【壁】
大学のころ、彼女と同棲を始めるにあたって、広めの物件を探しまわっていた時期。
「やっぱ、住むなら学生の街でしょ」ということで、大学には遠くなるが、そういった小洒落た場所をもとめて、中央線沿線で良さそうなところを物色していた。
一旦電話をし、物件の概要を聞いてから、駅前のとある不動産屋に足を運んだ。
間取り図を見せて貰う。二階の201号室と202号室が空いていた。
「奥の203号室に住居人がいますが、それだけです。静かでいい環境ですよ」
なるほど、確かにこの間取り、2K風呂トイレ付きで4万は、ここらでは破格に安い。
だが、自分は付き添えないので、カギは開けてあるから、勝手に見てきてくれという。
現地へと歩いた。駅前のその不動産屋から徒歩7分。駅にも遠くない。
目指すは二階の202号室。
2つ空いている部屋のうち、真ん中を選んだのは日当たりと、間取りの問題だった。
2つの部屋は壁1枚で隣接しており、その壁を軸にして対称に間取られている。ただ201号室の方は、バスとトイレが同部屋のユニットバスだった。
彼女にはこれがNGだった。
不動産屋は、2部屋とも開けてあるから両方見てから決めていいと言っていたが。
階段を昇って通路から見た感じ、扉は→□□外壁□という並びになっている。
手前から201号室。不動産屋の言ったとおり、2室とも鍵は開けてあった。
まず202号室から入る。2階の真ん中の部屋な割に、壁に素通しのガラス窓が嵌まっているのに気付いた。その向こうは、同じく空いているという201号室だ。
現在そこは塞がれていて、目隠し用なのか、ベニヤ板が貼り付けられている。
変だな。何故、壁に窓なんか付けるんだろう?嫌な感じがした。
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持ってきたビー玉を床に転がしてみる。案の定、それはコロコロと転がって、玄関の土間のタタキにコロンと落ちた。部屋自体も傾いているということだ。
ここは良くない。他のもっとマシな物件を当たろう。
「ここはダメでしょ」と言いかけた時、彼女がビクっとして腕を掴んだ。
「何だよ?」
「あの窓…」
彼女が恐る恐る指さしているのは、ベニヤ板でハメ殺している、例の窓だ。
「人が覗いてた…」
「はは、馬鹿な。向こうは空き部屋じゃん」
「見たんだもの…あのベニヤの隙間から誰か覗いてた…」
思い切って近づいて調べると、窓はちゃんとこちら側から施錠されている。
しかし板は…目隠しのベニヤ板は、向こう側から貼り付けられていた。
これ…ベニヤを剥がせば、こっちの室内が…アレとかソレとか丸見えじゃん。
覗かれるのが嫌なら、こっちからも目隠しを張るしかない。ありえない。気分が悪い。
向こうは…201号室は空き室の筈だ。
じゃ、さっき彼女が見た、向こうから覗いていたというのは誰だ?
不動産屋か?近所に住むとかいう、ここの大家か?
カギを開けて少し窓を開き、その先を塞いでいるベニヤ板に触ってみる。少しタワんだ。
しっかり留められていない。内装も杜撰だ。ふざけるな。
向こうの住人がその気になれば、簡単にここから覗ける。
さっき彼女が見たという人影、たぶん大家が様子を見にきたのだろう。
ちゃんと打ち付けておけよ、この板。まあ、ここに住む気は無いが。
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試しに、もう少しベニヤを押してみた。動く。三角形に開いた隙間から、201号室の奥、床の様子が少しずつ見えてきた。
光が射さず、真っ茶色に変色して毛羽立った畳、それが縦に4畳ほど繋がっているようだ。
そこは超・細長い四畳半だった。
この隙間からはユニットバスにも、別の部屋にも繋がるようなドアは見えない。
家財道具も置いてあるようには見えなかった。
正真正銘の「ウナギの寝床」だ。人が住んでいる気配は…無いよな、空き室だし…
でも、この部屋と対称な間取りの201号室が、こんなに狭い筈が-
バァン!
ベニヤ板が、向こう側から思い切り叩かれた。もう少しで指を挟むところだった。
心臓が縮み上がったが、覗いてたこっちが悪かったかも。やっぱり大家かな?
「すいません、誰かそっちにいますか?…大家さん?」とノックした。
「ねえ、やばいよ」彼女が泣きそうな顔で、逃げの体勢になっている。
バァン!
凄い勢いでベニヤ板を叩き返してきた。この野郎。その窓を施錠して、部屋の外に出た。
すぐ隣の201号室の玄関のドアを叩いた。
「ちょっと!止めてくださいよ!怪しい者じゃないです!大家さんでしょ?」
「隣の202号室を見に来た者です!●●不動産の紹介で…」
バァン!バァン!まだ聞こえる。そいつは叩くのを止めない。おい、聞こえてないのか?
ドアノブを回した。玄関を入って201号室の中を見たとき、流石に凍り付いた。
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確かに、202号室と対称に間取られた、ごく普通の部屋だった。
さっき見たような「ウナギの寝床」なんかではない。床も畳ではなくてフローリングだ。
誰もいない。室内を見まわした。大家はどこだ?
バァン!
叩く音が止まらない。音の方を見ると、今まで居た202号室側の壁から聞こえてくる。
こちら側に貼ってあるはずのベニヤ板が無い。
普通の白壁だった。
…さっき見た部屋は、この部屋じゃない。
201と202の間は壁一枚だけだ。
…あの壁の間で、今もベニヤ板をバンバン叩いているのは…?
二人で速攻で逃げ出した。預かったカギも無かったので、一気に駅まで逃げ帰った。
その間じゅう、ベニヤ板を叩く音は止まなかった。
不動産屋に文句を言う気にもならず、素通りして中央線に飛び乗り、帰宅した。
その後、その不動産屋には二度とこちらから連絡しなかった。
結局、別の場所に住居を定めた。その後、転居も数回している。
その物件は、壊されてなければ、まだ吉祥寺にある筈だ。
だが、いまだにその不動産屋から、物件の仲介のDMが届く。
いい加減にして欲しい。
-終-