルートを使って本丸を東側から回り込んで搦手口へ移動し、城跡の北東へ移動します。
北東部には家康によって築かれた土塁の断面が展示されています。
最後に、井戸跡。
この井戸があるのは信長時代に家屋敷があった辺りです。小牧・長久手の戦いの際に井戸は取り壊され、堀や土塁が築かれていました。この井戸跡は、その土塁の下から発掘されたものです。
井戸の構造物は破壊されていたので、絵図をもとにこの井戸は復元されました。
当然、中は埋まっています。
去り際にもう一度、東側から小牧山を見上げて。
小牧山城は平山城で、濃尾平野にぽつんとある小牧山がまるまる城跡となっています。市街地化していないので遺構もそれなりに残っていますし、全体はよく整備されていて歩きやすい。とても見ごたえのある城跡でした。それほど高いわけじゃないけど、山歩きも楽しめますしね。
なかなか楽しい城跡だったんですけど、最後の方で雨が降ってきたため、早々に撤退しちゃったのが残念でした。余裕があれば、もう少しじっくりと見て回りたかったんですけどねー。
そんなわけで、愛知旅行は終了。行ったのは4城+1座ということで、1泊2日でしたが割と濃密な旅行になったと思います。
本当は吉田城じゃなくて岡崎城に行くつもりだったのですが、天守が改修中だったから今回はやめたんですよね。来年早々には改修も終わりますし、この周辺には他にも見るべき城跡がいろいろあるので、また予定を立てていきたいと思います。
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