<「高梨新屋敷」付近の「県道50号」>
●歩いた日:2020年1月18日(土)
●歩いた所
・高梨:麻生田、米打橋、新屋敷、上り場、上川原、繁昌、上高梨
・払田:下払田、下川原、田ノ尻
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
「高梨小学校」の校門の脇に、現在の門柱とは別に古い門柱が屋根をかけて保存されている。
(「高梨小学校」にある古い門柱)
右手前が現在の門柱で、奥の二つが昔の門柱。昔の門柱の方がりっぱ?である。
その門柱に「仙北村立南小学校」と「仙北村立南幼稚園」の文字がある。左端にのぞく説明板を写す。
これによると、二つの門柱(石柱)は小学校最初の正門で、M43年に新校舎が落成したのを記念して建てられたのであろう、とある。正確にはわからないらしい。
ところで、この説明書きの冒頭に、「南小学校」の前身「高梨小学校」とある。地元の人ならばすんなり理解できることであろうが、私の頭は少し混乱する。ここは「高梨小」のはずなのに「南小」?、その前身が「高梨小」??・・。改めて調べると、次のとおりである。
この場所にあった学校は、戦後のS22年に「高梨国民学校」から「高梨小学校」に改称された。その後、S40年になって「仙北南小学校」に改称されている。S30年に「高梨村」と「横堀村」が合併して「仙北村」(後に町)が誕生して10年後である。両地域の融和を図るために、敢えて「高梨」の地名をはずし「(仙北)南小学校」にしたのだろうか。同様に、同じ時期に「横堀小学校」が「(仙北)北小学校」に改称されている。
ところが、H17年に「仙北町」を含む8市町が合併して「大仙市」が誕生するのにあわせて、元の「高梨小学校」に再度改称している。改めて地域に密着した学校に、と考えたのだろうか、それとも、隣に誕生した市が「仙北市」の名称になることから、「仙北南小学校」では具合が悪いと考えたのであろうか。私個人としては、「北」、「南」よりも古くからの地名を付した学校名がいいと思う。
なお、写真の説明板には末尾にH6年の表記があり、当時は当然ながら「(仙北)南小」だった。うっかりそれを見過ごしていた。
「高梨小学校」からまた少し東に行くと、道沿いにこんなものがある。
📷004:「新屋敷」の「県道50号」
一軒の家の前に二階程の高さに大きな鉄骨が組まれ、そこの無数の蔓が絡みついている。「フジ(藤)」のようだ。よく見ると、手前と奥に幹があり、二本の木から伸びる蔓のようだ。道を歩いて来た母さんに訊いてみるとやはり「フジ」だという。「花っこが咲くとまんず(とても)きれいだ」との話も。花の咲いている時期に是非見に来たいと思う。
さらに東に進み、十字路に立つ道路標識が見えてきたところで振り返る。
📷005:「上川原」の「県道50号」
この辺りは「上川原」で、沿道には家並が連なる。
写真右端の電柱のところから右手(北)に、家並の間の道にしては広すぎるような道がある。のぞくと「丸子川」の堤防が見える。その道を進んで堤防の上に立つと、以前に立ち寄った「薬師神社」が対岸に見える。堤防上からはよく見えないが、神社の東側にも南北に細い道が通っていた。昔は、今来た道と神社脇の道がつながっていて、橋もここに架かっていたと推測される。古い航空写真で確認したい。
堤防上を歩いて「薬師橋」を進み、橋の上から東にカメラを向ける。
📷006:「上川原」の「薬師橋」から東を望む
連なる「東山」の峰の辺りが少し白くなっているものの、雪が非常に少ない。中央やや右手が「真昼岳」。
(その3に続く)
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