<今回のログ(足跡)>
●歩いた日:2024年9月25日(水)
●歩いた所
・三本扇:儘下川原、宮内、高野、古屋敷、堤、杉向、上立石、野沢、小柳、一本木、狐柳、高花、上川原、篠沢、今宿、三本柳
・本堂城回:吉清水、川口道北 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属す。
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり7.2km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
「川口川」沿いを歩くシリーズもだいぶ上流部に至り、前回は「旧太田町横沢」の「三本扇(サンボンギ)」に足を踏み入れました。今回歩いたところは、「三本扇」の内の東側の地域になります。「旧太田町横沢」を歩くのはこれで4度目ということで「旧太田町横沢を往く-4」となりました。
この(2024年)秋はしばらく気温の高い日が続いて、紅葉の時期が例年に比べて遅くなったようです。11月に入るとさすがに朝晩は気温の低い日が訪れ、我が「東山」(「奥羽山脈」)でも11月8日に初冠雪が観測されました。山の雪化粧を見ると、晴れ間を利用して庭木の冬囲いなどを急がなければなりませんが、ブログに穴をあけないために、絶好の秋晴れになった11月10日(日)に歩いて来ました。
前回立ち寄った、「川口川」にかかる「侭(ママ)下川原橋」から南に車を走らせました。この道の東側には、水路を挟んで並行して走る、広い砂利道の農道があります。「県道305号」のすぐ手前で左折してその農道に車を乗り入れ、そこに駐車することとしました。
それでは本文に入ります。
スタートしてすぐ県道を横断し、やや狭い道を南に向かう。少し進むと、はっきりとした河岸段丘が道の左右に(東西に)延びている。
📸000:「侭下川原」と「宮内」の境を走る河岸段丘
中段左手奥から手前に延びているのが河岸段丘。調べると段丘の下は「侭下川原」、上は「宮内」で、当然のことながら段丘の上に集落が形成されている。
前回も触れたが、「侭下川原」の「侭」は「崖地」のことで、ここでは河岸段丘を指しているようだ。
右上に高い木立が写る。逆光で見づらいが左端の木立の下に社が見える。少し進んで左に折れ、その社に向かう。近づいて社の佇まいを見ると、なかなかりっぱな社である。
社から引き返してくると、向こうから歩いて来る人と出会う。その人に「この社はこの辺の集落のものですか」と訊いて見ると、「いや、私の家のものだ」との答え。その人の背後に大きな屋敷が見えるので、この屋敷の社のようだ。私の集落も含めて、屋敷内に小さな祠をもつ家はあちこちで見かけるが、この規模の社を個人で所有しているということは、かなりの旧家なのだろう。
社から引き返してもとの道に引き返す。大きな屋敷沿いに南へ、そして西へ、と道なりに進むと、その道は屋敷の中へ通じている。南に見える「高野」の家々が建つところを目指して来たが、直接そこへ行く道がないので田んぼの畦畔を進む。田んぼの南端に着いたところで振り返る。
📸001:「宮内」の風景
畦畔奥の右手が旧家と思われる大きな屋敷である。
右手の高い木立が前掲写真に写る段丘沿いに茂る木立で、右端の木の根元が社が建つところ。
雲一つない秋晴れの天気。
田んぼの脇を走る水路をなんとか飛び越え、草に足を取られて転んで立ち上がり、ようやく東西に走る舗装道路に出る。
舗装道路を東に向かう。舗装道路はすぐ南に折れるが、私は田んぼ中の砂利道を引き続き東に向かう。少し進んで左手前方を望む。
📸002:「宮内」の風景2
こちらにも高い木立が鬱蒼と茂る大きな屋敷が見える。この辺りも「宮内」である。
「宮内」はこの後立ち寄った「宮内神社」に由来する地名のようだ。神社の場所は、大きな屋敷の後方に当たると思われる。
右手奥に建ち並ぶ家々は「三本柳」辺りか。
(②に続く)
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