●歩いた日:2018年4月21日(土)
●歩いたところ
・六郷(六郷):南谷地、田岡、古舘、小安門、往還南、八百刈、大町、本道町、古屋敷
●歩いたログ(足跡)(道のり5.9km)
(以上の地図:国土地理院)
太陽光パネルのところから田んぼのあぜ道を抜けて広域農道に戻り、また進む。やがて道の左脇に白い標柱が立っているのを見つける。
📷003:「六郷城趾」の標柱
標柱には「六郷城趾」と書かれている。「六郷城」があったことは地元の人はみんな知っているかもしれないが、私は知らなかった。標柱後方の畑はいかにも城跡のような感じを与える。この中のどこに城があったのだろう、と思いながらさらに進むと、今度は道端の鳥居の脇にも標柱がある。
📷004:「古舘」の「六郷城趾」
こちらの標柱には「六郷城趾本丸跡」とある。奥に神社があり、さらにその奥に大きな石碑が建っている。鳥居をくぐって中に入っていく。神社は「田岡神社」で、参道をはさんでその向かいにある建物は集落会館のようである。
石碑の前に立つ。
(「通庵佐竹公館趾碑」)
大きな石碑には「通庵佐竹公館趾碑」と刻まれている。右端に白い説明板がある。これによると、「六郷城は、永禄年間(1558~69年)に六郷氏が築城して本拠とし、関ヶ原の戦功で常陸へ入封した後、佐竹義重が慶長7年(1602年)から11年間居城した。」とある。さらに、「この本丸の碑は、義重公没後300年を記念して町が建立した。」ともある。なお、「義重」は秋田藩初代藩主「佐竹義宣」の父で、66歳で死去した慶長17年(1612年)の後に城は破却されたようだ。
大きな石碑の右側に白っぽい小さな石碑がある。こちらは「通庵公卒後400年碑」で、「角館」の「佐竹北家」当主、現秋田県知事の「佐竹敬久」氏の揮毫によるもので、H24年に建てられたとある。
なお、この辺の地名は「古舘」で、これも城に由来する地名と思われる。車を置いた近くのコニュニティーセンターがあるところは「本館」で、こちらも城(あるいは館)に由来するようだが、何か関係があるのだろうか。「地名への・・・」には「大仙市」しか載っていないので調べられない。
(その3に続く)
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