ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市花館を往く(その4)

2018年03月13日 | 旧大曲市を往く

●歩いた日:2018年1月17日(水)

●歩いた所

 ・花館:柳町、中町、上町、佐野町、朝日町、大曲通町

●歩いたログ(足跡)(道のり8.2km

(以上の地図:国土地理院)

 「大曲郵便局」の脇を過ぎ、「朝日町」に入る。

📷008:「朝日町」の羽州街道

 道に右手にある「畠山タタミ店」も古い店である。私事だが、我が家の居間の畳がだいぶ汚れて来たので、妻の強い希望もあり、昨年(H17年)11月に表替えをこの畳店に頼んだ。経営者も職人も80歳位の高齢者で、最近は畳屋があちこちで廃業して少なくなったとの話。結構忙しそうな様子で頑張っているようだ。

 ところで、「旧大曲市四ツ屋を往く-3」のブログで触れた、「東北農業研究センター大仙拠点」の前身である国の「農事試験場陸羽支場」は、ここの道の右手にあった。この原稿を書くためにこの支場について調べていたら、写真の信号機がある交差点脇に支場跡碑が建っていることを知る。そしてその石碑が偶然この写真に写っている。交差点の右に赤くなっている歩行者用の信号があるが、さらにその右の2本の電柱の間に雪から突き出ている黒いものがその石碑である。

 「花館の歴史」に支場跡碑の写真とともに、碑の裏面に刻まれている沿革が載せられている。それによると、M29年にこの地に創設され、その後、「奥羽試験地」、「東北支場」、「東北農業試験場栽培第一部」と名称を変え、S43年に現在地の「四ツ屋」に移転したとある。

 東北の稲作にとって、冷害の克服は昔も今も最大の課題である。M29年に設置された「陸羽支場」も冷害に強い品種を作り出すことが最大の課題であった。そこで、当時の新しい技術であった人口交配育種法(品種と品種を人の手で掛け合わせて新しい品種を作る方法)を取り入れ、この育種法による最初の品種としてT10年に作られたのが「陸羽132号」である。この品種は、S9~10年に東北地方を襲った大冷害の時にとりわけその真価を発揮し、戦前、戦後を通じた24年間もの間、東北でトップの作付面積を維持した。

 また、その後の品種改良にも供され、「コシヒカリ」はその孫、「あきたこまち」はひ孫に当たるなど、最近栽培されている多くの品種は「陸羽132号」の血を引き継いでいる。

 本文の最後で航空写真に写る「陸羽支場」をご覧いただく。

 汽車通学していた高校生の頃、駅への往復にこの道を通った。帰りに店屋によってチョコレートなどを時々買い食いした。その店は写真左手前の家のようである。

 駅の近くまで進む。

📷009:「通町」の「羽州街道」

 

 「大曲駅」を含めてこの辺り一帯は「通町」である。左手の大きな建物は「大曲年金事務所」で、その右手奥の黒っぽい建物との間に駅のホームがのぞかれる。

 年金事務所の建つ辺りから道左手にはかつて大量の米を保管する大きな倉庫があった。子供の頃、米俵を担いで働く人たちを見かけたものである。それにしても、昔の人は60kgもある米俵をよく担いで運んだものである。今ならかなり体力のある人でもなかなかできないのではないだろうか。米の輸送が鉄道からトラックに代わり、駅そばの倉庫はなくなって、その跡は年金事務所などが建つほか駅を利用する人の駐車・駐輪場となっている。

 また、道右手の倉庫向かいには、かつて、壁に「金福」と書かれた酒造会社の大きな建物が建っていた。

 道奥の高い建物は、映画館「月岡劇場」があった場所に進出した全国チェーンのビジネスホテルである。

(その5に続く)


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