<「大仙市花館」の「川を渡る梵天」>
梵天奉納は秋田県内各地で行われる民俗行事ですが、「大仙市花館」(旧「大曲市花館」)の梵天は、「雄物川」の対岸にある「伊豆山神社」へ奉納するために舟で川を渡ることから、「川を渡る梵天」として広く知られております。現在、「雄物川」にはりっぱな橋(「大曲大橋」)が架けられており、舟を使わなくても神社に行けますが、昔通りにかつての渡し場を渡って梵天を奉納する形で続けられております。
ところで、自分の地元でありながら私自身、この「川を渡る梵天」を実際に現場で見たことがありませんでした。妻はもちろん見たことがありません。梵天が近づいたある日、妻が「天気がよかったら梵天を見に行きたい」と言い出しました。それならと、今年(2020年)は梵天を見に行こうと思い立ちました。
記録的な暖冬で1月までまったく雪の無かった今年ですが、2月に入ると数日にわたって雪が降り続きました。当日の11日は朝から穏やかな天気に恵まれましたので二人で出かけました。
まずは、「花館」の地図をご覧いただきたいと思います。
(地図:国土地理院)
渡河の場所を示してみました。地名に赤線を引いたところが梵天を奉納した町内・集落(渡し場前の広場の立札に記しておりました)です。これを見ると「花館」の範囲がわかります。「玉川」の北(右岸)の「間倉」・「豊後野」にも線が引かれており、ここも「花館」になります。だいぶ以前のブログ、「神宮寺・花館を往く」で書きましたが、昔(「江戸時代」の初め?)は「玉川」がこれらの集落の北側を大きく蛇行していて、「上町」・「中町」などがある「花館」の中心地と地続きであったと推測されます。
いずれ、赤で印した町内・集落(「間倉」と「豊後野」は合同で)と、市役所、「大曲消防署」の併せて13の梵天が渡河しました。
さて、見学の模様です。9時半頃、見学者のために設けられた、河川敷内の臨時駐車場に車を停め、堤防に上がって少し行くと、「伊豆山神社」の里宮と渡し場をつなぐ道に出ます。堤防の上から渡し場方向を撮った写真です。
皆こちらを向いていますが、実は帰りに撮った写真です。奥の「姫神山」の下辺りが渡し場です。この道を川岸に向かいます。
途中、道端に小さな小さな梵天が並べられておりました。
こうしたミニ梵天の塊が何カ所かにあります。それぞれに立札が建てられおり、それによると、「花館小学校」の児童がペットボトルを利用して作ったもの、とあり、札の上部には学年を記しております。あわせて、ミニ梵天は児童に返すので持ち帰らないで、ともあります。
ミニ梵天の脇を過ぎて渡し場に着きました。川べりに設けられた広場には子供連れの人を含めてすでにたくさんの人が集まっております。また、梵天が川を渡る様子を写そうと、カメラを手にした人も多くおります。
広場には、それぞれの町内や集落内の巡回を終えた梵天が順次到着します。
この梵天は、右端の人が着ている半纏を見ると「柳町」の梵天のようです。大勢の若者が付き従っております。
広場に入ると、一角に設けられたステージの上に上がります。
ステージ上の右奥に神主さんが見えます。到着した梵天はここで神主さんにお祓いをしてもらいます。その後、各町内等から梵天唄が披露され、歌が終わると、「ジョヤサー」の威勢のよいかけ声とともに「伊豆山神社」と書かれた立て板?を二つぶつけあって打ち鳴らします。
ステージの前の大勢の人はそれを見学するために集まっているのではありません。最後に餅や菓子、ミカンなどが撒かれるのでそれを拾おうと集まっているのです。梵天の真下に妻の後ろ姿が写っております。招福餅を自分の分と私の分の2個拾ってきました。
ステージから降りると、渡し船の順番を待つ間、梵天を立て並べておきます。
「下大戸」の紫の梵天の左奥に「伊豆山」が見えます。
順番が来るといよいよ乗船です。
この舟には二つの梵天が乗りました。舟は一度に数本の梵天を渡すことができるように、二艘を繋ぎ合わせておりました。昔は馬が乗れる「馬舟」という、幅広・平底で安定がよく馬も乗せることができる大きな舟がありましたが、今は無くなってしまったので幅の狭い舟を繋ぎ合わせているようです。
(その2に続く)
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