ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙北町横堀・旧太田町横沢を往く-2①

2024年10月18日 | 旧仙北町を往く

<今回のログ(歩いた足跡)>

●歩いた日:2024年9月25日(水)

●歩いた所

 ・板見内:長仙寺、北畑、蛇塚、君信、関口、下川原

 ・三本扇:羽見内、高野、宮内、侭下川原 ※「三本扇」は「旧太田町横沢」に属す。

 ・本堂城回:西舘、北館、嶋田 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属す。

●歩いた位置

●歩いたログ(足跡)(道のり7.9km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

 今回歩いたところは「川口川」のだいぶ上流部に当たり、旧「仙北町横堀」の「板見内」、旧「千畑町千屋」の「本堂城回」、「旧「太田町横沢」の「三本扇」にまたがる地域です。このうち、「本堂城回」については民家がしか数軒ありませんでしたので、タイトルは「旧仙北町横堀・旧太田町横沢を往く-2」としました。(「-2」は「横堀」と「横沢」にまたがって歩いた2回目という意味です。)

 前回の「横堀-7」で「長仙寺」の「本郷構造改善センター」の前を歩きましたが、その後、所用でセンターのそばを車で通った時に、センター背後の「県道305号線」沿いに広場がありましたので、そこを目指して車を走らせました。「ベゴニア」を植えたプランターで飾られたその広場に車を停めたスタートしました。

 それでは本文に入ります。

 「本郷構造改善センター」裏の広場の一角に大きな石碑が建つ。

(「長仙寺」の一角)

 石碑には「千町田(チマチダ)永遠」とある。裏に回って石碑を見ると、「堀見内」と「板見内」に広がる田んぼの圃場整備事業が竣工した記念碑である。

 「千町田」という言葉を知らなかっが、たぶん「千町歩にも及ぶような広い田」の意味だろうと、改めて調べて見るとそのとおりある。

 石碑の裏には、この言葉を刻んだ由来が書かれている。それには、「江戸時代」の9代目藩主「佐竹義和」公は藩内を巡覧し、この地を含む藩内の広々とした豊かな田園に接して「千町田の記」を著しており、その「千町田」がここに住む人々に永遠に恵みをもたらすことを祈るもの、とある。

 左手の道は「県道305号」。石碑の奥のたてものが「本郷構造改善センター」。

 いったん県道に出、すぐ右折してセンターの前を歩いて南に進むとすぐY字路がある。そのY字路で左折し、引き返すように北に向かう。少し行って行く手を望む。

📸001:「長仙寺」の一角

 左手のガードレールの向こうが「県道305号」。この道が整備される前は、私が立っている道が県道だったようだ。

 かつての県道は、この先で右、そして左とカーブしている。かつてはまっすぐ延びていたが、新しく整備された県道と直角に交差するように付け替えられたのだろう。

 左手の県道は帰りに必ず歩くことになるので、行き帰りで重複しないよう、右端に写る家のすぐ奥で右に折れ、東に向かうあぜ道を進む。

 田んぼ中に出たところは「西館」、「北館」で「旧千畑村千屋」の「本堂城回」である。しばらく行ったところで振り返る。

📸002:「長仙寺」の風景

 立ち並ぶ家々は「長仙寺」。右端に写る家の脇を通って手前に来たところ。

 手前の田んぼは道右手(北側)が「西館」、左手が「北館」。いずれもかつての「本堂城」にちなむ地名のようだ。

 右奥に「西山」の山並み。

(②に続く)


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