<歩いたところのS23年の航空写真>
●歩いた日:2024年9月4日(水)
●歩いた所
・板見内:一ツ森、弥兵衛谷地、大荒田、大面、荒堰、続橋、八幡堂、百目木、千刈田、長仙寺、北畑、二合田、二井関、刈又
・福 田:川原道下
・堀見内:穴沢
・払 田:荒堰、烏川 ※「払田」は「旧仙北町高梨」に属する。
・本堂城回:北館、館間 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属する。
●歩いたログ(足跡)(道のり8.4km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
(参考のために、前回掲載したH28年とS52年の航空写真を再掲する)
<H28年-1>
<H28年-2>
<S51年-1>
<S51年-2>
S51年の3枚目は「川口川」沿いの写真。
「川口川」両岸に、改修前の蛇行の跡が目に付く。「刈又橋」近くの川沿いにすでにJAのカントリーエレベーターが設置されているが、この場所もかつての蛇行跡であることが分かる。
田んぼ全体を見渡すと、田んぼ中に今はなくなった水路があちこちに見える。
右上隅に、工事の最中と思われる広域農道の一部が写っている。この後、広域農道はピンク色の道筋で(ピンク色の中間は拡幅されて)整備されたことになる。
左上に、当時は「北小学校」と言った、現在の「横堀小学校」が写る。この校舎を卒業した人がこの写真を見ると、タイムスリップしたように思われるのではないだろうか。
最後にS23年の、「弥兵衛谷地」周辺の写真から。
この写真を見ると、ほとんどの田んぼがすでに整然と区画整理されている。戦前に区画整備事業を終えていたのだろう。そして、その田んぼの区画はS51年とまったく同じである。
従って、道路網も大半がS51年と同じで、集落や個々の家々をたやすく特定することができる。
右上ピンク色線は、S51年の写真に書き入れたものと同じく、現在の「県道305号」の道筋である。
左下、県道が少し西側にカーブしているところがある。この一部がS51年、H28年の写真に写っている。
最後にS23年の「長仙寺」、「本堂城跡」から「川口川」の北側にわたる部分。
上段に広い河川敷を持つ「川口川」が写る。主要な道は現在と同じなので、「川口川」にかかる橋の位置も現在と同じである。
ピンク色の線は、S51年の写真と同じく、現在の県道と広域農道の道筋である。緑色の線もS51年と同様「出原酒造」の建物が立ち並ぶ一角。
右下隅の「本堂城跡」は、当時も畑作が行われていたようだ。なお、S51年には田んぼのように見えた外縁部分の内堀跡も畑のように見える。
「本堂城跡」のすぐ北、現在と同じ位置に「矢島川」にかかる橋がはっきり見える。やはり、ここは田んぼの区画整理以前の古い道筋に当たっていて、橋もかなり古い時期にかけられたと推測される。
左上隅に「横堀小学校」が見える。いったん「仙北北小学校」、「北小学校」の名称になった小学校だが、当時は「横堀村立横堀小学校」である。黒く見える部分が校舎のようだ。S51年の校舎よりはかなり規模が小さかったようだ。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:678.8km)
次回も、「川口川」沿いを歩いた様子を続ける予定です。今回までで「旧仙北町横堀」の東端近くまで歩きましたので、次回は、「旧仙北町横堀」と「旧千畑町千屋」、そして「旧太田町横沢」の3町にまたがる地域を歩いた内容になる予定です。
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