ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧六郷町六郷を往く-4(その3)

2018年08月05日 | 旧六郷町を往く

●歩いた日:2018年7月18日(水)

●歩いた所

 ・六郷:古屋敷、宝門清水、本道町、馬町、西高方町

●歩いたログ(足跡)(道のり3.5km)

(以上の地図:国土地理院)

 「久米清水」からさらに東に進むと、やがて道はややカギ型になった十字路に出る。

📷003:「本道町」の道角

 

 十字路からこの後向かった東に延びる道で写した写真である。引き続き道の両側はレンガ張りで、風情のある散策路が続く。 写真右端、十字路の一角に建つのは酒店の建物である。そして自動販売機の横に案内板があるが、その奥の板塀の中は「ハタチや清水」である。中をのぞいたがきれいに整備されている。自由に入って見ることができるようだが、板塀で囲まれているだけに少し入りづらい気がする。

 十字路から写真の小道をまた東に進む。やがて南北に走るやや広い道に出る。

📷004:「馬町」の「旧羽州街道上街道」

 

 左下の小道からこの道に出てきたところ。南北に走るこの道は、別の地図を見ると「羽州街道」と記されている。「旧羽州街道」は、これまでの「旧神岡町神宮寺」や「旧大曲市花館」のブログに何回か登場した。調べてみると、「横手」から北上してきた「旧羽州街道」は「六郷」で分岐し、「角館」に至る道を「上街道」と、「大曲」、「神宮寺」を経由して「久保田」(現「秋田市」)に至る道を「下街道」と呼んだらしい。そして、「上街道」は、これもブログに何回か登場した「県道角館-六郷線」(通称「角六線」)とほぼ同じ道筋のようである。という訳で、写真の道は、「旧羽州街道上街道」=「角六線」の一部で、昔からのメイン道路である。

 なお、現在の「角六線」は「六郷」の街部の東側を通って、街の南端で「国道13号線」につながっている。

 写真に写る大きな建物は、奥の青い看板にあるように「湧太郎」と名付けられた「六郷」の観光拠点施設の一つである。建物の形から想像されるように、古い酒蔵を改修して作られた施設で、中には売店やレストランがあるようだ。「コボちゃん」似の男の子「湧ちゃん」のフルネームが「湧太郎」ということであろうか。

 「湧太郎」の手前、道の右側にかなり広い駐車場がある。「湧太郎」や「六郷」の街歩きに訪れる観光客のために整備されたものだろう。その駐車場の奥に寺がある。入口に「長明寺」とあるその寺の境内に少し入って見る。並び立つ大木が寺の歴史の古さを感じさせる。ログ地図をみると、「旧角六線」のすぐ東側の小道に沿って、「卍」マークが南北に連なっている。寺町通りともいえるこの辺りは次の機会に巡ることにして「旧角六線」に引き返す。

 「湧太郎」の前を通って進むと、看板の脇に「六郷」の案内マップの看板が立つ。今回歩いた範囲を切り取った写真。

 

 中央下の方に「秋田諏訪宮」があり、そこからまっすぐ北に進んで現在地に来たところ。途中立ち寄った清水、立ち寄らなかった清水が記載されている。ほかにもあちこちに清水がある。左下隅にのぞく「馬洗い清水」は「六郷を往くー2」で立ち寄った清水。馬を洗えるほど広く鬱蒼とした木立に囲まれていて、涼むには最高の清水だ。

 案内マップの隣に「菅江真澄」の歌を刻んだ真新しい石柱がある。歌は「六郷は養栄丸に百清水 多い寺々絶えぬ金持ち」である。「養栄丸」は何かの薬であろうか、「百清水 多い寺々」の後に「絶えぬ金持ち」と続く。寺の数が非常に多いことからも金持ちが多かったことは推測されるが、「絶えぬ金持ち」は何で儲けていたのだろうか。

(その4に続く)


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