<これまでブログに掲載したログ(足跡)の累計(累計の道のり:686.7km)>
●歩いた日:2024年9月25日(水)
●歩いた所
・板見内:長仙寺、北畑、蛇塚、君信、関口、下川原
・三本扇:羽見内、高野、宮内、侭下川原 ※「三本扇」は「旧太田町横沢」に属す。
・本堂城回:西館、北館、嶋田 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属す。
●歩いたログ(足跡)(道のり7.9km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
(参考のため、前回掲載した航空写真を再掲する)
(H28年-1)
(H28年-2)
(S51年-1)
次もS51年で、東側の部分
(S51年-2)
中央上寄り、📸(カメラ)009に写る社の木立を確認することができる。
この社の北側の田んぼを見ると、不整形な田んぼが広がっている。そして、その不整形な田んぼはH28年の写真にもそのまま写っていることが分かる。そのほかの地域の田んぼの大半が大区画に姿を変えた後も、この一角には、この後で見るS23年時の区画がそのまま最近まで残っていたことになる。
中段左寄り、「県道305号」沿いに桜の木が見える。今から50年程まえなのに、今とそんなに変わらない枝ぶりのようだ。
最後にS23年の写真で、これも西側から。
(S23年-1)
上段に写る「川口川」は、川の両側に広い林地を伴っている。よく見ると、「川口川」と記入した辺りに、堤防が築かれているように見えるので、部分的に改修工事が行われていたようだ。
ピンク色の線は、S51年の写真と同様、現在の「県道305号」の道筋である。
田んぼの区画形状に注目いただきたい。右端上段を除いてすべて区画整理されており、S51年の写真と同じである。この写真をカラー化すれば、S51年の写真と区別がつかない感じである。
次にS23年の東側の部分。
(S23年-2)
この写真の田んぼは、左端の地域(「板見内」)を除くと不整形の田んぼが広がっている。この不整形の田んぼも、大半はS51年までには区画整理されたが、H28年の写真で見たように、上段、📸(カメラ)009に写る社周辺(「羽見内」)の田んぼは、H28年までS23年の形状だったことが分かる。
「侭下川原橋」に注目いただきたい。橋の位置は現在と同じようだが、県道から橋方向に延びる当時の道筋は、現在の道筋よりも東側にあり、川のところでカギ型に折れて橋に接続している。橋南東側の「儘下川原」の田んぼが整備された時に付け替えられたようだ。
中断左寄り、拡大して見ると、県道端の桜が確かに写っている。80年程も前なので、枝ぶりはだいぶ小さい。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:686.7km)
累計の道のりが700kmに近づいてきました。こうした数値を見ると、改めて800km、900kmを目指してみようという気持ちになってきます。
次回も「川口川」沿いの地域で、歩いたところの大半が「旧太田町横沢」の「三本扇」になります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます