●歩いた日:2018年7月18日(水)
●歩いた所
・六郷:古屋敷、宝門清水、本道町、馬町、西高方町
●歩いたログ(足跡)(道のり3.5km)
(以上の地図:国土地理院)
「湧太郎」脇の案内マップからほんの少し北に進んだ道の向かい側に、古い大きな建物が並ぶ。
(「馬町」の「旧羽州街道上街道」2)
手前の大きな建物は、黒板塀で囲まれりっぱな玄関を持つ商家風のたたずまいである。建物はかなり傷んでおり、今は使われていないようだ。奥の大きな建物は、道から出入りできるような作りなので、お店であろうか。一階の屋根の上にエアコンの室外機が見えるので、こちらは現役のようだ。「六郷」の歴史を感じさせる街の風景である。
電柱の下に立つ白い看板のところ、二つの建物の間を左に折れて西に進む。少し行くと道の右脇に白い標柱が立ち、それには「六郷御役屋(代官役所)址」とある。説明書きよると近隣41か村を支配していた佐竹藩の代官所が設けられていた跡とのこと。さらに進むと丁字路に突き当たり、その脇に大きな清水がある。
📷006:「宝門清水」
地名の由来ともなっている「宝門清水」である。周りに石垣が積まれ、道沿いには花壇やベンチもあって、観光客はもとより住民の憩いの場にもなっているようだ。そして、清水の水面の上に見事な大木が突き出ている。雪の重みでこんな姿のなったのであろうか。
この写真を撮っている時、通りがかりの母(婆?)さんが、「あやー、写真コ!(「コ」を付ける)撮ってらんすか(撮ってるんですか)」と声をかけてきたので、「この木凄いすな、何の木だべ」と訊くと、時折ここを通るが何の木か気にとめたことはない、という返事。木の肌から「欅(ケヤキ)」だろうと思っていると、ベンチそばの立て看板に「宝門清水の欅」とあり、樹齢は300年ほどと書いてある。
さらに清水の案内板もある。
「宝門清水」の由来について書かれている。最後の方に、「そばに住んだ人の名にちなんで俗にマタコ清水とも呼ぶ」とあるが、「マタコ」とは変な人名である。男?、女?。
📷005の近くで、道から外れて赤い線が描かれている。これは用を・・・行ってきた足跡・・・。
「宝門清水」のところの丁字路を右折して北に向かって進む。道右手の家並が途切れると、大きな寺が見えてくる。
📷006:「西高方町」の風景
道端には墓地があって、ここは寺の裏手に当たるようだ。手前の寺は真新しく建て替えられて間もないようだ。奥の寺も屋根を見ると新しい。
以前に「六郷町」の町長をされていたことがある大学の先輩Sさんと酒飲みをした席で、「六郷」の寺のことに話が及んだ時、Sさんは、「六郷は寺が多いので、近年は維持するのに難儀している」と話していた。しかし、これらの寺を見ると、難儀しているかも知れないが維持できないほどでもないようだ。「真澄」の歌にある「絶えぬ金持ち」は今も続いているのだろうか。
(その5に続く)
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