以前、2ちゃんの「洒落怖」あたりに投稿していたお話。
気が向いたらここに書いて行きます。
【空に叫ぶ】
仕事に就いたころ、彼女と一軒家に賃貸で住んだことがある。三角屋根の一棟を左右に半分にした二世帯住宅だ。
隣には別の夫婦が住んでいた。丁度子供さんが大学に入って、子育てに一段落ついたくらいのお年のようだ。二人でお暮らしだった。
半年くらい経って、夏の休日の昼間に二階の机に向かっていたところ、隣の下のベランダから、隣の奥さんが誰かと口論しているのが聞こえてきた。結構な大声だ。
口喧嘩でもしているのだろうか?…だが、相手の声は聞こえなかった。
「お父さんの体だけ狙ってる泥棒猫!」
「子供すら作れない癖に!」
「お父さんに何て言ったのよ!」
「嗚呼、イヤラシイ」
「殺してやりたい!きっと殺す!私は負けない!」
聞くに耐えない。普通なら大声で叫ぶなんて、いくら何でも憚られる内容だった。
誰と話をしているんだろうか?こんな際どい内容だし、たぶん身内だろう。
おいらは首を延ばして、開いた窓から声の聞こえる方を覗き込んだ。
ベランダに出ている彼女が見えた。彼女はこちらには気づいていない様だ。
「また来てる!このウチは私のものよ!何で来てるのよ!」
家の中に誰かいるのか。親戚でも来ているのか?
だが実際は違っていた。彼女は物干し台の横に立ち、ベランダの外の林に向かって、空に向かって叫んでいたのだ。
「イヤラシイ!あんたのせいだ!」
あーぁ。と思った。いわゆる統合失調症、略して「統失」というヤツだ。
-----
おいらはこの日が初めてだったのだが、彼女に言わせると、旦那さんが居ない昼間、決まった時間にあれが始まるのだという。会話の内容は、ほぼ決まってあんな感じ。
何か、不倫の恋仇相手に戦いを挑んでいるようだ。
これが始まると、流石においらの彼女も外で干し物が出来なくなる。外に出られないのだ。
決まって隣のベランダで始まるから。目を合わせてしまうと、何されるか判らない。
その年の年末、お隣り宛にお歳暮が届いたらしい。そしてその日の午後、また始まった。
「こんなお歳暮で騙されると思ってるの?」
「何とか言ったらどうなのよ!」
「こんなものお返しするわ。イヤラシイ。もう二度と送って来ないで!」
今度は部屋に置かれたお歳暮の包み相手に戦っているらしい。いつものパターンだ。
しかし、いつ聞いても、聞くに耐えない猥雑で一方的な叫び。気分が悪くなる。
ビビったのは、その夜、そのお歳暮がおいらたちの家の玄関先に置かれていたことだ。
手紙が添えてあった。『今度、こんな事をしたら、本当に殺します』と赤いボールペンで殴り書きがしてあった。
再度、隣に返す訳にもいかないので、まんま捨てた。
包丁でメッタ刺しにしたのか、包みがズタズタに切り裂かれていた。詰め折のハムにまで達する程だった。よほど力任せに刺したのだろう。ぞっとした。
これは彼女の頭の中で、隣の住人であるおいらたちが、視界に入って来たということを意味するかも。
しかも、彼女にとって友好的なキャラでは決してなさそうだ。
-----
流石に、おいら達も身の危険を感じて、この件は大屋に相談した。
だが、直接被害を受けていない状況ではどうすることも出来ない。いつもは普通に会話出来るのだ。暴力沙汰を起こしているわけでもないので、警察にも相談出来ない。
しかし、一旦スイッチが入ってしまうと、何をするか皆目検討がつかない。
大屋さんから、旦那さんにそれとなく言ってくれないかとも頼んだが、家庭内の事情だし、そもそも旦那の居るところでは発症しないので、旦那には実感が伴わないという。
故に病院で診察を受けさせることも叶わない。
「だって、旦那の不倫も原因の一つではないの?」と喉まで出かかったが、その証拠もない。
おいらも意を決して、一回隣の旦那に会いに行ったことがある。
「まあ、ウチの問題ですからね。済みませんが、おひきとり下さい」
面倒臭そうに旦那に言われ、ここで成す術が無くなった。完全に八方塞がりだ。
その時には、こっちの彼女のストレスも、もう限界に来ていた。
…潮時だ。おいらたちがこの家を出る事にした。これ以上ここには居られない。
引っ越しのトラックに積み込みが終わったところで、当人夫婦が出てきて見送りに来た。
今日はまともだ。旦那が横に居るから。
「まあ、折角お隣りになったのに、もう越されてしまうの?淋しいわ」
よくもヌケヌケと。しかし、今の状態の彼女には全く悪気は無い。これが始末に悪い。
誰のせいでこうなったか、今この場で言ってやろうか!とも思ったが、横に居た彼女の
一言に毒気を抜かれてしまった。
「奥さん、…死ぬまでずっとあのままなのかな…可哀相に」
彼女にとって何が敵なのか?多分全てだ。彼女を気遣いもせず、治療させようともしない旦那、ことなかれで傍観する大屋、今こうやって逃げ出すおいら達、そして彼女自身の頭。
…彼女の身近を取り巻く全てと、彼女自身が、彼女の敵なのだ。
車に乗り、揺られながらそう考えていると、少しばかり奥さんが気の毒になった。
-終-
気が向いたらここに書いて行きます。
【空に叫ぶ】
仕事に就いたころ、彼女と一軒家に賃貸で住んだことがある。三角屋根の一棟を左右に半分にした二世帯住宅だ。
隣には別の夫婦が住んでいた。丁度子供さんが大学に入って、子育てに一段落ついたくらいのお年のようだ。二人でお暮らしだった。
半年くらい経って、夏の休日の昼間に二階の机に向かっていたところ、隣の下のベランダから、隣の奥さんが誰かと口論しているのが聞こえてきた。結構な大声だ。
口喧嘩でもしているのだろうか?…だが、相手の声は聞こえなかった。
「お父さんの体だけ狙ってる泥棒猫!」
「子供すら作れない癖に!」
「お父さんに何て言ったのよ!」
「嗚呼、イヤラシイ」
「殺してやりたい!きっと殺す!私は負けない!」
聞くに耐えない。普通なら大声で叫ぶなんて、いくら何でも憚られる内容だった。
誰と話をしているんだろうか?こんな際どい内容だし、たぶん身内だろう。
おいらは首を延ばして、開いた窓から声の聞こえる方を覗き込んだ。
ベランダに出ている彼女が見えた。彼女はこちらには気づいていない様だ。
「また来てる!このウチは私のものよ!何で来てるのよ!」
家の中に誰かいるのか。親戚でも来ているのか?
だが実際は違っていた。彼女は物干し台の横に立ち、ベランダの外の林に向かって、空に向かって叫んでいたのだ。
「イヤラシイ!あんたのせいだ!」
あーぁ。と思った。いわゆる統合失調症、略して「統失」というヤツだ。
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おいらはこの日が初めてだったのだが、彼女に言わせると、旦那さんが居ない昼間、決まった時間にあれが始まるのだという。会話の内容は、ほぼ決まってあんな感じ。
何か、不倫の恋仇相手に戦いを挑んでいるようだ。
これが始まると、流石においらの彼女も外で干し物が出来なくなる。外に出られないのだ。
決まって隣のベランダで始まるから。目を合わせてしまうと、何されるか判らない。
その年の年末、お隣り宛にお歳暮が届いたらしい。そしてその日の午後、また始まった。
「こんなお歳暮で騙されると思ってるの?」
「何とか言ったらどうなのよ!」
「こんなものお返しするわ。イヤラシイ。もう二度と送って来ないで!」
今度は部屋に置かれたお歳暮の包み相手に戦っているらしい。いつものパターンだ。
しかし、いつ聞いても、聞くに耐えない猥雑で一方的な叫び。気分が悪くなる。
ビビったのは、その夜、そのお歳暮がおいらたちの家の玄関先に置かれていたことだ。
手紙が添えてあった。『今度、こんな事をしたら、本当に殺します』と赤いボールペンで殴り書きがしてあった。
再度、隣に返す訳にもいかないので、まんま捨てた。
包丁でメッタ刺しにしたのか、包みがズタズタに切り裂かれていた。詰め折のハムにまで達する程だった。よほど力任せに刺したのだろう。ぞっとした。
これは彼女の頭の中で、隣の住人であるおいらたちが、視界に入って来たということを意味するかも。
しかも、彼女にとって友好的なキャラでは決してなさそうだ。
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流石に、おいら達も身の危険を感じて、この件は大屋に相談した。
だが、直接被害を受けていない状況ではどうすることも出来ない。いつもは普通に会話出来るのだ。暴力沙汰を起こしているわけでもないので、警察にも相談出来ない。
しかし、一旦スイッチが入ってしまうと、何をするか皆目検討がつかない。
大屋さんから、旦那さんにそれとなく言ってくれないかとも頼んだが、家庭内の事情だし、そもそも旦那の居るところでは発症しないので、旦那には実感が伴わないという。
故に病院で診察を受けさせることも叶わない。
「だって、旦那の不倫も原因の一つではないの?」と喉まで出かかったが、その証拠もない。
おいらも意を決して、一回隣の旦那に会いに行ったことがある。
「まあ、ウチの問題ですからね。済みませんが、おひきとり下さい」
面倒臭そうに旦那に言われ、ここで成す術が無くなった。完全に八方塞がりだ。
その時には、こっちの彼女のストレスも、もう限界に来ていた。
…潮時だ。おいらたちがこの家を出る事にした。これ以上ここには居られない。
引っ越しのトラックに積み込みが終わったところで、当人夫婦が出てきて見送りに来た。
今日はまともだ。旦那が横に居るから。
「まあ、折角お隣りになったのに、もう越されてしまうの?淋しいわ」
よくもヌケヌケと。しかし、今の状態の彼女には全く悪気は無い。これが始末に悪い。
誰のせいでこうなったか、今この場で言ってやろうか!とも思ったが、横に居た彼女の
一言に毒気を抜かれてしまった。
「奥さん、…死ぬまでずっとあのままなのかな…可哀相に」
彼女にとって何が敵なのか?多分全てだ。彼女を気遣いもせず、治療させようともしない旦那、ことなかれで傍観する大屋、今こうやって逃げ出すおいら達、そして彼女自身の頭。
…彼女の身近を取り巻く全てと、彼女自身が、彼女の敵なのだ。
車に乗り、揺られながらそう考えていると、少しばかり奥さんが気の毒になった。
-終-