ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市四ツ屋・旧神岡町神宮寺を往く(その1)

2017年04月24日 | 旧大曲市を往く

●歩いた日:201641日(金)

●歩いた所:大川原、関口、金葛、下袋、長者屋敷、砂崎、金葛砂崎、機織、布晒

●歩いた位置

●歩いた足跡(ログ)(道のり:8.1km

(以上の地図:国土地理院)

 今回は、昨年の春先に「仙北平野」を歩き始めて間もない頃、およそ1年前の記事を掲載します(古くて申し訳ありませんが)。場所は、「玉川」の下流右岸ですが、ここは地図を見ていくと、「旧大曲市四ツ屋」(「松倉も四ツ屋地域に属します)と、「旧神岡町神宮寺」が入り組んでいるところです。なぜ入り組んでいるのかと考えてみると、かつての「玉川」の蛇行の名残りではないかと想像されます。このことについては、地名、昔の航空写真、実際に歩いた時に見た地形などから、本文の中で想像を膨らませてみたいと思います。

 それでは本文に入ります。 

 まずは、今回も歩いたところの、S23年の航空写真(国土地理院)をご覧いただきたい。

 大きく蛇行しているのが「玉川」で、ログの地図にある流路とはだいぶ異なっている。中央下、川沿い右岸の集落が「下袋」、その西、少し離れて船の舳先のような形をしたのが「蒲」(「旧神岡町神宮寺・旧大曲市花館を往く」を参照)の集落である。

 右上に、パッチワークのような模様の大きなブロックが二つある。右側の丸いブロックが大字「松倉」の「大川原」で、家並みは見にくいが、ブロックの東側に南北に連なっている。

 このパッチワークは畑である。四角に区割りされた畑が、作付けの有無や作物の種類によって、こんな模様になるのであろう。子供の頃、「松倉」は野菜生産が盛んなところと聞かされていた。また、別の機会に「下袋」を歩いた時、道であった年配の人が、昔、「松倉」の人が野菜を積んで街に売りに行くため、ここを通ったものだ」と話していたことを思い出す。

 二つのブロックのすぐ西側は、「関口」と「金葛」の集落である。 

 「玉川」に架かる「勝田橋」を南から渡って「大川原」(「四ツ屋松倉」)へ向かうと、県道67号に突き当たる少し手前右側に農業施設と思われると建物がある。その広い敷地の隅に車を止めて歩き始める。

 県道に出て西に向かい、家並が途切れた先に、県道と並行して細い砂利道がある。

📷001:「大川原」の古い道

 この道は、車が走っている県道が開通する以前の古い道で、地図をよく見るとちゃんと載っており、前掲の航空写真にもはっきりと写っている。歩いていると、こんな昔の道に時々出会うが、その度になんとなくうれしい気持ちになる。

 迷わずそちら足を踏み入れ、さらに西に進む。やがて、この道は、写真奥の看板が建つ辺りで県道を横切り、「関口」の集落に向かって続いている。昔の人は、こんな田んぼ中を歩いて行き来していたのだろう、と思いながらその道をたどる。「関口」の家並が近くなってきたところでカメラを取り出す。

📷002:「関口」の集落を望む

  歩いている道は、この先、何度か大きくカーブしながら集落に向かっている。

 「関口」(「神宮寺」)は、隣の「金葛」と隣接して大きな集落を形成している。奥に、春の柔らかな姿の「西山」が写る。

 さらに進んで集落の手前で山の方を望むと、大きな鳥居があり、「久須志神社」と書いてある。鳥居のすぐ手前に「松倉堰」に架かる橋(写真右上奥のところ)がある。その傍らに堰開設の説明書きがあり、それによると、かつて「玉川」から取水された水をいったん溜めておく池がここに造られていたとのこと。「地名へのいざない」には、池に溜めた用水の取水口が、「関口」の由来だろうとある。

(その2に続く)


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