雑居空間
趣味のあれこれを、やたらめったらフットスタンプ
CALENDAR
2025年2月
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
前月
翌月
ENTRY ARCHIVE
2025年02月
2024年12月
2024年11月
2024年07月
2024年06月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月
2023年08月
2023年06月
2023年05月
2023年04月
2023年03月
2023年02月
2023年01月
2022年12月
2022年11月
2022年10月
2022年09月
2022年08月
2022年06月
2022年05月
2022年04月
2022年03月
2022年02月
2022年01月
2021年12月
2021年11月
2021年10月
2021年09月
2021年08月
2021年05月
2021年04月
2021年03月
2021年02月
2021年01月
2020年12月
2020年10月
2020年09月
2020年08月
2020年07月
2020年06月
2020年05月
2020年03月
2020年02月
2020年01月
2019年12月
2019年11月
2019年10月
2019年08月
2019年04月
2019年03月
2019年02月
2019年01月
2018年12月
2018年11月
2018年10月
2018年09月
2018年08月
2018年03月
2017年11月
2017年10月
2017年09月
2017年08月
2017年07月
2017年06月
2017年05月
2017年04月
2017年03月
2017年02月
2017年01月
2016年12月
2016年11月
2016年10月
2016年09月
2016年05月
2016年04月
2015年12月
2015年11月
2015年10月
2015年09月
2015年07月
2015年06月
2015年05月
2015年04月
2014年12月
2014年10月
2014年09月
2014年08月
2014年05月
2014年04月
2014年02月
2013年12月
2013年11月
2013年10月
2013年09月
2013年04月
2012年08月
2012年05月
2012年04月
2012年03月
2012年02月
2012年01月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年09月
2011年08月
2011年07月
2011年06月
2011年05月
2011年04月
2011年03月
2011年02月
2011年01月
2010年12月
2010年11月
2010年10月
2010年09月
2010年07月
2010年06月
2010年05月
2010年04月
2010年03月
2010年02月
2009年12月
2009年11月
2009年10月
2009年09月
2009年08月
2009年07月
2009年06月
2009年05月
2009年04月
2009年03月
2009年02月
2009年01月
2008年12月
2008年11月
2008年10月
2008年09月
2008年08月
2008年07月
2008年06月
2008年05月
2008年04月
2008年03月
2008年02月
2008年01月
2007年12月
2007年11月
2007年10月
2007年09月
2007年08月
2007年07月
2007年06月
2007年05月
2007年04月
2007年03月
2007年02月
2007年01月
2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年09月
2006年08月
2006年07月
2006年06月
2006年05月
2006年04月
2006年03月
2006年02月
2006年01月
2005年12月
2005年11月
2005年10月
2005年09月
2005年08月
2005年07月
2005年06月
2005年05月
2005年04月
2005年03月
RECENT ENTRY
沙羅曼蛇
天地を喰らう
デジタルデビル物語 女神転生
ツインビー
鏡の国のレジェンド
はたらく★少女 てきぱきワーキン♥ラブ
吉田郡山城へ行ってきました
亀居城へ行ってきました
岩国城へ行ってきました
広島城へ行ってきました
RECENT COMMENT
タワ・タワー/
ファミスタ’92
Unknown/
ファミスタ’92
夢子/
あにまるQ
あにまるQ/
あにまるQ
むしむしQ/
むしむしQ
むしむしQ/
むしむしQ
むしむしQ/
むしむしQ
タワ・タワー/
あにまるQ
あにまるQ/
あにまるQ
むしむしQ/
むしむしQ
CATEGORY
広島東洋カープ
(159)
プロ野球
(19)
高校野球
(8)
ゲームブック(ファイティングファンタジー)
(77)
ゲームブック(社会思想社)
(4)
ゲームブック(創元推理文庫)
(6)
ゲームブック(創土社)
(42)
ゲームブック(富士見文庫)
(2)
ゲームブック(JICC)
(4)
ゲームブック(双葉文庫)
(8)
ゲームブック(海外)
(11)
ゲームブック(その他)
(51)
Tunnels & Trolls
(7)
その他の非電源ゲーム
(10)
Might and Magic I
(4)
Might and Magic II
(21)
Might and Magic VI
(23)
Might and Magic VII
(32)
Might and Magic VIII
(23)
Heroes of Might and Magic I
(16)
Heroes of Might and Magic II
(40)
Heroes of Might and Magic III
(113)
Heroes of Might and Magic V
(3)
その他のMight and Magic
(2)
Ultima
(42)
Wizardry
(5)
Bard's Tale
(14)
Dragon Slayer
(17)
MSX
(24)
X68000
(2)
windows
(7)
PCエンジン
(50)
ファミコン
(20)
スーパーファミコン
(5)
ゲームボーイ
(8)
ゲームボーイアドバンス
(6)
メガドライブ
(1)
ニンテンドーDS/3DS
(15)
その他の電源ゲーム
(2)
有言実行三姉妹シュシュトリアン
(43)
その他の特撮
(11)
おジャ魔女どれみ
(19)
その他のアニメ
(4)
山登り(北海道・東北)
(3)
山登り(東京)
(15)
山登り(埼玉)
(13)
山登り(神奈川)
(4)
山登り(関東)
(4)
山登り(中部)
(3)
山登り(四国)
(1)
山登り(九州)
(1)
城攻め(北海道・東北)
(5)
城攻め(群馬・栃木・茨城)
(9)
城攻め(東京・埼玉)
(11)
城攻め(千葉・神奈川)
(9)
城攻め(甲信越)
(5)
城攻め(東海)
(7)
城攻め(中国)
(4)
城攻め(四国)
(5)
城攻め(九州)
(4)
街歩き
(8)
イラスト
(25)
プラモデル
(1)
食玩
(5)
プロ野球チップスカード
(25)
その他
(38)
BOOKMARK
MY PROFILE
ブログID
tawa_tower
自己紹介
名前:タワ・タワー
SEARCH
このブログ内で
ウェブ全て
沼田城へ行ってきました
城攻め(群馬・栃木・茨城)
/
2023年05月20日 16時53分38秒
昨年12月に群馬県沼田市にある沼田城へ行ってきました。
年末年始に出かけてきた話で、まだ記事にしていないものが残っているので、なるべく頑張って記事を起こしていきたいと思います。
沼田城は1532年、この地を治めていた国人・沼田顕泰によって築城されました。その頃は蔵内(倉内)城と称していたそうです。
この時代、関東の国人領主は大大名に翻弄されることになります。それまでは関東管領・山内上杉氏が関東の柱として君臨していたのですが、新興勢力の後北条氏の台頭により衰退。沼田氏も山内上杉派と北条派に分かれて内紛が発生し、顕泰は越後に逃亡し、沼田には北条康元が入り、沼田康元と称して沼田を北条の支配下に収めます。
その後、山内上杉氏の家督を継いだ越後の上杉政虎(謙信)が関東に殴り込みをかけて沼田を奪取しますが、謙信の死後、御館の乱のどさくさで北条が再奪取。しかし今度は武田に仕える真田昌幸の調略によって、沼田は真田が押さえることになります。
しかしその直後、武田が織田に滅ぼされてしまい、沼田は織田の勢力下へ。しかしまたまた事態は急展開し、今度は織田信長が本能寺で死去してしまいます。その混乱の最中、旧武田領で天正壬午の乱が発生し、沼田はまた真田が押さえることになります。いやまあ、本当に目まぐるしいことです。
この後も、真田は沼田を巡って徳川や北条とやり合うのですが、天下人となった秀吉の裁定により、沼田は北条の支配下に収まることになります。しかしながら、真田領とされた隣の名胡桃にまで北条は侵略してきて、秀吉の発した惣無事令に反した北条は征伐され、沼田はまたまた真田の元に戻ってきます。
沼田には真田昌幸の嫡男・信幸が入ります。 沼田城は真田の時代に、城の規模を広げたり、五層の天守閣を建造したりして、大きく改修されています。
関ケ原の合戦では西軍に付いた父・昌幸は真田の本拠地である上田を没収されますが、信幸は東軍に付いたため所領を安堵されます。結局、信幸は信之と改名し、上田と沼田を合わせて、上田藩の初代藩主に収まります。
後に信之は松代藩に移封されますが、沼田は真田領として、松代藩の分領という扱いになっています。しかし、上田の真田本家と沼田の真田家との間にお家騒動が勃発して、沼田は沼田藩として独立。初代藩主に真田信利が就きます。
しかしながら信利は、結構無茶苦茶な政治を行ってしまいます。松代藩への対抗心から、実際の石高よりも高い石高を幕府に報告したり、江戸藩邸を豪華な造りに改築したり。そしてそれらを実行するために重税を課すなどして、領民を苦しめます。これに両国橋改修に関する材木の調達に失敗したこともあって、沼田真田家は改易となってしまいます。
その結果、沼田は天領になり、沼田城は破却。後に沼田藩は再興されますが、沼田城は復興されまいままでした。
現在沼田城は、沼田公園として整備されています。
JR上越線の沼田駅からスタートします。
駅前にも幟がありましたが、沼田はとにかく真田推しです。沼田城には真田以外の勢力が入っていた時期もあるのですが、とにかく真田推しです。
沼田城公園へ行く途中の道から、沼田駅方面を見下ろして。
上越線は利根川と並行するように走っているのですが、沼田には利根川に合流する片品川の周辺に河岸段丘があり、沼田城跡のある沼田公園もその段丘の上にあります。そのため、公園までは結構坂を上っていかなくてはなりません。駅からの標高差は、およそ80m ほどです。
沼田公園に到着。
入口付近に、沼田市観光案内所があります。あまり広くはありませんが、沼田城に関する展示がいろいろあるので、チェックしておきましょう。特に、沼田城のジオラマは見ごたえがありました。
手作りの沼津城の歴史みたいなものもあったのですが、途中番号が抜けているのがあったのは何だったんだろう?
ここでパンフレットを入手したのですが、公園内の地図と、城跡の縄張図を比較できるものが英語版しかなかったので、それを片手に公園内を散策します。
ここに、続日本100名城のスタンプもあります。
図案は本丸にある、西櫓台跡石垣ですね。
観光案内所の前には、ライオンズの高橋光成の立看板がありました。沼田の出身だったのか。
入口付近にあった真田幸村の立看板。戦国無双とがっちりタイアップしています。
幸村以外にも、この等身大の看板は公園内のあちこちに設置されています。
こちらは公園内にあった看板。ちゃんとした歴史の話にも戦国無双のイラストが付いています。
沼田城の本丸、二の丸、三の丸の一部が、現在の沼田公園の敷地となっています。公園内はとてもよく整備されているのですが、整備されすぎていて、縄張がわかる部分があんまり残っていないんですよね。
まずは本丸に当たる、公園の西側から回っていきます。
公園の南西部に鐘楼があります。元々は三の丸の楼にかけられた城楼があり、それを保護するために明治時代に沼田町役場に建てられた鐘楼を復元したものです。
ここに掛けられている鐘は複製で、実物は沼田氏歴史資料館に展示されているそうです。
公園西部にある、西櫓台跡と石垣。続日本100名城のスタンプの図案はここですね。
沼田城は、真田信利の改易に伴い破却され、あまり遺構は残っていないのですが、ここは破壊されずに地中に埋められていたため、現在もその姿を残してくれています。
西側を望んで。
遺構は残っていませんが、河岸段丘のキワである西の崖は天然の要害として今も残されています。
この辺りから西へ下りる水の手口があったようですが、今は下りることはできません。
もっと西側のキワを歩きたかったのですが、一部通行止めになっていました。残念。
櫓台跡の隣にある、沼田城御殿桜。
真田信之の頃に植えられた樹齢推定400年の桜で、沼田城の破却以降以降も生き続ける、歴史の生き証人です。
本丸の北西部にある、捨郭。本丸よりも一段低くなっています。
沼田氏の頃はここが本曲輪だったそうです。
捨郭には天狗堂があります。この中には長さ3m、横幅2m、鼻の高さ1.3m、重さ1tもある、日本一大きいという木彫りの天狗の面が安置されています。
城の北側はそれほど急峻ではないものの、ある程度の高低差が付いています。
この下は現在住宅地になっていますが、当時は保科郭があった場所になります。
東の方へ移動し、本丸と二の丸の間くらいのところへ。
利根英霊殿という神社があります。ここに天守があったとも言われています。
利根英霊殿のそばに、大手門沓石があります。
大手門は三の丸のさらに外側にあった武家屋敷エリアに入るための門で、現在の沼田小学校の辺りになります。
沼田公園内では、ミニ動物園的に小動物が飼われています。
こちらはウサギ。
さらには、鳩、烏骨鶏、孔雀、インコ、オウムなど、鳥類のラインナップが充実しています。
少し離れたところには熊の檻もありました。
ただ、奥に引っ込んでいたのか、それとも実はいなかったのか、姿は見えませんでした。
Google Map によると、この辺りが天守の推定地とされています。
公園の北側には、国の重要文化財にも指定されている、旧生方家住宅があります。
生方家は沼田藩御用達の薬種商で、元は沼田の繁華街にありましたが、この場所に移築されてきました。
建物は、店舗と、居住エリアとに分かれています。
居住エリアの一番奥が奥さんの部屋になっており、窓が何もなく、他の部屋を通らないと外に出られない造りになっているのは逃亡防止のためで、座敷牢みたいな感じだと説明書きもありました。今の感覚だと「酷い」と感じるかもしれませんが、当時としては別に悪意があるわけでもなく、普通だったんでしょうね。
隣には元沼田市長の生方誠氏が収集した品物を展示している生方記念資料館もあります。
旧生方家住宅と、生方記念資料館併せて、大人110円、中学生以下無料となっています。
本丸と二の丸の間にある堀跡。沼田城跡の数少ない遺構の一つです。
その南側には、三の丸との間の堀跡……、と言いたいのですが、今のこのくぼみは堀だけじゃなくて三の丸にもかかっているみたいですね。
そして公園の東側にある野球場。この辺りは二の丸と三の丸の境目辺りにかかっていて、堀などもあったようなのですが、その痕跡はまるでありません。
往路とは違う道を通って、沼田駅へ戻ります。
改めて眺めてみると、沼田の街自体が河岸段丘を利用した天然の要害のような感じで、とても雰囲気がありますね。
沼田公園自体はとてもよく整備されています。しかし、現在の地形と沼田城の縄張りの対比がわかりにくいというのが、城跡としてみた場合の大きな弱点かと思います。現在の地形と、縄張り図とを重ねわせて表示しているパンフレットを参照しながらでも、結構迷いがちでした。それだけ沼田城の破却が、とにかく徹底していたということなんでしょうかね。
沼田駅から1駅の後閑駅のすぐ近くに、沼田城と同じく続日本100名城に選定されている名胡桃城があります。元々は沼田城と名胡桃城をセットで回ろうかと思っていたのですが、名胡桃城周辺には小川城や明徳寺城など、他にも見どころのある城跡があるので、名胡桃城はそれらとセットにして、また後日回ることにします。
と、いうわけで、この後は前橋に移動して、前橋城とその周辺の城跡を見てきました。
コメント (
0
)
«
グーニーズ
記事一覧
|
画像一覧
|
フォロワー一覧
|
フォトチャンネル一覧
ジャック・ニ...
»
コメント
コメントはありません。
コメントを投稿する
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
goo ブログ
ブログの作成・編集
gooおすすめリンク
おすすめブログ
【コメント募集中】オススメの「100均アイテム」は?
@goo_blog
【お知らせ】
ブログを読むだけ。毎月の訪問日数に応じてポイント進呈
【コメント募集中】オススメの「100均アイテム」は?
訪問者数に応じてdポイント最大1,000pt当たる!
dポイントが当たる!無料『毎日くじ』