●歩いた日:2018年8月21日(火)
●歩いた所
・六郷:馬町、東高方町、西高方町、琴平西、琴平東、安楽寺、馬場、米町
・鑓田:庚塚、馬町
※ 「馬町」は「六郷」、「鑓田」の両地域にある。
●歩いたログ(足跡)(道のり4.7km)
(以上の地図:国土地理院)
「善證寺」の墓地に立つ白い標柱に近づいてみる。
(「小杉天外」の墓)
標柱の奥に、「小杉天外」と妻「かう」のこじんまりした墓がある。標柱には、「本名為蔵、慶応元年、六郷村馬苦労町に生まれ、若くして上京して英吉利法律学校その他に学ぶ。『はつ姿』、『はやり唄』などの名作を著して文壇の雄となり、自然主義文学の先駆者として業績を残し・・・」とある。「小杉天外」の名は知っていても、ここにある作品にはほとんどなじみがない。別の資料を見てみると、父親は豪商ともいえる店を経営していたとあり、その資力により上京して学ぶことができたようだ。M30年代に新聞小説などで一世を風靡し、その後は文壇の中心からは遠ざかったらしい。しかし、戦後まで長命(86歳)を保ち日本芸術院会員になったともある。
道に戻って、突き当りの「真乗寺」の山門の前で右に折れ、「善證寺」の墓地の中の木陰で一休みする。引き返して、山門近くの小道を抜けて「旧羽州街道上街道」に出る。北に少し進んだところで振り返る。
📷003:「西高方町」の「旧羽州街道上街道」
左端の「木村モータース」の奥、黄土色の外壁の家の手前の道を抜けてこの道に出てきたところ。道の右手前の石柱が建つところはこの奥にある「真光寺」の入口。
昔の街道で道幅が狭く、両側に緑の線を引いて歩行者の安全に配慮している。
さらに北に進むと、道の角に地蔵堂がある。
(「西高方町」の地蔵堂)
電灯の付いたりっぱなお堂が二つ並んでいる。白い標柱に「馬苦労町地蔵尊」と書かれている。「小杉天外」が生まれた「馬苦労町」はこの辺りであったことがわかる。
ところで、「バクロウ」は普通「馬喰」とか「博労」と書いて、馬を専門に扱う人のことを表すが、「馬苦労」の字を当てたのは何か特別の意味があるのだろうか。
また北に進むと広い道との十字路に出る。十字路から西を望む。
📷004:「西高方町」の一角
信号のところを左右に横断する道が「旧羽州街道上街道」で、左手から歩いて来てこの十字路に出たところ。
写真では小さくてよく見えないが、奥の赤信号の真下に白い看板が小さく写る。料理屋「若松」の看板である。「六郷を往く-4」では、そのすぐ向こう側の道を左(南)から歩いてきてこの道に出、奥(西)へ向かった。
ところで、「湧太郎」の中に大正時代の「六郷」の地図が展示してある。それを見ると中心街から少し離れたところにこの「若松」が載っている。かなり古い料理屋さんのようだ。
(その4に続く)
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