●歩いた日:2017年9月27日(水)
●歩いた所:福島、駅向、上栗谷田、大浦、大浦前、大坪、大坪街道、内大坪、下川原、荒屋、宮田
●歩いたログ(足跡)(道のり:8.5km)
(以上の地図:国土地理院)
「平和中学校」から引返し、📷005に写る、バイパスと「奥羽本線」の下をくぐって再び「大浦」の十字路に出る。十字路から東に向かい集落の中を進み、途中で振り返る。
📷013:「大浦」の道
向こうから手前に歩いて来たところで、道の両側に家が並ぶ。
ところで、道の左(南)側の家は道に接して建っているが、手前に木立が写るように、右(北)側は、多くの家が、道端に木立や屋敷畑などがあり家屋はかなり奥まったところにある。歩いている時はあまり気に留めなかったが、S23年の航空写真を見て、それにはちゃんとした理由があることが判ったので、最後に紹介したい。
さらに東に進んで「宮田」に入る。県道と交わる十字路の手前でまた振り返る。
📷014:「宮田」の道
道の左奥が「大浦」。「大浦」は道の両側に家並が連なっているが、「宮田」は右(北)側にしか家が建っていない。両側にはほとんど高低差がないが、これも理由があるのだろうか。
十字路から神社が見えたが、寄らないでしまう。帰ってから調べると、この神社は「笠城神社」で、「宮田」の地名もこの神社に由来するようだ。
十字路を突っ切り、車を止めてある場所を目指してさらに東に進む。
最後に「神宮寺岳」を写真に収めたいと思い、スタート直後に通ったバイバスの横断通路からカメラを向ける。
薄曇りのせいで霞んでいる。中央が「神宮寺岳」、その左下が「伊豆山」。「神宮寺岳」の奥に「姫神山」の頂上にあるテレビ塔が写る。
最後に昔の航空写真をご覧いただく。
(S23年―1)
今回歩いた範囲を切り取った写真である。
下方に「雄物川」が流れており、大きな川に近いこともあり、「神宮寺」にはかつての蛇行跡と思われるような地形が随所に見られる(薄い水色の線で辿ってみた)。
「羽州街道」と表示した下の水色線のところは、本文の📷012で掲げた「下川原」の低地である。「神宮寺駅」の周りにも蛇行跡に見える田んぼが連なっており、駅を挟んで家や畑が集まっているところは、さながら島のような姿をしている。右端の水色線の左上の道跡を今回歩いと思われる。📷002に見たように、この道は段丘上の縁を通っている。ただ、ここは「玉川」の蛇行跡と考えられる。
写真上に「大浦沼」がのぞいている。ここも「雄物川」の河跡であるが、この写真では、川がどのような流路をとって沼のところ流れていたのかはよく判らない。かなり古い時代のことであろう。
(その6に続く)
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