●歩いた日:2016年4月1日(金)
●歩いた所:大川原、関口、金葛、下袋、長者屋敷、砂崎、金葛砂崎、機織、布晒
●歩いた足跡(ログ)(道のり:8.1km)
(以上の地図:国土地理院)
「関口」の、「松倉堰」に架かる橋の近くでまたカメラを取り出す。
📷003:点在する墓地
家々のすぐ近くの田んぼ中に墓地が点在している。集落の一画や屋敷内にある墓地はあちこちで見かけるが、田んぼ中に点在する墓地はあまり見かけない。墓地の周りを後から開田したので、このような姿になったのだろうか。それぞれのご先祖様が、集落から少し離れたところでじっと子孫を見守っているようにも見える。
家々が立ち並ぶ中を進む。やがて「金葛」に入る。「地名へのいざない」では、ここは鍛冶屋の跡地というより、「カナ」は「かなぐる」、「掻く」、「クズ」は崩壊地で、「玉川」の浸食崩壊地を意味し、河川の近くに多くある地名とある。後で紹介するが、この近くには、「金葛〇〇」という、川にちなむ字名がいっぱいある。
集落の真ん中辺でカメラを取り出す。
📷004:「金葛」の道
両側に家が建ち並ぶ、落ち着いたたたずまいである。微妙にカーブしているのが古い道の証。このすぐ手前に何本かの太い屋敷林の切り株があったが、ここも昔は屋敷林が立ち並び、その中を細い道が通っていたと想像される。
道脇の水路もいい雰囲気である。昔は野菜や農具の洗い場としても重宝したことだろう。
西はずれの家並が途切れたところでどちらに向おうかと考えたが、集落の北側、山裾を流れる「松倉堰」を見てみたいと思い、北に進む。
「松倉堰」はここから4km余り上流で「玉川」から取水し、「松倉」を流れ下って、主に「旧神岡町神宮寺」の水田を潤している大きな用水路である。その用水路沿いを東に向かい、途中からまた「金葛」の集落の中に入る。集落を一回りした後、県道に出て西に向かい、さらに田んぼ中の道を「下袋」を目指して南に進む。
田んぼに出てまもなく、「西山」にカメラを向ける。
📷005:「金葛」から「西山」を望む
この辺りは、かつては「玉川」の流路あるいは氾濫原だったと推測されるが、今はきれいに整備された広々と水田が広がっている。その中を舗装された真っすぐな道が走っていて、遮るものもなく「西山」を一望することができる。一番高いところが「姫神山」、その手前が「伊豆山」、右寄りに「神宮寺岳。ここから望む「神宮寺岳」はまさに三角山である。 下に広がる集落は「蒲」である。
(その3に続く)
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