<「高梨を往く-6」のログ図>
●歩いた日:2020年1月18日(土)
●歩いた所
・高梨:麻生田、米打橋、新屋敷、上り場、上川原、繁昌、上高梨
・払田:下払田、下川原、田ノ尻
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
記事を綴り始めようとしてタイトルを書いたら、「高梨を往く」の6つ目の記事であることがわかりました。知らないうちに「高梨」に繰り返し出かけていたようです。ログ地図には、右上に「払田の柵跡」があり、左下に東北有数の大地主であった「旧池田家」の庭園があります。これらの場所を訪れた記事は、すでにブログに掲載(「高梨を往く-1、2」しておりますが、今回歩いたのはその中間の「丸子川」沿いの場所になります。
ところで、歩いた日は、年明け間もない1月18日ですが、この本文の写真を見るとわかるように、道には全く雪が無く、田んぼもうっすらと雪に覆われている程度で稲株が頭を出しております。例年であれば3月下旬から4月上旬の風景です。それだけ今年は雪の少ない冬でした。春から夏にかけて水不足にならなければいいのですが・・。
余談になりますが、「旧仙北町」は「仙北平野」の中の旧市町で、唯一山のない町です。一番高いところが「払田の柵跡」の隣、「高梨神社」がある「真山」(山というより丘)の64.7mです。柵跡があり、歴史的価値も高い「長森」とともに、「旧仙北町」のシンボル的な存在となっております。
それでは本文に入ります。
「大曲」の街から、「丸子川」と並行して走っている「県道50号」を、右手(南)に鬱蒼と木立の茂る「池田氏庭園」を見ながら東に進むと、道沿いに建つカントリー・エレベーターが見えてくる。そのすぐ手前に、水路を挟んで県道脇に作られた農道への入口があるので、そこから農道へ入って車を止める。
再び県道に戻って東に向かって歩き始める。この辺り、カントリーが建つ県道の右手(南)は「麻生田(アショダ?)」、左手は「米打橋」である。少し進んだところで振り返る。
📷001:「麻生田」の「県道50号」
ご覧のように道に全く雪がない。2020年は、1月1日のブログに掲載したように、激しい雪降りでスタートしたが、その後はほとんど雪が降らず、この時すでに春が来た、という感じ。
カントリーの左、少し離れたところに建つ四角い建物はJAの施設で、拡大すると「JA秋田おばこ仙北支店」の字が読める。
さらに進むと道端に「池田文太郎翁 銅像広場」の看板が立つので、中に入ってみる。
📷002:「池田文太郎翁銅像広場」の碑
「池田文太郎」(M1~S2年)は、調べると、一千町歩地主といわれた「池田家」の最盛期を築いた13代目当主で、先代の後を受けて2代目の「高梨村長」を務めた人でもある。莫大な私財を投じて地域の発展に尽くしたことから、銅像が建てられたのだろう。
しかし、今、広場の一角に建つのは、「池田文太郎翁之碑」と刻まれた石碑で、銅像ではない。戦時中に行われた金属類の強制収用によるもののようだ。
広場から出るとその向かいは「高梨小学校」である。
📷003:「高梨小学校」
木立の陰になって少ししか写っていないが、長い通路の奥に校舎が建ち、右手奥にグランドが広がる。
(その2に続く)
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