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武蔵松山城へ行ってきました
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2023年11月19日 12時47分15秒
もう半年以上前のことですが、ゴールデンウィークに埼玉県比企郡吉見町にある武蔵松山城へ行ってきました。
数か月くらいため込むのはまあよくやることですけど、半年はさすがに長すぎだなぁ。最近あまり記事を書けていませんでしたけど、ボチボチ書いていきますかね。
松山城の歴史は古代にまで遡るとも言われ、築城に関しては様々な伝説があるのですが、一般的には15世紀後半頃の築城という説が有力だとされています。
松山城は軍事上の要衝に位置しており、戦国時代には各勢力の挟間で多くの戦いを経験することになります。上田氏は扇谷上杉氏に従っていたため、当初は山内上杉氏と、そして北条氏の台頭後は北条氏と争うことになります。
北条が川越城を奪取した後、松山城にも攻勢をかけますが、この時は城主の難波田憲重が撃退。しかし河越夜戦によって扇谷上杉氏が滅亡すると、松山城も北条の手に落ちました。しかしこの後、関東の情勢は混迷を深め、松山城も上杉の手に戻ったり、また北条の手に落ちたり、今度は上杉謙信が奪取したり、まあ慌ただしいことこの上ありません。しかし最終的には、武田と組んだ北条によって比企一帯は北条の勢力下に納まります。
しかしながら戦国時代末期の関東の城の悲しさで、結局秀吉の小田原征伐に伴い松山城も落城。関東に移封された徳川家の支配下に入ります。松山城には松平家広が入り、松山藩を立藩します。家広が早世したため弟の忠頼が跡を継ぎますが、忠頼が浜松藩に移封されると松山藩は廃藩となり、川越藩に組み込まれ、松山城は廃城となりました。
現在、松山城は、杉山城跡、菅谷館跡、
小倉城跡
とセットで、比企城館跡群として、国の史跡に指定されています。
東武東上線の東松山駅からスタート。ここから東へ2㎞ほど行ったところにある丘の上に築かれているのが松山城です。
途中にあった歩道橋の上から眺めた松山城。
松山城の西側には市野川が流れており、天然の水堀となっています。
市野川沿いの道路から、松山城へ登っていくことができます。
入口付近にあった案内板。縄張り図があってとても分かりやすくなっています。
この図を見るとわかるのですが、本来の正面は東側。西側は搦手口となります。
また、この図の曲輪の名称は、城内に立てられている案内板とは名称が一部異なっているところがあります。○○丸が○○曲輪なのはともかく、東の方にある春日丸跡が城内では三ノ曲輪、一番東にある三の丸跡は城内では四ノ曲輪と表記されています。
いざ、城内へ。思っていたよりも山道っぽくなっています。
ここをまっすぐ登っていくと本曲輪に通じています。
南側にも細い道がありました。方角的に笹曲輪方面に向かっていそうです。
そちらに少し進んでみたのですが、案外道が細い上に、笹曲輪とも違う方へ伸びているような感じだったので、探索は後回しにして素直に本曲輪へ向かうことにしました。
道はまあまあワイルドですが、あちらこちらに案内板が設置されているので、見学するにはさほど苦労しないと思います。
少し上ると階段が登場。この上が本曲輪です。
本曲輪へ至る階段の南側にも細い道が。入口付近から南へ行く道を進むとここに出るっぽい感じですね。帰りはこのルートを歩いてみよう。
階段を上ると本曲輪に到着です。
ここにも案内板があります。
ここの地図を見ると、入口にあった地図と曲輪の名前が一部異なっています。
続いて東にある二ノ曲輪へ。
曲輪と曲輪の間は細い土橋で連絡されています。
土橋の両脇は堀が設置されています。
二ノ曲輪に到着。
本曲輪もそうでしたけど、案外草ボーボーなんですよね。このとき、藪の中で何かがガサッと動いたのでちょっとビビりました。そんなに大きな動物ではなかったと思うので、せいぜいタヌキかサルくらいだったんじゃないかと思います。
詳細な案内板もあります。
次は三ノ曲輪へ。
ここも空堀で区切られ、細い土橋で連絡しています。
何故か三ノ曲輪はあんまり草が生えていませんでした。
その先は曲輪4。
ここも例によって土橋と空堀で区切られれています。
ここは空堀の底を通って北の根小屋方面に下りることができます。
曲輪4。
ここからさらに東へ下りる出口もあります。本来ならこっちから登って、曲輪4、三ノ曲輪、二ノ曲輪、本曲輪と進んでいきたかったところですけどねー。
三ノ曲輪と曲輪4の間の空堀を北へ下りていきます。
空堀の突き当りから北東方面を見ると、民家があります。この辺りが根小屋地区ですかね。
城跡の北側を西へと進みます。この辺りが二ノ曲輪や本曲輪の下にある、惣曲輪ですかね。
城跡の北西部までくると、本曲輪へ上がっていくルートが現れます。
北西側を見下ろすと、下の方に岩室観音堂が見えます。下りられるかなー、と思ったけど、ちょっと険しいのでやめておきました。
ちなみに、後で普通に道路を通って岩室観音堂を訪れましたが、この道は通行止めになっていました。通らないよう注意しましょう。
本曲輪への道を登っていくと、その手前に兵糧倉があります。
さらに登っていくと、本曲輪に戻ってきます。
本丸を貫通して南側へ。
深い堀が掘られています。この向こう側が太鼓曲輪でしょうか?
歩いていけないかとも思ったのですが、さすがにちょっときつそうなので止めておきました。
帰りは笹曲輪と思しきルートを通っていったのですが、こっちの道は意外と険しくて傾斜もキツイ。登りならまだキツイだけだったかもしれないけど、下りだったので滑りそうでちょっと怖かったです。
曲輪跡や竪堀跡なんかもあるようだったんですけど、あまりはっきりとは確認できませんでした。
そんなこんなで西側の入口まで戻ってきました。
割と草は生い茂っていましたけど、曲輪跡、空堀跡、土橋跡などが明確に残っていてました。案内板も多いですし、城域のかなり広い部分を歩くこともできますし、アップダウンもあって歩いていても楽しい。
人も多くないし(私が行ったときは、城内では誰とも出会いませんでした)、隠れ家的な良い城跡でしたね。もうちょっと整備されていたらうれしかったですけどね。
この後、周辺の観光地をあちこち歩いてきたので、ざっとご紹介します。
松山城の北側にある、岩窟ホテル。
ホテルというのは通称で、元々は個人が純粋に芸術作品として掘っていた洞窟建築で、「岩窟掘ってる」が「岩窟ホテル」に転じたのだとか。
昔は内部が公開されていたのですが、現在は崩落の危険もあって立ち入り禁止となっています。
松山城からも見えた、岩室観音堂。岩を穿って観音像を祀っていることから、岩室観音堂と呼ばれています。
ここには四国八十八ヶ所の霊地にたてられた本尊を模したものだそうで、ここにお参りすれば四国八十八ヶ所にお参りしたのと同じ功徳が得られるのだとか。それ、ちょっとチート過ぎない?
また、鎖を登った先にあるハート形の穴をくぐる胎内くぐりもあります。ハート形なので、子宝、安産、子育ての願いに通じるそうです。
松山城へ登っていくルートは立ち入り禁止です。
これまた松山城のすぐ近くにある、吉見百穴。古墳時代に作られた横穴墓で、現在確認できる横穴は219基あります。
階段が付いていて、上の方まで歩いていくことができます。
東松山の街がよく見えます。
吉見百穴には天然記念物に指定されているヒカリゴケが自生しているところがあります。
昔、TRPGをしているとき、ダンジョン内の明かりの処理が面倒くさい時に、ダンジョン内にヒカリゴケが生えているとかいう設定を多用したことがあるのですが、実際のヒカリゴケは初めて見ました。思っていたよりも明るく、しっかり光っていることに驚きました。
また、吉見百穴の地下には軍需工場がありました。中に入ることはできませんが、入口付近を見学することができます。
吉見町埋蔵文化財センター。
吉見百穴だけではなく、吉見町の歴史に関する展示がいろいろとなされています。
吉見町のキャラクター、よしみんの顔出し看板。
サイズ的に仕方がないんでしょうけど、大きいのと小さいのがいるのはどういうことなんだろう?
吉見百穴から東に1㎞ほどの所にある灌漑用水・大沼。またの名を百穴湖。
その端っこに水神宮があるのですが、行ってみたら小さな石碑があるだけでした。
大沼の隣にある、天神沼。行った時には知らなかったので写真は撮っていませんでしたが、ここにある天神沼樋は卵形をしているなど特徴的な形態を持っていて、日本の近代土木遺産Aランクに認定されたそうです。
源範頼館跡。
範頼は源頼朝の弟で、源義経と並んで源平の合戦で武功を挙げたのですが、後に頼朝に疎まれて伊豆に流され、その地で誅殺されたという説もあります。義経と同じような運命をたどっているのですが、義経に比べるとちょっと知名度は控えめですね。
昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では変人が多い源氏の一族にあって、割とまともな人として描かれていました。まあ、それが故に命を落としたという側面もあるんでしょうけどね。
現在は息障院光明寺というお寺になっていますが、一部に鎌倉時代の武家屋敷特有の方形の屋敷跡とそれを囲む水堀跡を確認することができます。
源範頼館跡から北へ1.5㎞ほどのところにある、八丁湖公園。
八丁湖の周辺はウォーキングコースになっています。
八丁湖の周回コース以外にも、公園内にはいろいろなコースが設定されています。元気だったらあちこち歩き回るところだったのですが、ここまでまあまあ歩いてきたので、そんなにはウロつけませんでした。
公園内にある、黒岩横穴墓群。
最後に、八丁湖公園から北へ少し行ったところにある、ポンポン山へ。
かなり低い山なので油断していましたが、思いのほか険しい道でした。まあ、険しいのはこの直登ルートだけで、迂回すれば普通の道だけで登れたんですけどね。
とは言え、直登ルートもすぐ終わり、頂上に到着します。
標高は30m。低いけど、なかなかいい眺望です。
荒川にかかる、クッソ長い大芦橋。全長1㎞くらいあります。
JR高崎線の吹上駅に到着して、この日の城攻め&あちこち散策は終了です。
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