ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町横沢を往く-4②

2024年11月27日 | 旧太田町を往く

<「宮内」の風景>

●歩いた日:2024年9月25日(水)

●歩いた所

 ・三本扇:儘下川原、宮内、高野、古屋敷、堤、杉向、上立石、野沢、小柳、一本木、狐柳、高花、上川原、篠沢、今宿、三本柳

 ・本堂城回:吉清水、川口道北 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属す。

●歩いたログ(足跡)(道のり7.2km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

 (📸002から)さらに進んで、今度は振り返る。

📸003:「羽見内」方面を望む

 ご覧のような砂利道を奥から来たところ。

 道奥左手の家は「高野」、右端は前述の社の持ち主の大きな屋敷。その間の奥は「羽見内」である。

 さらに進むとまた舗装道路に出る。この辺りは「古屋敷」で、道沿いに何軒かの家が建つ。

 「地名へのいざない」によると、「大屋敷」、「古屋敷」などの地名につく「屋敷」は、かつての有力者の「屋敷」であったといわれている、とある。ここの「古屋敷」には数軒の家しかないようだが、このうちの一軒が有力者だったのだろうか、それともその有力者の家はもうなくなってしまったのだろうか。

 舗装道路をそのまま東に進み、南北に走るやや広い道に出たところで北西方向を望む。

📸004:「宮内」の風景3

 小さくて分かりづらいが、中央右寄りに鳥居が見える。その奥に半分だけ見える大きな屋根が、地名の由来ともなったと考えられる「宮内神社」である。

 高い木立が連なっている風景は、「宮内」を含めてこの地域一帯が豊かな農村であったことの証のようにも見える。

 同じ場所から来た方向を振り返る。

📸004:「古屋敷」の一角

 左手の舗装道路を歩いて来たところ。

 その道路と並行して農道が走っている。車が通る道路が狭いので、農耕車の通行や農作業の安全のために、圃場整備と併せてこのような農道を作ったようだ。

 農道の両側に水路がある。左側の水路は用水路で、右側の水路は排水路である。

 普通、水を引き入れるところ(水口)と、水を排出するところ(水尻、排水口)は、田んぼの両サイド(反対側のサイド)に作られるが、ここは同じサイドに作られている。珍しい。写真を見てわかるように、右側の田んぼに水を入れるために、農道と排水路を横断するパイプが設置されている。

 丁字路から南に少し進むと、右手奥にログ地図に記載されている神社のものと思われる高い木立が見えるので、そこに向かうことにする。神社の方に延びる道の角まで進む。

📸005:「堤」の「大杉山神社」

 木立に囲まれて、ひっそりとしたたたずまいは、いかにもムラの神社という風情である。

 鳥居をくぐって神社の前で扁額を見上げると「大杉山神社」とある。

 この神社が建つ辺りは「堤」である。「堤」は土手、あるいは土手を築いて作るため池のことである。この辺に土手のようなものがあったとは思われないので、ため池があったのだろうか。

 境内にこんな杉が生えている。

(「大杉山神社」の境内)

 杉のものと思われる大きな伐り株の中に、植えたのか自然に発生したのかわからないが、若い杉の木が根付いている。いかにも二代目という感じである。

 ムラの小さな神社では木が伐採されてしまい、社殿だけがぽつんと寂しげに建っているところを目にすることも多いが、このように若木が成長しているのを見るのは、なんとなくホッとする感じである。

(③に続く)


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